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初めての妊娠は5w3dで終わったわけですが
この場合、供養ってどうするんだろう?
水子供養というものはありますが、あまりよく知らなかったので調べてみました
そもそも水子とは、本来は新生児の事を指す言葉だったようです
その他で中絶や流産で亡くなった子を意味するそうです
水子供養という概念は世界でも珍しく、日本ほど広まっている国はあまりないそうです
そんな日本ですが、諸説あるものの、そもそも水子供養というのは江戸時代にでてきたもので、 広く一般に広がったのは昭和時代という、思いの外最近の文化でした
それというのも、もともと昔は衛生状態や栄養事情から流産や子供の死亡率と言うのはかなり高く、そのために「子供は七つまでは神のうち」という言葉まであるほどです(この考えは神道ですかね?供養という考えは仏教です)
ネットで調べてみると
水子の祟りは恐ろしく、きちんと供養せねば親類縁者みんなに祟りをもたらす。という説(霊能者というか宗教家というかそっち系の)もありますし
水子は純粋な存在で恨み辛みという概念は持たない穏やかな霊である。という説もありました
では、水子ってどの段階から?
とあるお坊さん曰く、魂が宿るのは人の形になってから。だそうです
…手足ができてからなのか、尻尾(?)が無くなってからなのか…そこもまた曖昧です
旦那のお母さんの実家はお寺で、旦那もその宗派の高校を出ていたり、お盆にはお寺のお手伝いなどもしていたのですが、旦那に水子供養どうするかきいてみたら
「水子にもなってないのに?」
と言われました
流産といわれた当初こそショック受けてましたが、その後哀しむ素振りがないのはそもそもの認識のズレか。と、その時気づきました
(でも、今でこそ落ち着いてるからいいものの、たぶん流産宣告された時にこれ言われてたらひっぱたくだけじゃ済まない程度には無神経だぞ旦那よ)
それでも私にとっては二人の子供です
確かにお腹の中で生きていた命です
何かしら供養したかったのですが、水子ってどこからかと考えると…
胎児と呼ばれる頃からなのか、心拍が確認できたらなのか、着床できたらなのか…
そこまで考えると、ふと最初の移植周期を思い出しました
最初の胚盤胞
着床はしなかったけど
それでも夫婦二人の細胞を受け継いで受精して、移植するときも確実に生きてた
お腹の中で残念ながら生きられなかったあの子は水子にならないのか
前回も今回も、私のお腹の中で一緒にいたのは同じなのに
そこまで考えるともう生命ってどの段階から?って話になるんですけどね
霊能者?というか宗教家?何て言ったらわからないのですが、化学流産でも水子であり、ちゃんと供養しないと祟るってHPに書かれてる方もいましたが…(そして供養の依頼はこちら→って呼び込んでましたが)
この世の中に化学流産に気づかない人なんてかなりの確率でいるし、気づかなければ供養もしてない。それで親類縁者まで祟られるならとっくに死に絶えてるわ。って結論になりました
まぁでも祟られたくないから供養するってのがそもそも間違いですよね
あと気になったのが、供養すると成仏していくのですが、成仏すると再び生まれてくるのは300~400年後になるそうです(仏教の輪廻転生)
ということは、今生で自分の子供としては産まれてくれない
それはちょっとさみしい
と、頭働いてるのか働いてないのかわからない精神状態でつらつら考えましたが
結論は
お花と赤ちゃん用のお菓子を買ってきて、家で手を合わせて、感謝とまた帰ってきてねを伝える
に、落ち着きました
陰性の胚盤胞ちゃんと、今回着床してくれた胚盤胞ちゃんの二人(?)に
これはあくまで私なりの弔い方ですし、100人いれば100通りのやり方があっていいとおもいます
大切なのは形式よりも気持ちの在り方ですしね
凛として成仏
前回に続いて闘病生活ではない内容のブログです。
自分の人生を振り返ってみて
思う事をここに綴りたいのです。
■中、高校生〜大人 身体、精神的にも虐待
私は幼い頃からずっと実母から虐待に合っていました。
金使いの荒い母はいつも「売掛け」で買物をしていました。
カード払いが出来ない昔は商店街で
電化製品、カーテン、インテリア等
「月末に払うで付けといて〜!」
で買物が出来た時代。
当然月末にはお店の人が集金に来る。
でも母は
「また今度にしてくれる?」
お店の人 「え…奥さん月末に払うって言ったじゃないですか。」
結局 約束を守らない。
いつも、毎回こんな調子。
催促の電話もガンガンかかってくる。
電話に出るなと言われた。
【私への精神的虐待】
・中学生の時お正月に郵便局で年賀状の仕分けのバイトをしました。
僅かながらのバイト代
嬉しかったぁ。。。
お金を貯めていつかこの家から出よう。
と思いました。
虐待に合う度
叩きたいだけ、イジメたいだけやれば良い!
身体を丸め、頭を中に入れて、蹴飛ばし続けられる。
この家にいたら私の人生は無い!
早くこの家を出たい!
出よう!
お金を貯めて!
私は絶えた、絶えた。
我慢、我慢した。
高校生になり
平日、土日祝日、夏冬春休み
バイト三昧で軍資金を貯めた。
そのバイト代を隠して置いたのは…
自分の机の本と本の間。
ある日バイトから帰ってきた私に母が
「今日ねえ、どうも泥棒が入ったみたいで、あんたのもんも何か取られとらんか?」
母が台所に行った時、
自分の机の中の軍資金を調べた。
まさか、、、
無かった。
全部取られた。
やられたかー。
やったのは母だ。
すぐ分かった。
父が帰宅して相談した。
父「そういうことやめたれやー」
母「無言」
翌日
母「お父さんに言いやがって!
死ね!」
掃除機の柄で叩かれた。。。
その後
軍資金の隠し場所は
全部一緒にまとめず分散した。
少しづつは取られるけど、
少しは残った。
高校生の時は、
ご飯を作らない母だった。
お米だけは何故か炊いてあったのですが…
夏場は臭い匂い。腐っているのです。
他に食べる物がないので仕方無しに腐ったご飯に水をかけて食べていました。
お茶すら沸かさないです。
高校卒業と同時にこの家を出た。
念願の夢
あいつらと別れられた。
6畳部屋とキッチン、トイレ風呂付き
家賃27000円のボロアパート
どんなにボロアパートでも
幸せだった。
何も無い部屋で
私は大の字で寝転がった
幸せ〜〜
こんなに幸せなの初めて〜
その日から布団の中で泣かなくてもよくなった。
やっとあいつらから逃げられた。
幸せ〜
良く頑張った。
長いこと絶えた。
生まれて初めてホッとできた。。
ふぅ。。。
やっと幸せ〜
その後…
大人になっても金貸してくれ。何度も攻撃
もちろん返ってきたことは無い。
父と分かれるので家裁に来てくれ。とか言われた。
結局。独り立ちできない母。ズルズルと結婚生活は続くが。
あの家にいた頃
いつも夫婦喧嘩ばっかり、
包丁持ち出して、
「殺せー!」だのは日常。
殴り合い、蹴飛ばし合い、罵倒し合い等
もう聞かなくても良い!
毒親
数年前父は他界しました。
現在75才の母は特養老人ホーム入居。
金の計算が出来なくなり、
誰でもかんでもお金を借りるようになった。
もちろん光熱費等滞納
人とワイワイ話したりどこかに出かけりするのは大好きなので携帯代だけは払っている。
笑っちゃいます。
私には考えられない。
あり得ない。
人格障害なので夜中に寂しくてギャーギャー騒いだらしく隣の人から苦情。
入院すれば皆がお見舞いに来てくれるから楽しいと言ってどこも悪くないのに救急車を呼び
嘘で胸が苦しいとか言って入院。
検査でどこも悪くないのですぐ退院。
また寂しくなると嘘病で救急車を呼ぶ。
何度もその繰り返し。
毎回なので病院側から私達娘に注意された。
看護師さんにも、
お母さん救急車に乗って来る時
綺麗にお化粧して洋服もバッチリきめてますね。
って、笑われた。
昔から変わらない。。。
イライラが湧いてきた。
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憎い。
今でも憎い。
私の心の傷はまだ残っている。
人を憎んだままでは
あの世に行っても成仏できないとか
天国でも幸せになれないとか
聞いた。
もう嫌な思い出ここで吐き出して最後だ!
もう良い。
毒親もあの世で真当な人間になって幸せになれ。
もう憎まない。。。
でも毒親と同じ墓に入るのは絶対 嫌。
少しでも動けるうちに自分の墓 手配しなきゃ。。。
浮気をしたこともあったが、やっぱり成仏が一番だ
初めての妊娠は5w3dで終わったわけですが
この場合、供養ってどうするんだろう?
水子供養というものはありますが、あまりよく知らなかったので調べてみました
そもそも水子とは、本来は新生児の事を指す言葉だったようです
その他で中絶や流産で亡くなった子を意味するそうです
水子供養という概念は世界でも珍しく、日本ほど広まっている国はあまりないそうです
そんな日本ですが、諸説あるものの、そもそも水子供養というのは江戸時代にでてきたもので、 広く一般に広がったのは昭和時代という、思いの外最近の文化でした
それというのも、もともと昔は衛生状態や栄養事情から流産や子供の死亡率と言うのはかなり高く、そのために「子供は七つまでは神のうち」という言葉まであるほどです(この考えは神道ですかね?供養という考えは仏教です)
ネットで調べてみると
水子の祟りは恐ろしく、きちんと供養せねば親類縁者みんなに祟りをもたらす。という説(霊能者というか宗教家というかそっち系の)もありますし
水子は純粋な存在で恨み辛みという概念は持たない穏やかな霊である。という説もありました
では、水子ってどの段階から?
とあるお坊さん曰く、魂が宿るのは人の形になってから。だそうです
…手足ができてからなのか、尻尾(?)が無くなってからなのか…そこもまた曖昧です
旦那のお母さんの実家はお寺で、旦那もその宗派の高校を出ていたり、お盆にはお寺のお手伝いなどもしていたのですが、旦那に水子供養どうするかきいてみたら
「水子にもなってないのに?」
と言われました
流産といわれた当初こそショック受けてましたが、その後哀しむ素振りがないのはそもそもの認識のズレか。と、その時気づきました
(でも、今でこそ落ち着いてるからいいものの、たぶん流産宣告された時にこれ言われてたらひっぱたくだけじゃ済まない程度には無神経だぞ旦那よ)
それでも私にとっては二人の子供です
確かにお腹の中で生きていた命です
何かしら供養したかったのですが、水子ってどこからかと考えると…
胎児と呼ばれる頃からなのか、心拍が確認できたらなのか、着床できたらなのか…
そこまで考えると、ふと最初の移植周期を思い出しました
最初の胚盤胞
着床はしなかったけど
それでも夫婦二人の細胞を受け継いで受精して、移植するときも確実に生きてた
お腹の中で残念ながら生きられなかったあの子は水子にならないのか
前回も今回も、私のお腹の中で一緒にいたのは同じなのに
そこまで考えるともう生命ってどの段階から?って話になるんですけどね
霊能者?というか宗教家?何て言ったらわからないのですが、化学流産でも水子であり、ちゃんと供養しないと祟るってHPに書かれてる方もいましたが…(そして供養の依頼はこちら→って呼び込んでましたが)
この世の中に化学流産に気づかない人なんてかなりの確率でいるし、気づかなければ供養もしてない。それで親類縁者まで祟られるならとっくに死に絶えてるわ。って結論になりました
まぁでも祟られたくないから供養するってのがそもそも間違いですよね
あと気になったのが、供養すると成仏していくのですが、成仏すると再び生まれてくるのは300~400年後になるそうです(仏教の輪廻転生)
ということは、今生で自分の子供としては産まれてくれない
それはちょっとさみしい
と、頭働いてるのか働いてないのかわからない精神状態でつらつら考えましたが
結論は
お花と赤ちゃん用のお菓子を買ってきて、家で手を合わせて、感謝とまた帰ってきてねを伝える
に、落ち着きました
陰性の胚盤胞ちゃんと、今回着床してくれた胚盤胞ちゃんの二人(?)に
これはあくまで私なりの弔い方ですし、100人いれば100通りのやり方があっていいとおもいます
大切なのは形式よりも気持ちの在り方ですしね
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