ジャンルの超越が裏山を進化させる
2017年8月11日、石巻を訪れた。
以下の山本えりさんの寄稿にある「門脇小学校」(廃校)、「日和山公園」にも足を運んだ。
3枚の写真はその時撮影したもの。
3.11、我が子の安否を確認するため多くの保護者が門脇小学校に押し寄せた。グラウンドに停めた車は津波に流され、ぶつかり合い、ガソリンが引火し、校舎にも燃え移った。
生徒、保護者関係なく学校にいた全員を誘導し裏山に非難。ほとんどの人たちが難を逃れた。
2011年大みそか。NHK紅白歌合戦で長渕剛はこの校庭で「ひとつ」を歌った。
日和山公園から見える景色。あの日、この一帯に津波が押し寄せた映像は忘れない。
2011年8月、瓦礫の中に咲いた一輪のひまわりは「ど根性ひまわり」と名付けられ、復興の象徴として、毎年世界中で花を咲かせている。
「ど根性ひまわり」最初の一輪が咲いていた付近に「がんばろう!石巻」の大看板が設置され、今でも多くの人たちが訪れる。
_____________________________________
石巻南浜復興祈念公園こころの森に樹を植えに行きませんか
あい☆えがお代表・山本えりさん/特別寄稿
トラベルニュースat 19/02/28クローズアップ:特集
2011年3月11日、津波で約400人の命が奪われた石巻市南浜地区。13年に石巻、女川など被災地を巡った時、沿岸部は走っても走っても津波で流された荒野が延々と続き、被害の深刻さを感じました。17年3月に再び伺った時、日和山や南浜の震災伝承グループ「みらいサポート石巻」にご案内いただきました。
そして、ここが地震のあと津波に襲われ3日3晩燃え続け、甚大な被害があった場所であり、目の前の山の中腹に見える囲いで包まれた黒っぽい建物が11年大晦日の紅白歌合戦で、長渕剛さんがロウソクの火を灯し熱唱されていた門脇小学校の廃墟だと知りました。
南浜地区・門脇地区は今、整地された土地が広がっています。ここに人々の日常があったと想像することは難しかったけれど、1700世帯約3千人の方々がいたことは震災前の写真や生き残った方々のメッセージで知ることができました。
「南浜地区は地震で地盤沈下し、塩害被害もひどく住宅区域としては使えません。この町に住んでいた方、ここで家族・親族・友人知人を亡くされた方、日和山から見える町の風景を愛していた方にとって、この荒野は悲しみと痛みしかありません。それで、緑の公園にするプロジェクトが進み始めました」
こうして「石巻南浜復興祈念公園 こころの森プロジェクト」として、手づくりの森づくりは始まりました。
日和山に逃げることができた人たちは、目の前で逆巻く津波に、町が、車が、友人がのみ込まれていった記憶に苦しんでいます。その苦しみや痛みを緑豊かな森で少しでも癒すことができます。森は防波堤にもなり、コンクリートの壁のように街と海を切り離すのではなく、街も海も大切に守っていけると思うのです。皆の力が集まれば「心の森」ができ、人々が優しい気持ちで集える追悼の場所になります。
植えているのは、根をしっかり張るナラやカシなど広葉樹を中心に、地元の里山でどんぐりを集め種から育てた苗木です。地域の高齢者、被災者、サポーターの方々が10年で15万本の植樹をしながら、木々を育て、循環する森づくりをしていこうとなさっています。
17年9月に初めて開いた植樹祭で3千本を植樹し、森づくりのスタートを切ることができ、秋からは来場者をおもてなしする花畑づくりも始まりました。けれど、経済的には困難な状況です。18年にクラウドファンディングに申し込みましたが目標を達成できずに終わりました。
そこで17年9月、被災地の今とこのプロジェクトを伝えるために、全国の仲間を当地にご案内しました。その後、参加者のおひとりが18年3月11日に東京で被災地支援のための講演会を主催し、4月末に集まった義援金を持って「こころの森」で植樹をしてくださいました。被災地に行くこと、それだけで復興支援になります。意識が変わります。
1本500円で苗木を植樹して、自分の手で未来の森を創っていきませんか? 全国の皆さん「こころの森」へ一緒に樹を植えに行きましょう。19年7月29―31日に一般社団法人シンギング・リン協会主催の植樹の旅が決まっています。
1974年の裏山
テーマ
1.コウライキジ
2.60ヶ月連続100万(800km)歩達成
1.コウライキジ
裏山は手稲山連峰に連なることから、時々コウライキジが庭へやって来る。
日没が迫ると高野槙をねぐらにする時もあります。
先日もガサガサ高野槙の方角から音がした。ねぐらの整理に取り掛かっていたらしい?
庭でエサを探すコウライキジ
写真は♂
足跡
裏山掘り出し物市場
子供のこと
お父さんのこと
妹と甥っ子のこと
先住猫のタオのこと
去年4月に保護をした猫で
今現在は義母の元で暮らしている
春くんのこと
どうして
さくや∞は何でもかんでも
自分一人で抱え込むの❓
お父さんにソックリ
と母が嫌う父の名前を
直ぐに口に出して
私を批判する
子供の頃からずっとそう。
他人のことは
適当に聞き流して
放っておきなさい
そんなんだから
身体を壊すのよ
今さくや∞に倒れられたら
お母さんが困る
と今ある問題をすり替えて
私に怒りを打つける母
私は自分から問題を探してまで
ボランティアに行くような
聖人君子でもないし
他人の人生を背負うほど
力のある人間だとも自惚れていない
どうして❓と聞かれたならば
【家族だから】と答える
それ以外に何の意図もない
私の生き方を
他人に何と言われても
構わないが
お母さん
貴女にそう言われるのが
一番堪えるし
一番悲しい
今回お父さんや妹を
支えようと頑張ったのは
お母さん
全部お母さんの為だよ
お母さんの負担を
少しでも軽減したくて
わたし頑張ったんだよ
でも
そんな想いは
いつも母には届かない
長年母との確執を
なんとか自分なりに整理して
母を赦したい
そのままの母を
心から愛したいと
私なりに何年も何年もかけて
消化してきたつもりだけれど
母が嫌いな
お父さんにソックリ❗️と言う
言葉で責めらると苦しい
いい歳した大人なんだけど
母に会いたくて
祖父母の家の裏山を登って
母に会いたくて
一人線路を歩いた5歳の春を
思い出す
お父さんにソックリな
私を産んだのは
お母さんでしょう
私は私のまま
母に愛されたい
∞
偶にはこんな日記を
裏山 関連ツイート
そういえばフレ承認あり^q^