成仏 ノンストップひきこもりアクション小説。

成仏 ノンストップひきこもりアクション小説。

成仏 美しい日本語を喋る、大人のラジオ局

前回に続いて闘病生活ではない内容のブログです。
自分の人生を振り返ってみて
思う事をここに綴りたいのです。
■中、高校生〜大人 身体、精神的にも虐待
私は幼い頃からずっと実母から虐待に合っていました。
金使いの荒い母はいつも「売掛け」で買物をしていました。
カード払いが出来ない昔は商店街で
電化製品、カーテン、インテリア等
「月末に払うで付けといて〜!」
で買物が出来た時代。
当然月末にはお店の人が集金に来る。
でも母は
「また今度にしてくれる?」
お店の人 「え…奥さん月末に払うって言ったじゃないですか。」
結局 約束を守らない。
いつも、毎回こんな調子。
催促の電話もガンガンかかってくる。
電話に出るなと言われた。
【私への精神的虐待】
・中学生の時お正月に郵便局で年賀状の仕分けのバイトをしました。
僅かながらのバイト代
嬉しかったぁ。。。
お金を貯めていつかこの家から出よう。
と思いました。
虐待に合う度
叩きたいだけ、イジメたいだけやれば良い!
身体を丸め、頭を中に入れて、蹴飛ばし続けられる。
この家にいたら私の人生は無い!
早くこの家を出たい!
出よう!
お金を貯めて!
私は絶えた、絶えた。
我慢、我慢した。
高校生になり
平日、土日祝日、夏冬春休み
バイト三昧で軍資金を貯めた。
そのバイト代を隠して置いたのは…
自分の机の本と本の間。
ある日バイトから帰ってきた私に母が
「今日ねえ、どうも泥棒が入ったみたいで、あんたのもんも何か取られとらんか?」
母が台所に行った時、
自分の机の中の軍資金を調べた。
まさか、、、
無かった。
全部取られた。
やられたかー。
やったのは母だ。
すぐ分かった。
父が帰宅して相談した。
父「そういうことやめたれやー」
母「無言」
翌日
母「お父さんに言いやがって!
死ね!」
掃除機の柄で叩かれた。。。
その後
軍資金の隠し場所は
全部一緒にまとめず分散した。
少しづつは取られるけど、
少しは残った。
高校生の時は、
ご飯を作らない母だった。
お米だけは何故か炊いてあったのですが…
夏場は臭い匂い。腐っているのです。
他に食べる物がないので仕方無しに腐ったご飯に水をかけて食べていました。
お茶すら沸かさないです。
高校卒業と同時にこの家を出た。
念願の夢
あいつらと別れられた。
6畳部屋とキッチン、トイレ風呂付き
家賃27000円のボロアパート
どんなにボロアパートでも
幸せだった。
何も無い部屋で
私は大の字で寝転がった
幸せ〜〜
こんなに幸せなの初めて〜
その日から布団の中で泣かなくてもよくなった。
やっとあいつらから逃げられた。
幸せ〜
良く頑張った。
長いこと絶えた。
生まれて初めてホッとできた。。
ふぅ。。。
やっと幸せ〜
その後…
大人になっても金貸してくれ。何度も攻撃
もちろん返ってきたことは無い。
父と分かれるので家裁に来てくれ。とか言われた。
結局。独り立ちできない母。ズルズルと結婚生活は続くが。
あの家にいた頃
いつも夫婦喧嘩ばっかり、
包丁持ち出して、
「殺せー!」だのは日常。
殴り合い、蹴飛ばし合い、罵倒し合い等
もう聞かなくても良い!
毒親
数年前父は他界しました。
現在75才の母は特養老人ホーム入居。
金の計算が出来なくなり、
誰でもかんでもお金を借りるようになった。
もちろん光熱費等滞納
人とワイワイ話したりどこかに出かけりするのは大好きなので携帯代だけは払っている。
笑っちゃいます。
私には考えられない。
あり得ない。
人格障害なので夜中に寂しくてギャーギャー騒いだらしく隣の人から苦情。
入院すれば皆がお見舞いに来てくれるから楽しいと言ってどこも悪くないのに救急車を呼び
嘘で胸が苦しいとか言って入院。
検査でどこも悪くないのですぐ退院。
また寂しくなると嘘病で救急車を呼ぶ。
何度もその繰り返し。
毎回なので病院側から私達娘に注意された。
看護師さんにも、
お母さん救急車に乗って来る時
綺麗にお化粧して洋服もバッチリきめてますね。
って、笑われた。
昔から変わらない。。。
イライラが湧いてきた。

憎い。
今でも憎い。
私の心の傷はまだ残っている。
人を憎んだままでは
あの世に行っても成仏できないとか
天国でも幸せになれないとか
聞いた。
もう嫌な思い出ここで吐き出して最後だ!
もう良い。
毒親もあの世で真当な人間になって幸せになれ。
もう憎まない。。。
でも毒親と同じ墓に入るのは絶対 嫌。
少しでも動けるうちに自分の墓 手配しなきゃ。。。

成仏 たのしいはソコにある

( ‘ω’ )「ねねしゃん、また変なの持ち帰ってきたでしゅ!いい加減にするでしゅ!」

ごーめーんー!

昨日は用事があって小倉駅にいました。。

とあるビルであった説明会に参加するためでしたが、そのビルを出る頃に変なめまいがあるのに気づきました。

お腹すいて低血糖なのかな?って思ってご飯屋さんに移動するも、食べてもなんかやっぱり変。。

気持ちも悪く、揺れてる感じでやっと、おかしいと気づきました。

なんか古い霊がいっぱい頼ってきているわってなりました。。。
(変だなって視たけど、特に街中歩く時は普段はこういうのをオフにしています。見たら余計に寄ってくるから…。。)

他にも寄りたい場所があったけど、そのまま逃げ帰りましたあせる

実家にも寄る予定だったけど、中止にして真っ直ぐ帰りました。(忘れ物大王はコートをまるっと忘れてしまったのでorz)

帰ったら案の定、まろんぴちゃんが吠える吼える。

うわーやばーいと思って、お不動様にお願いしてみましたorz

横になってましたが、夜にはだいぶマシになりました。目眩はまだありましたが。

後からなんだったんだろうって思いつつ、小倉は駅には10年以上…いやもっとかな、すごく久しぶりに行きまして、以前来た時はこんなことなかった気がするって思いました。

なんできのうに限って…と、調べてみたら最初は小倉藩と長州藩が幕末に戦争していたとありました。

これ?と思いつつ、ちょっと違うなぁ。。もうちょっと古いなぁってなりました。

もう少し調べてみたら、小倉では大昔キリシタン弾圧があったことがわかりました。

ひえーΣ(゚д゚lll)

当時の小倉藩の藩主は、かの有名な細川ガラシャの旦那さんなんだそうです。

ガラシャの影響もあってか、当初は小倉ではキリスト教の布教が認められていたそうです。

サビエルさんも山口に行くのに通ってますし。

でも関ヶ原の後、細川氏は転じてキリスト教を禁止し、弾圧側にまわってかなり厳しく取り締まったようです。

私が視えた感じだと、かなり大量の方が弾圧されたようです。

読んだページにも、弾圧されてキリシタンの人はほとんど居なくなったみたいなことが書かれてありました。

ああ〜それでかーってなりました。

あとそのページには小倉城やリバーウォークあたりの話が載ってましたが、実際の刑場的な場所はもっと港の方じゃなかったのかなぁと。

実はそのビルは小倉よりやや港よりにあって、説明を受けていた時、イタリアの教会やバチカン、マリア像の映像が流れていたのです。。。

それもあって、マリア様やバチカンのことやイタリアでの過去生のことを考えていました。

すごくキリシタンの方と繋がりやすい状態だったと思います。

しばらく小倉に行く予定はありません。(行きたくないですが。。)

仕方ないので、寝る前に瞑想しながらマリア様に祈りました。

その直後青い光(マリアブルー)が視えて自分の体が楽になったので、いくらかは成功したかなと思いました。

個人的にマリア様は最強だと思ってます。

あと最近忙しすぎてすっかり忘れてましたが、先日おねさんのことをメールして来た人がいました。

だから「ねね」って名前なんですねって文章を読んで、この人はかなり勘違いされてるかもしれないなぁと思いました。(違っていたらすみません)

時々こういう勘違いされてメールされる方がいます。

過去記事読んでもらえるとわかりますが、私がおねさんの過去生を知った一年半前には、もう「ねね」を名乗ってました。

しかもその時はとっくに本も出版していて、PNもしっかり明記されてあります。

正確に言うと今のペンネームを名乗り始めたのは、震災の2、3ヶ月後くらいです。

私が自分で思い出してそれで有名人の名前を借りて名乗ってると勘違いされてる方もいるようですが、記憶を自力で思い出したわけではないし、鑑定で言われたことをブログにそのまま書いただけです。

しかもその霊能者さんもびっくりして、師匠さんにも確認してもらって同様の鑑定結果になったと言われていました。

自称で有名人の名前使うんだったらもうちょっと違う人にしますわって思います(笑)それこそガラシャとかー!!ガラシャとかー!!!(笑)

ガラシャがどんな人だったのかすごく見てみたい!

あまり接点ないようで、ガラシャ関係に呼ばれたことがほとんどないです。(今回はなぜか夫の方だったけど)

ていうかこの方は私を呼ぶ必要はないんじゃないかなぁ。きっと成仏してると思うし、下手したら綺麗に神あがりしてそう。

今はマリア様の下で、視えない世界で働いてるくらいの人ではないかと思います。

霊能者さんには過去生の影響で、今の名前を無意識に選択したんじゃないかと言われました。

以前も書いたけど最初フッと目の前に視えたのは、漢字の寧々でした。

それだと大塚寧々さんを連想するなぁってなって、読みやすいように平仮名にしました。

それと過去になぜか大塚寧々さんに似てるって言われたこともあります。実際問題似てませんが(笑)

どこで聞いてきたのかわかりませんが、ほんとにネットの情報っていい加減だなぁと思いました。

ポチッと押してもらえると嬉しいです!

※神様の絵のオーダーは現在お休みしています。
再開するときはブログやHP等でお知らせします。
アクセサリーの通販は不定期です。

<ホームページ>

成仏 好きなひとが、できました。

こんにちは。高橋ゆりこです。

少し前になりますが、

「僕らは奇跡でできている」

というドラマがありました。

穏やかに進行していくドラマでしたが、UMI的な視点がとても強いドラマだな~と観るたび感じる、心が温まるドラマでした。

9話の最後で、天真爛漫に樫野木先生の過去を褒める相河先生に対して、樫野木先生が感情のままに悪意をぶつけてしまいます。

相河先生みたいになれたら幸せだよね

学力があって、できないことがあっても支えてくれる人がいて、好きなことだけやってられて。

子どもはキラキラした大人に憧れるんだよ。

でも、キラキラした大人には、ほんの一握りしかなれない。

なのに、学生たちも相河先生みたいになりたがってる。

なれなかったらどうするの?責任とれるの?

相河先生はここだから居られるんだよ。よそではできない。

それ分かってる?

分かってるなら、人生の成功者みたいな顔して学生たちを勘違いさせないで欲しい。

迷惑なんだよ。悪影響なんだよ。

ここから消えて欲しい。

相河先生が帰った後、鮫島教授と樫野木先生が話すシーンがあります。

学生たちは、自分のやりたいことや好きなことを仕事にすることが正しい生き方だと勘違いしています。

やりたいことなんて、簡単に見つかりません。

そんなもの、そもそも無いのかもしれません。

足元見ないでふわふわして、見つかるかどうか分からないものを探して、自分の人生をちゃんと考えてる気になるんです。

中には、やりたいことがない自分はダメだって、無駄に自分を責める学生がいるかもしれません。

相河先生の影響を受けている学生たちは、みんなそうです。

樫木先生の話を聞いた鮫島教授は、こう問いかけます。

「それで、樫野木先生は、何に苛立ってるの?」

今話したじゃないですか。

相河先生のことですよ。

それから、相河先生を許容している鮫島教授のことも。

鮫島教授は、更にこう問いかけます。

「樫野木先生が問題に思っていることって、本当に相河先生なのかな?」

鮫島教授の問いかけに、

「もちろんです!どういう意味でしょうか?」

樫野木先生の質問に、鮫島教授は答えます。

樫野木先生って、たまーに自分の課題をすり替えることあるじゃない?

前にも、ほら、学生たちが群馬に出かけた相河先生を追いかけて、樫野木先生の講義を休んだじゃない。

あれも、相河先生のせいにしたけど、違うと思うんだよね。

樫野木先生の講義がつまらないからだよ。

今回のことも、相河先生のせいにしておけば、向き合わずに済むことがあるんじゃないの?

「課題のすり替え」

UMIマスターコースや、UMIカウンセリングの中で、本当によく出てきます。

自分の世界の中に、無意識に悪者を作り、

その人が悪い。

その人のせいでうまく行かない。

と、その悪者のせいにしておけば、自分の心の奥に隠してある封印した見たくない傷と向き合わずに済む。

樫野木先生が、相河先生に苛立つのは、

相河先生が、自分が諦めたことをのびのびやって、それを周囲に受け入れてもらい、うまく行っているから。

腹が立つ相手、苛立つ相手は、

自分が自分に制限していることを易々とやっている人です。

好きなことでのびのびと生き、食べていけている相河先生。

好きなことをのびのびやることを、周囲に許されている相河先生。

その存在は、樫野木先生にとって、

好きなことでは食べていけないと、好きなことをして食べていく道を諦めた過去の自分を刺激する存在なんですね。

樫野木先生は、正しいこと必要なことをきちんとやるべきで、人に迷惑をかけてはいけない、と考え行動する先生です。

でもかつては、相河先生と同じ生き方をしていた。

フィールドワークにのめり込みすぎた生き方が、離婚に繋がったと思っていました。

だから、かつての自分の生き方を否定していたんです。

だけど、がんがんフィールドワークをして生き物の生態を調査していた頃のお父さんはカッコよかったと、別れた妻が言っていた話を娘から聞き、樫野木先生の生き方の根底が揺らいだんですね。

今の自分の生き方。

これまで否定してきたかつての生き方。

自分の生き方を真正面から見つめ直す必要があるのかもしれない。

そこで湧いた不安や恐怖を、相河先生を悪者にして、相河先生のせいにして、無意識に目を反らしてごまかしていることを、鮫島教授は指摘したんです。

最終話で、樫野木先生は、離婚の本当の理由を話します。

フィールドワークに明け暮れていた樫野木先生は、娘が生まれて収入のために塾講師になりました。

だけどそれは、自分のやりたいことではなかったため、些細なことでイラつくようになりました。

妻は、「フィールドワークに戻ればいい」と言ってくれた。

でも、樫野木先生自身がそれを拒み、

「誰のために辞めたと思ってるんだ!?」

と、そんな妻の思いやりの言葉にすらイラついた。

家族のせいにしておけば、

家族のために職を変えたことにしておけば、

研究者としてフィールドワークで食べていく覚悟も才能もない自分と向き合わずに済んだのだ。

という、隠し続けて目を反らし続けた本音に、樫野木先生は気づき吐露します。

好きなことでのびのびと生きてはいけないと、

好きなことでは食べていけないと、

好きなことをのびのびやることは許されないと、

禁じてきたのは、

自分を好きでいられない人生を創ったのは、

他の誰でもない、紛れもなく自分自身だった。

ということを、樫野木先生は認めるのです。

「自分の選択が正しかったと思うためには、相河先生を否定するしかなかった…。」

と、自分に丸っと降参した樫野木先生に、鮫島教授は、

「だから相河先生と出会えたのかもしれないね」

と声をかけます。

きっと、これからの樫野木先生の人生は大きく変わっていきます。

自分に降参して、どんな自分も、自分の人生を丸ごと受け入れたとき、人生は大きく動き出します。

人は、いつからでも、いくらでも、変われます。

自分を好きでいられない人生を選んでしまって、

無意識に後悔し続けてきた本音を樫野木先生に気づかせるために、

神様が相河先生と出会わせてくれたんですね。

人生には、こういう奇跡のような出会いが沢山詰まっています。

あなたの世界に悪者はいますか?

その悪者のおかげで、見なくて済んでいる本音を見つけてあげてね。

UMIマスターコース9期

【基礎講座日程】
*下記の中から1つお選び頂きます。

【会場での受講】

1月15日(火)・20日(日) 東京

1月16日(水)・19日(土) 大阪

【ZOOMでの自宅受講】

1月17日(木)・1月18日(金)

【初の試み!基礎講座会場からLive配信!】
1月19日(土)大阪会場
1月20日(日)東京会場

私は20日東京会場を担当します。

15日東京にも顔を出す予定です(^^)

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RT @Yaskiyo_manager: おまけ❀
茅野さんとツーショットが撮りたいんじゃ〜〜と迫る酔っ払い安野と、
優しさの塊お姉ちゃんの茅野さん💕
かやふぇしゅの無念が成仏しました😇💮

#安野家の食卓 #かやのみ
#松岡さんの顔芸

.❀きよの❀. https://t.c…

死んだらフォロワーが\お疲れさま〜!/\成仏できるよ〜!/って応援上映してくれるの愉快すぎない!??!?私のキンブレの色は水色にしといて!!!!!
RT @satorugta: あの花の最終回は何度見ても泣ける。めんまが最後に成仏できて良かったと思う
#あの花 https://t.co/xaouQWBve6
@shokota_disney 基本いつでも推しの尊さに成仏できる幸せなやつだから✌🏻✨
この時は4時間半くらいかな?地蔵したよ😂
でも最前じゃなくても、音楽も手遊びも楽しいからまずはどこからでも楽しんで☺️💓💓💓

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