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日本で「第九」が初演されたのは、ちょうど100年前の1918年。
徳島の俘虜収容所でドイツ人が演奏した。
日本人による初演は、6年後の1924年のことである。
この前年、関東大震災が発生。
復興の途上で開かれる第九の演奏会は、各界の大きな関心を呼んだ。
「疲れ果てた心を振り起して、此処に吾人は、
『歓喜の歌』を謡おうとする!」と、
日本の音楽学者の草分けである田村寛貞は記している。
(『ベートーヴェンの「第九ジュムフォニー」』岩波書店)
演奏会当日は、数時間前から長蛇の列ができ、
会場は廊下まで聴衆であふれた。
大盛況の演奏会は、人々のすさんだ心に、
希望の灯をともすものとなった。
失われていく聴力、保守的な旧社会の人々からの圧迫、
経済苦や家庭の問題――
ベートーベンは絶えず深刻な苦悩にさいなまれていた。
その一つ一つと向き合った末、「悩みを突き抜けて歓喜に至れ」と、
人間精神の勝利をうたい上げた第九は、
今なお世界の人々の心を鼓舞してやまない。
本年の掉尾を飾る座談会が、各地でにぎやかに行われている。
第九のメロディーに乗せて、「創価歓喜の凱歌」を歌う地区もあろう。
広宣流布に挑む誓いと喜びの声を高らかに響かせ、
明“創価勝利の年”へ朗らかに進んでいこう。(由)
名字の言>2018.12.14
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「佐渡御書」日蓮大聖人御書全集P958
鉄(くろがね)は炎打(きたいう)てば剣(つるぎ)となる
賢聖(けんせい)は罵詈(めり)して試(こころ)みるなるべし
~通解~
鉄は鍛え打てば剣となる。
賢人・聖人は罵(ののし)られて試(ため)されるものである。
~池田先生の指導~同志への指針
いよいよ、世界中で地涌の青年が躍り出る、本門の時代が到来した。
挑戦こそ、若人の特権だ。不屈こそ、青春の異名だ。
仏法即社会という最極(さいごく)の使命の大舞台で、
思う存分に乱舞(らんぶ)してもらいたい。
試練は宝、悪口罵詈(あっくめり)は誉(ほま)れである。
恐れず怯(ひる)まず、快活(かいかつ)に忍耐強く、前へ前へ進むのだ。鍛(きた)え抜かれた創価の若き宝剣たる君たちこそが、
人類の新時代を創造するのだから!
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妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがえる義なり
~通解~
妙(みょう)とは蘇生(そせい)の意味である。
蘇生とは蘇(よみがえ)るということである。
~池田先生の指導~同志への指針
信心を根本に生きる人は、どんな状況、どんな場所にあっても、
「ここ」から「新たな出発」を切っていける。
「いま」から無限の「希望の未来」を開いていける。
わが心、わが地域を蘇生させ、
必ず自他ともに幸福の人生を飾っていくことができる。
そのための仏法である。
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「祈祷抄」 日蓮大聖人御書全集 P1351
大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・
潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・
法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず
~ 通解 ~
大地をさして外れることがあっても、大空をつなぐ者があっても、
潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、
法華経の行者の祈りが叶わないことは絶対にない。
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「四条金吾殿御返事」 日蓮大聖人御書全集 P1192
ただ心(こころ)こそ大切(たいせつ)なれ、
いかに日蓮(にちれん)いのり申(もう)すとも
不信(ふしん)ならばぬ(濡)れたる・ほくちに・
火(ひ)をうちかくるが・ごとくなるべし、
はげみをなして強盛(ごうじょう)に信力(しんりき)を
いだし給(たま)うべし
~ 通解~
ただ心こそ大切である。
いかに日蓮が祈っても、あなた自身が不信ならば、
濡れている火口(ほくち)に・火を打ちかけるようなものである。
勇んで強盛に信力を出しなさい。
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「転重軽受法門」日蓮大聖人御書全集P1000ページ・編379
先業(せんごう)の重(おも)き今生(こんじょう)につきずして未来(みらい)に地獄の苦を受(う)くべきが今生にかかる重苦(じゅうく)に値(あ)い候(そうら)へば地獄の苦(くるし)みぱっときへて
~通解~
過去世の重い業が今生では尽きずに、来世に地獄の苦しみを受けるところを、今生にこのような重い苦しみにあえば、地獄の苦しみがぱっと消えて……。
現世に正法を信ずることにより、過去世の重い業の報いを軽く受け、消滅させていけると、「転重軽受」の法理を示された一節です。
~池田先生の指導~
仏法では、過去の善・悪の振る舞い(心・言葉・動作)が、
自分自身の生命に善・悪の業として刻まれ、
その報い(果報)が未来に、楽や苦となって、
必ず、あらわれてくると説いています。
過去世の重い罪業による地獄のような苦しみの境涯も、
妙法を弘めようとして遭遇する難を乗り越えることで、
その罪業を消滅させて宿命転換することができる。
罪業をなくしてゼロにするだけでなく、仏界の境涯を開き、
プラスの人生を歩んでいけるようになる。
このことを説いたのが転重軽受という法門です。
信仰のうえで起こる難は、“転じて軽く受けている”姿であることを
忘れてはなりません。
現在世に正法を信じ、修行に励んでいくことで積まれる
「護法の功徳力」によって生命が浄化され、智慧の力、
生命力が強化されて、一切の罪業の苦悩を消滅させ、
成仏という絶対的な幸福境涯を得ることができるのです。
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( ‘ω’ )「ねねしゃん、また変なの持ち帰ってきたでしゅ!いい加減にするでしゅ!」
ごーめーんー!
昨日は用事があって小倉駅にいました。。
とあるビルであった説明会に参加するためでしたが、そのビルを出る頃に変なめまいがあるのに気づきました。
お腹すいて低血糖なのかな?って思ってご飯屋さんに移動するも、食べてもなんかやっぱり変。。
気持ちも悪く、揺れてる感じでやっと、おかしいと気づきました。
なんか古い霊がいっぱい頼ってきているわってなりました。。。
(変だなって視たけど、特に街中歩く時は普段はこういうのをオフにしています。見たら余計に寄ってくるから…。。)
他にも寄りたい場所があったけど、そのまま逃げ帰りました
実家にも寄る予定だったけど、中止にして真っ直ぐ帰りました。(忘れ物大王はコートをまるっと忘れてしまったのでorz)
帰ったら案の定、まろんぴちゃんが吠える吼える。
うわーやばーいと思って、お不動様にお願いしてみましたorz
横になってましたが、夜にはだいぶマシになりました。目眩はまだありましたが。
後からなんだったんだろうって思いつつ、小倉は駅には10年以上…いやもっとかな、すごく久しぶりに行きまして、以前来た時はこんなことなかった気がするって思いました。
なんできのうに限って…と、調べてみたら最初は小倉藩と長州藩が幕末に戦争していたとありました。
これ?と思いつつ、ちょっと違うなぁ。。もうちょっと古いなぁってなりました。
もう少し調べてみたら、小倉では大昔キリシタン弾圧があったことがわかりました。
ひえーΣ(゚д゚lll)
当時の小倉藩の藩主は、かの有名な細川ガラシャの旦那さんなんだそうです。
ガラシャの影響もあってか、当初は小倉ではキリスト教の布教が認められていたそうです。
サビエルさんも山口に行くのに通ってますし。
でも関ヶ原の後、細川氏は転じてキリスト教を禁止し、弾圧側にまわってかなり厳しく取り締まったようです。
私が視えた感じだと、かなり大量の方が弾圧されたようです。
読んだページにも、弾圧されてキリシタンの人はほとんど居なくなったみたいなことが書かれてありました。
ああ〜それでかーってなりました。
あとそのページには小倉城やリバーウォークあたりの話が載ってましたが、実際の刑場的な場所はもっと港の方じゃなかったのかなぁと。
実はそのビルは小倉よりやや港よりにあって、説明を受けていた時、イタリアの教会やバチカン、マリア像の映像が流れていたのです。。。
それもあって、マリア様やバチカンのことやイタリアでの過去生のことを考えていました。
すごくキリシタンの方と繋がりやすい状態だったと思います。
しばらく小倉に行く予定はありません。(行きたくないですが。。)
仕方ないので、寝る前に瞑想しながらマリア様に祈りました。
その直後青い光(マリアブルー)が視えて自分の体が楽になったので、いくらかは成功したかなと思いました。
個人的にマリア様は最強だと思ってます。
あと最近忙しすぎてすっかり忘れてましたが、先日おねさんのことをメールして来た人がいました。
だから「ねね」って名前なんですねって文章を読んで、この人はかなり勘違いされてるかもしれないなぁと思いました。(違っていたらすみません)
時々こういう勘違いされてメールされる方がいます。
過去記事読んでもらえるとわかりますが、私がおねさんの過去生を知った一年半前には、もう「ねね」を名乗ってました。
しかもその時はとっくに本も出版していて、PNもしっかり明記されてあります。
正確に言うと今のペンネームを名乗り始めたのは、震災の2、3ヶ月後くらいです。
私が自分で思い出してそれで有名人の名前を借りて名乗ってると勘違いされてる方もいるようですが、記憶を自力で思い出したわけではないし、鑑定で言われたことをブログにそのまま書いただけです。
しかもその霊能者さんもびっくりして、師匠さんにも確認してもらって同様の鑑定結果になったと言われていました。
自称で有名人の名前使うんだったらもうちょっと違う人にしますわって思います(笑)それこそガラシャとかー!!ガラシャとかー!!!(笑)
ガラシャがどんな人だったのかすごく見てみたい!
あまり接点ないようで、ガラシャ関係に呼ばれたことがほとんどないです。(今回はなぜか夫の方だったけど)
ていうかこの方は私を呼ぶ必要はないんじゃないかなぁ。きっと成仏してると思うし、下手したら綺麗に神あがりしてそう。
今はマリア様の下で、視えない世界で働いてるくらいの人ではないかと思います。
霊能者さんには過去生の影響で、今の名前を無意識に選択したんじゃないかと言われました。
以前も書いたけど最初フッと目の前に視えたのは、漢字の寧々でした。
それだと大塚寧々さんを連想するなぁってなって、読みやすいように平仮名にしました。
それと過去になぜか大塚寧々さんに似てるって言われたこともあります。実際問題似てませんが(笑)
どこで聞いてきたのかわかりませんが、ほんとにネットの情報っていい加減だなぁと思いました。
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