乗り換え 感動には色がある
茅ヶ崎のTAIZOへ。
イケメンたちの回し食いの影響ってすごいんすね。
まぁ、お目当てのパンは無かったけども、「同じパン粉使っるてるやん!」ってことでいろいろ買い漁ってランチしました。
松本の潤氏が2年前に食された
元祖生プリン。
どこをどう切り取っても綺麗でした。
good spoon。
お目当てはこちら。
愛しのダーリンが食されたボロネーゼ。
チーズを絞り出してましたな。
地元の駅で翔ちゃん
乗り換えの駅で嵐さん
薬局で雅紀さん
そしてラプラスの魔女のラストシーンのロケ地(右上)、鮫島社長がお仕事する鮫島ホテル(左側)ももちろんウロウロ。翔ちゃんが大好きだと公言する横浜の街並み(右下)。翔ちゃんはどのあたりがお気に入りなんだろうと妄想しまくりです。
です。結構な階段を駆け下りてたのね、翔ちゃん❤
乗り換え 私の顔が会社の顔です
いつもご訪問ありがとうございます☆
こちらは、がんばらない、
ゆるゆる気軽に楽しい節約を実践する
主婦の気ままなブログです。
毎日たくさんのコメント
ありがとうございます!
ただ今お返事を
お休みさせていただいておりますが
一つ一つ大切に読ませていただいています!
本当にありがとうございます(*^_^*)
——————————————————-
冒頭の挨拶が見づらいとコメントいただき
ちょっと小さくしました。
自分でももっと整えなきゃと思っていますが
手が回ってなくてすみません!
いったん、このようにさせていただきます。
たまたま、4年前の今日のブログが
マイページに出てきました。
懐かしい、自分の作品。
今まであまり
仕事のつっこんだことは書いてこなかったので
近況など書いてみようと思います。
まず簡単に略歴。
私は18歳で三重から東京に移り
アートの専門学校に2年行きました。
イラストレーターになりたかったけど
実力もなく、生活に追われ
卒業後は洋服の販売のアルバイトをしました。
生活は苦しくて
本当にやりたいこともしていない
というもんもんとした日々。
その間に洋服、
靴、アクセサリー、バッグなど
さまざまなショップで働きました。
この頃は良いものを見て
たくさん知識を吸収しました。
23歳の頃、
何かデザインの仕事に就けないようなら
もう地元に帰ろうと思ったとき
アパレルデザインの会社に合格しました。
洋服の学校には行っておらず
服作りはすべて職場に入ってから覚えました。
Tシャツのグラフィックデザインも
ほとんど独学で
アパレルに必要なことだけ調べて覚えました。
超ブラック企業だったので
新人が3日で来なくなるなんてザラで
3年以上、一番新人のポジションでした。
最終的に、その会社で
自分のブランドを立ち上げます。
が、激務の果てに自分のブランドも無くなり
体を壊して鬱になり退職しました。
1〜2年治療をしながら過ごし、
だんだんアパレルに戻ります。
次に入った会社では
かなり大きなブランドをいくつか担当しました。
OEMという形態で
例えばシャ◯ルから出る商品を
他社がデザインして納品するというのがあります。
私はOEMの会社にいたので
メンズ、レディース、キッズ
大手から109系まで様々なブランドを担当しました。
その会社にいるときに
結婚し産休に入ります。
が、どうしようもない理由で
東京から三重に
赤ちゃんと夫と引っ越し
戻るはずだった会社を断りました。
三重県には
ほとんどアパレル会社はない。
東京を離れて
フリーの洋服デザインはどんどん減りました。
3年前には夫が病気になり失業しました。
私はフリーの仕事、新聞配達、
広告デザインの会社にパートに出て
トリプルワークになりました。
ソフトを少し使えるという理由で
広告デザインのパートに就いたけど、
アパレルと、広告のデザインでは
知識も全然違って、似て非なるものでした。
知識も実力も追いつかないので
毎日帰りの車で泣きました。
新聞配達もやりがいはあったけど
朝2時起きで家族を支えるのはつらく
生理も止まって
毎日38度近い変な体温になっていました。
デザイン事務所の社長が
新聞配達のことを知り
「うち一本でデザインを勉強してみなさい」
と言ってくださったことから
配達をやめました。
イラストレーターとして活動した事は
それまで無かったのですが
デザイン事務所ではイラストを使っていただき
絵の経験も積みました。
そうして2年ほど勉強し、
でもその間に
自分の中でやりたいことも見えてきて、
そしてコミュ障なこともあり
パートを卒業しました。
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そして去年から
本格的にフリーランスになり、
ちょうど1年が経ちました。
今はというと、
アパレルの頃の仲間たちが独立し
会社を立ち上げている人が多く、
デザインの外注を受けています。
また、先日のように
カタログ撮影のカメラマン、モデル手配など
ディレクションの仕事もしています。
また、広告デザインも入るようになり
イラストの仕事も受けるようになりました。
ブログを通して
記事執筆などのお仕事も
いただくようになりました。
今まで経験してきたことの
点と点がつながり
線になって
また他の線と交わり
新しいことにつながっています。
東京から引っ越した、あのとき。
それまでずっと積んできた
アパレルのキャリアを捨てることになった。
全部が絶望的だった。
いろんな状況を恨む事もできたけど
自分で決めたことだから
三重で、新しい道を探しました。
腐らなかったし
諦めなかった。
いつもまっすぐぶち当たってきた。
私は奇才天才ではない。
才能といえば
「やりたいと思ったら、できるまで練習する」
しかない。
不器用で1人じゃ何も出来ないから
たくさんの人に助けてもらった。
ただそれを積み上げてきた。
そしてこれからもずっとコツコツやると思います。
6年かかったけど
逆に言えば6年で
また新しい道はできるんだな
と実感しています。
今日は、
半年前から携わっていた商品が
店頭に並ぶ日です。
後でお店見に行きたいなぁ
その前に
今から農作業頑張ります
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いよいよ明日から新学期ですね。
テンちゃんも中2の始まりです。
1年前のちょうど今頃、テンちゃんが一番、気にしていたのは、
「友達ができるかな〜」
でした。
物心つく前から保育園に通って、気がつけば周りに友達がたくさんいて、
そのまま地元の公立小学校に通いました。
塾も個別指導塾だったので、
知っている子が全くいないところで一日過ごした経験がほとんどない。
それ以前に、通勤電車に揺られる経験もほぼゼロ。
そもそも学校のある地域のことを全く知らない。
知らない尽くしのスタートに彼女は緊張しまくりでした。
あれから1年。
早いな〜。
彼女は1年成長し、私はまた1年衰えてしまった・・・・。
初日は午前中で帰宅でした。
ところが、なかなか帰ってこない。
「どうした?電車で迷ったのかな?」
予定より1時間遅れて帰ってきたテンちゃんの第一声は、
「ただいま〜。友達ができたよ〜」
でした。
駅のホームで、
「同じクラスだよね?」
と、声をかけられ、自己紹介しあって一緒に電車に乗って、途中まで乗ったところで、
「あれ?私、方向逆だ」
間違えたのは友達の方で、それから一緒に反対側の電車に乗って、その子の乗り換え駅まで一緒で、
「明日から一緒に駅で待ち合わせして一緒に行くことになったよ。よかった〜。初日から友達ができるなんてラッキーだよね」
あの心からの笑顔を思い出します。
中学受験を経験して同級生になった子たちは、ほぼ同じ学力層で新生活をスタートします。
「みんな同じ」
と、いう安心感。
ありますよね。
ただ、この”ほぼ同じ学力層”というのが曲者で、
「みんな同じ」
が、油断を生むのも事実です。
“みんな同じ”だけども、
ほとんどの中学では、中間試験で順位が出ますよね。
点数が団子状態でも、僅差でも、
順位は最初の立ち位置を決めてしまいます。
順位という数字は非常に残酷なもので、
ちゃんとトップから最下位までの数字が明確に現れるということです。
生徒が200人いたら、1位から200位まで順位が出るわけで、
一度出てしまったら、もう、
「みんな同じ」
なんて言っていられなくなるのです。
上位の子は、
ホッとするでしょうし、
下位だったの子は、
「え?わたし、下の方なの?」
と、なってしまう。
この差は大きいです。
学力はほとんど変わらないはずなのですが、気持ちが大きく変わります。
だからと言って、中学受験と同じようなペースで勉強をする必要があるのか?
と、言えば、あえてそうする必要はありませんが、
あれだけ数年かけて勉強をする習慣をしっかり身につけてきたのだから、
その習慣は続けた方が良いでしょう。
なぜなら、
“みんな同じ”ような習慣を身につけているし、大半の子がその習慣を守り、勉強を続けるからです。
仮に、最初の試験で成績下位となった場合、そこから頑張って勉強するのは精神的にはキツいです。
正直、「順位を上げる」というメンタルは、キツい。
最初の試験で上位に入った子は、ひとまず安心するでしょう。
だからと言って、その安心が、案外油断には繋がらないのです。
上位の子はすんなり勉強に入っていけます。
最低でも順位を維持したいと思うでしょう。
つまり、何が言いたいかというと、
やりすぎる必要は決してないけれど、
やらないと、順位は簡単に下がるし、
やらないと、取り戻すのは受験以上に大変かもしれないということです。
「小学生の時は成績上位だったのに、この学校では自分は下位なんだ・・・・」
と、決めつけて諦めるのではなく、
今まで身につけていた勉強習慣をペースを乱すことなく続けられるか?
学力層は、
「みんな同じ」
かもしれないけれど、
勉強のペースや、やり方や、それまでの生き方もみんな違うわけですから、
まずはこれまでやってきたペースを乱さず続けることが大事なのです。
そこがすごく大事になってきます。
中高一貫校の6年間は長い長い道のりです。
10代の3分2をそこで生活するのです。
おそらく一生の友達も、そこでできるでしょう。
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将来を決める決断をするのもその場所かもしれません。
その中で、新しいやり方を見つけるでしょう。
それまでは今のやり方を維持することです。
最初の試験で一喜一憂することは仕方ないと思います。
だからと言って、
ペースを乱さないこと。
やることはやる!
中学生活を楽しんでくださいね!
最後まで読んでくださってありがとうございました。