裏山の通販ショップを比較、自分の個性を生かせるコーデを通販で決めたいですね
2015年11月07日に
滋賀県の探訪で『菅山寺』に行きました。
紹介します。
10時08分
『余呉駅』
この時の参加者7名。
滋賀県主催の探訪として史上最低の人数だと思う。
おそらくこの最低記録は今後も更新されることはないのでは?
なぜ少なかったかというと、正式に告知されたのが、1週間前。
担当者がアップするのを忘れてたとか?
紅葉の時期なので、みんな早めに予定組んでるよね。
『天女像』
『天女の衣掛柳』
一昨年の台風で倒れたというニュースがありました。
だから、今はもうこの勇姿は見られない、と思う。
『乎弥神社』
こちらも難読ですね。
「おみ神社」です。
祭神の巨知人命と梨迹巨命は、余呉湖天女伝説の天女の子供と言われてます。
『塞(さい)神社趾』
権現坂へ向かう街道の守護神でした
『権現越道標』
前回紹介したが、塩津街道への権現越と北国街道の分岐
そして、
11時10分
『大箕山』鳥居。
鳥居をくぐって山に向かう。
お座りする牛さん、
頑張って登るんだモー!、とつぶやく…
左手に弘善館。
普段は閉まってます。
帰りに寄ります
北陸自動車道の手前に
『古墳』
名無しの古墳。
しいて名付ければ、移築古墳。
北陸自動車道建設でここに移動させられたのです
見た通り横穴式石室が露出。
北陸自動車道のガードをくぐる。
自動車道が参道を横切る例はよくありますね。
といってもこちらの参道は一山越えなければならない長さ…
北陸道自動車道建設で、幾多の名もなき古墳や山城が壊されただろうか?
左、菅山寺の看板
ここから険しい山道
登山道沿いに石仏が次々に出現する
信者が建てたそうです。
よく見るとみな頭がない、胴体ばかり。
わざと首切りしたの?
という意見がありました。
が、県教委さんの話によると
砂岩で出来てるので経年の風化劣化により首から上の重たい頭が先に取れてしまった結果なのだそうです。
分岐に来ました。
麓の鳥居から約40分、さすがにキツいです。
ここから下りになる。
峠を肥えました。
菅山寺は山の中の隠れ里のような所なんです。
墓地群
廃墟感あり。
麓の鳥居のそばに牛像があったが、菅山寺という名前でわかるように、
菅原道真にちなむ寺です。
本来は大箕寺と呼ばれた。
余呉湖は日本最古の羽衣伝説が有名ですが、道真公は天女の子供で、大箕寺に引き取られ修行。
後に菅原氏の養子となったとか?
あくまでも道真伝説ですが…
そして、
『山門』
麓から約一時間かかりました。
『護摩堂』
『庫裏』
鉄パイプ、角材で補強されてるけど、
もう住職さんはいません。
石垣を見ると山岳城郭寺院と思ってしまう。
お城病です…
この門のアングルは、ポスターに登場します。
両側のケヤキは、菅原道真が45歳の時(889年)に植えられたので、1000年以上の樹齢となる。
年表で確認したら、讃岐国から帰京した年なので、余呉にも来たのかな?…
紅葉の時期、鶏足寺が人気ですがこちらにも訪ねてほしいものです。
『梵鐘』国重文
釣鐘堂の屋根が潰れかけ。
なので、県内で2番目に古いと言われてる鎌倉時代の梵鐘は取り外されました。
現在は麓の弘善館に保管されてます。
『本堂』
いつ潰れてもおかしくないので
立ち入り禁止。
仏像などめぼしいものはすべて麓に移してるので建物だけ。
間違っても盗みに入らないように!
『経堂』
かつてここに納められていた宋版一切経七千余巻」は徳川家康の命により芝の増上寺へ寄進され、
現在は国の重要文化財に指定されてる
『朱雀池』
『五所権現』
『近江天満宮』
家康から50石寄進され、本殿は井伊家が建てた。
学業成就祈願の絵馬があります。
こちらも崩壊寸前で立ち入り禁止。
地元坂口地区の人が保存活動されてますが、さすがに広大な山奥の寺院を保護するのは大変。
このままだと、そのうち廃墟になってしまうのでは?
と心配になりました。
かといって、観光地化されのもいやだし、難しい…
帰りに里坊弘善館で道真関連の像、観音像や梵鐘などを見せていただき、丁寧な解説も受けました。
要予約、拝観料必要。
撮影不可なので、画像はありません。
実は下山途中で足ガクガクになってしまって、
これまでのなかで一番苦しい山登りになった。
もう二度と菅山寺には登ることはありません。
※なお、熊出没地域なので、参拝する時は熊対策必須です
こちらは余呉観光館。
この日は余呉湖まつりがありたくさんの人がいました。
Φ(*^ひ^*)Φ
菅山寺へは、羽柴秀長本陣の田上山城跡からハイキング道があり繋がってる。
菅山寺のさらに北には秀吉軍最前線基地の東野山砦がある。
その中間に位置する菅山寺には池やお堂があるので、賤ヶ岳合戦では補給基地として利用されたかも?
本丸=田上山、
二の丸、水の手=菅山寺、
三の丸、出丸=東野山砦
となると、菅山寺の西側や北側の尾根付近に砦などが築かれても不思議ではない。
将来、城跡の遺構が発見されるかも?
と、期待してるのですが…
いい加減な
想はやめとけ?
以上おしまい。
次回は、余呉観光館の裏山から賤ヶ岳へ向かった記録をアップします。
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
日曜日、今年初めて、この冬初めて、
越前へ進軍しました。
2月なのに越前の山の上にも雪がないなんてびっくりポンです。
湯尾駅から徒歩一時間、
『杣山城跡』の麓へ。
北国街道歩きにとって、どうしても見過ごすわけにはいかないが、難度高い山。
ようやく念願のトライです。
車が3台あるが、山の中では誰にも会わなかった…
国史跡なので、ちゃんと整備されていて
登山口は北側に3本、南側に一本。
今まで無茶してきたので、今回は登山道しか歩かない。
ましてや、直登なんかもってのほか!
ということを肝に命じて登りました。
居館跡から姫穴→殿池→西御殿跡→本丸というコースを選択した。
普通に歩いて90分かかる。
どうみても登山ですな。
秘め穴、
じゃなくて、姫穴。
この付近の道は鎖があるほどの危険地帯。
1つ間違えば谷底に落ちる。
緊張の連続で、ようやく危機を脱したと思ったら、
急に頭の血管がドクドクと脈打ち始めた。
心臓がバクバクするのならわかるが、頭の血管とはこれいかに?
こんな状況初めて!
頭の血管が破裂してこのまま倒れるのか?
実は我が輩、高血圧。
何が起きても不思議ではない。
とりあえず、殿池で頭を冷やしました。
なんとか、落ち着いたので登山再開、
無事に山頂の本丸へ行けました。
湯尾駅からここまで三時間でした。
はるか向こうに雪を抱いた白山連峰?
北アルプス?が見えます
城跡というより登山という気分ですわ。
下山は、南側の今庄方面へ行く登山道を選択した。
こちらは、60分なので一番最短ルート。
それもそのはず、急斜面だから。
でも登山道があるので大丈夫と思ったが、これがとんでもない大失敗でした。
途中に道案内の看板無し。
階段も何もない。
倒木多い。
どうみても登山道とは名ばかり。
ずり落ちるように滑りながら下った。
下見ると恐いので、後向きに姿勢変えることも。
枯れ葉や小石ばかりで、つかまるものがない。
いつぞやの若狭熊川城を思い出した。
無理やり枝や草の生えてるほうへ移動し、つかまるものを探す。
で、突っ込んだら、頭に木の枝が当たり出血。
殿池の所で帽子を取ったのを忘れてた。
髪の毛ほとんど無いので枝や草に当たると即怪我につながる。
頭にペットボトルの水をぶっかけて消毒、冷やしながら、なんとか無事に下山できました。
まさに冷や汗ものでした。
そんなわけで、下山できたが、
精も根も尽き果てた。
いやはや大変な登城となってしまった。
心身ともにショックが大きいため
この冬の山城探訪は、これにて打ち止め。
当分の間、平地の城跡及び街道歩きに専念します。
トホホのホ、ですわ
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
今年こそは裏山で決める。
テーマ
1.コウライキジ
2.60ヶ月連続100万(800km)歩達成
1.コウライキジ
裏山は手稲山連峰に連なることから、時々コウライキジが庭へやって来る。
日没が迫ると高野槙をねぐらにする時もあります。
高野槙
先日もガサガサ高野槙の方角から音がした。ねぐらの整理に取り掛かっていたらしい?
庭でエサを探すコウライキジ
写真は♂
足跡
他にアメリカミンクやキタキツネも出没する
2.ラン&ウォーキング
60ヶ月連続100万歩(800キロ以上)以上を達成しました。
1月は新年早々脱水症状よる目眩に襲われ、救急車のお世話になった。
1日休んだが、その後ラン&ウォーキングは続けました。連日26km以上は軽い目眩が残っていたことから地獄でした。
2月に入っても脱水症状の影響は残り、何度も目眩に襲われたが60ヶ月連続挑戦は怯むことなく挑んだ。
今回で連続挑戦は区切りが付いた事から3月からは月間目標を100万歩から75万歩(600km)以上に格下げします。
2月ラン&ウォーキング日記(60ヶ月連続100万歩挑戦)
①2月の目標 100万歩「1日35.800歩(28.6km)」
②2月27日の実積 22.417歩(17.9km)
③2月トータル1.006.125歩(804.9㎞)
④達成率100.4%
今日も皆様にとって、素敵な一日になりますように
裏山で節約上手
子供のこと
お父さんのこと
妹と甥っ子のこと
先住猫のタオのこと
去年4月に保護をした猫で
今現在は義母の元で暮らしている
春くんのこと
どうして
さくや∞は何でもかんでも
自分一人で抱え込むの❓
お父さんにソックリ
と母が嫌う父の名前を
直ぐに口に出して
私を批判する
子供の頃からずっとそう。
他人のことは
適当に聞き流して
放っておきなさい
そんなんだから
身体を壊すのよ
今さくや∞に倒れられたら
お母さんが困る
と今ある問題をすり替えて
私に怒りを打つける母
私は自分から問題を探してまで
ボランティアに行くような
聖人君子でもないし
他人の人生を背負うほど
力のある人間だとも自惚れていない
どうして❓と聞かれたならば
【家族だから】と答える
それ以外に何の意図もない
私の生き方を
他人に何と言われても
構わないが
お母さん
貴女にそう言われるのが
一番堪えるし
一番悲しい
今回お父さんや妹を
支えようと頑張ったのは
お母さん
全部お母さんの為だよ
お母さんの負担を
少しでも軽減したくて
わたし頑張ったんだよ
でも
そんな想いは
いつも母には届かない
長年母との確執を
なんとか自分なりに整理して
母を赦したい
そのままの母を
心から愛したいと
私なりに何年も何年もかけて
消化してきたつもりだけれど
母が嫌いな
お父さんにソックリ❗️と言う
言葉で責めらると苦しい
いい歳した大人なんだけど
母に会いたくて
祖父母の家の裏山を登って
母に会いたくて
一人線路を歩いた5歳の春を
思い出す
お父さんにソックリな
私を産んだのは
お母さんでしょう
私は私のまま
母に愛されたい
∞
偶にはこんな日記を
書いてもいいよね。。。