裏山がもっと評価されるべき10つの理由

裏山がもっと評価されるべき10つの理由

そろそろ裏山にも答えておくか

ややや!

ダラスコデーホが鳴いた😍
2019年2月28日19:30。基地にかなり近い!
実家の裏山だな、たぶん。今年は早いかも。
オーホ……ダラスコデーホ……
これまで聴いたのはダラスコデーホ…オーホ…だったのに、
今年のは、オーホ…から始まる感じだ。
あ、基地の横に来た❗️
飛んだんだわ😍
オーホとダラスコデーホのあいだが3秒ぐらい🤭
若そうだと思うのは、おらの偏見だろうか。
あれ?鳴き声がしなくなった。
飛び去ったか食事中か、どっちだろ?
今日は曇りだから絶好の日和なのかもしれない。
ああ、どんな大きさだろ。
また巡っておいで、昼にカラスたちに見つからないようにね、フクロウどん。

裏山のお取り寄せ通販情報を紹介、これだ!と思ったらヒルまず即GETがオススメです。

再訪のお宿紹介というのはなかなかに難しいもので。

二度目なんだから、小難しい説明はすっ飛ばして、

前回と違う部分の写真だけずら~っと貼り付ければ良いか?seiうしし

なんて、安易に考えもしたけど、前回が6年前ともなるとそうもいかない。

しかも、それが歴史の宿・金具屋となれば尚更だ。

簡潔に、あっさりと・・と思っていてもついつい説明したくなる(爆)。

書いては消し、消しては書きww。

なかなか前に進まないww。

どうしてもくどくなるのが悩ましい真顔

贅沢な悩みだわ、お付き合いして頂戴ね(爆)。

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さて、客室編の続きです!!あひるWハート

居人荘 305号室 杏林(あんず)

このお部屋、前記事で書いた通り

Bグレードのお部屋だと思っていたら、Aグレードのお部屋だったという。

超~~ラッキー!!バンザイ

申し込んだのが『温泉風呂付客室Bタイプのお部屋』というプランだったから、

当然Bタイプだと思って疑わなかったのね。

今回ブログを書くにあたって、お部屋の詳細説明を、と

公式サイトやじゃらんnetを見たら、なんと衝撃の真実!Aタイプだった!!(爆)

。+.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。キャハッ 嬉しい!!

だってね、この日Aタイプ客室プランで宿泊していたら、

@24,840円するはずだったのよ~!

それが、@20,520円よ、奥さまぁ~~♪

二人で約8000円のお得です!

ありがとうございまぁ~す!

おーっほっほっほ!(´0ノ`*)

居人荘はなんと!大正末期の建物。

登録有形文化財の斎月楼より古いのであります!!

なぜにこちらは文化財じゃないのか?と問われれば、

昭和25年に改築しちゃったから???

それとも木造4階建てではないから???

いやいや、古ければいいってものじゃないww。

ちなみに露天風呂のある神明の館は最も新しく、昭和33年築(昭和54年改築)。

もっとも古いのは明治41年の客室が今もAタイプとして現役の潜龍荘

こちらも昭和25年に改築。

金具屋さん自体は、1758年に旅館として創業。

260余年の歴史があります。

前身は鍛冶屋だった金具屋さん。

宝永4年に裏山が崩れ被災、

復興中に敷地内から温泉おんせんが湧き出し、

鍛冶屋さんは温泉宿を開業しました。

金具屋さんだったから屋号も『金具屋』。

じゃじゃ~ん!誕生!!ヽ(^。^)ノ

江戸末期から明治、大正と、

鍛冶屋を廃業し旅館業に専念した金具屋さんは、

着実に事業を拡大し客足を伸ばしていました。

が、まだまだ宿場、湯治場としての温泉宿時代。

これからは観光旅館の時代だぁー!

と、地元の宮大工をたくさん連れて、箱根や鎌倉、京都、姫路まで。

日本中の観光地を巡る旅に出たのが、当時まだ20代だった6代目

地元に戻ると、旅先で見て気に入った建物の

技術や装飾を取り入れた木造高層建築を実現させました。

キラキラ矢印 それが登録文化財に認定された斎月楼キラキラや大広間。

宮大工が技術の粋を凝らした芸術作品です。

『歴史の宿・金具屋』の現在形の基礎を築いたのが6代目の当主さん。

そしてその6代目が、

晩年自ら滞在するほどに殊更好んでいたのが、

この杏林の部屋なのだそうですよ!!キラキラキラキラ

本間は前編で紹介済み。

今回は広縁の洋間をどうぞぉ~♪あひる

広さは4畳ほどかしら?

広縁と呼ぶには広すぎる洋間ww。

4人掛けのソファーセットも余裕で置けます。

窓の外は庭園と鎌倉風呂の屋根。

左隣に見えているのが木造4階建ての文化財、斎月楼。

非常時はここから外に逃げる(笑)。

もう一度室内に視線を戻して。

ステンドグラスにシャンデリア

当時としてはかなりモダンだったに違いない。

和室の温泉熱の暖房機だけではまかないきれず

洋間には通常のエアコンも設置されています。

壁と天井の継ぎ目に亀裂が入っていたり、

古さは感じるけれど、嫌な古さではありません。

古さではないか、歴史だな(笑)。

大きなマントルピース。

居人荘のモザイクタイルの階段同様、

室内も和洋折衷で大正浪漫を感じますねぇ♪

この部屋、メッチャ好き!!。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚ 

 

冷蔵庫は今どき珍しいレトロなガッチャンタイプ。

アルコール750円、ソフトドリンク300円。

カップ酒750円って高くない?

こんなもの?(;^_^A

酒の相場を知らない、下戸おじゃる☆。

この洋間の反対側に、部屋風呂へのドアがあり、

1畳ほどのこじんまりした脱衣所&洗面所。

洗面台脇に置かれているのは、固形石鹸2個と渋ざる君コップ(笑)。

歯磨き用のコップ、1個だけなのね~。

アメニティーは簡素です。

ドライヤーはあり。

浴室への木製ドアに摺りガラスも良い感じ。

そして浴室♪

じゃじゃ~んヽ(^。^)ノ

黒御影石かな?

木板が柔らかなアクセントになっている。

小さな檜の湯舟。

小石のモザイクタイルの床に半分埋め込まれている(笑)。

檜の風呂椅子と風呂桶も清潔。

シャンプーとボディーソープ。

入れるお風呂おんせんは館内に8ヶ所

入りきれないほどあるのだけれどww。

目の前に源泉かけ流しの湯舟おんせんがあったら、

そりゃ入ってみたくなっちゃうよねぇ~ヽ(^。^)ノ。

これ、温泉ブロガーのサガ(笑)。

熱々まんまの源泉掛け流し

サイトのアドバイス通り、加水せずに源泉をためて、

冷ましてから入りましょう♪

源泉ドバドバ!!バンザイ

お夕飯から帰ってきた頃が入り頃かな?Wハート( *´艸`)タノシミー

濃厚な芒硝臭♪ 大好き!!

最後に。

こちらは入り口の3畳次の間。

右手にチラッと写ってる暖簾、なんだと思う?

ガラスの引き戸。

なんとこれ、トイレなのだぁ(;^_^A。

まさかのシースルー(爆)。

だからこれ、暖簾で目隠しなのねぇ。

あんまり効果なさそうだけど(爆)。

中は洗浄機能付き、普通の清潔なトイレです。

ただ、奥のガラスの向こう側はさっきの温泉風呂。

どちらもスケスケで、同行者によってはちょいと恥ずかしいかも(爆)。

この部屋は、階段を下りれば貸切風呂「斎月の湯」と鎌倉風呂

階段を上がれば、食事処へのエレベーターに近く

位置的にも便利なお部屋でした♪

なので、積極的に歩き回るトコトコ(爆)。

前回入り切れなかった、斎月楼の三つの貸切風呂!!

まずはこれをクリアしない事には、のんびり楽しめない(爆)。

次回、貸切風呂編へ、つづく~(^_^)v。

歴史の宿 金具屋

画像提供 じゃらんnet 

今日も応援、ありがとうーー!!ヽ(^。^)ノ

1日1回、愛のポチをお願いしまぁ~~~す♪

下

熱望裏山!

2015年11月07日に
滋賀県の探訪で『菅山寺』に行きました。
紹介します。
10時08分
『余呉駅』
この時の参加者7名。
滋賀県主催の探訪として史上最低の人数だと思う。
おそらくこの最低記録は今後も更新されることはないのでは?
なぜ少なかったかというと、正式に告知されたのが、1週間前。
担当者がアップするのを忘れてたとか?
紅葉の時期なので、みんな早めに予定組んでるよね。
『天女像』
『天女の衣掛柳』
一昨年の台風で倒れたというニュースがありました。
だから、今はもうこの勇姿は見られない、と思う。
『乎弥神社』
こちらも難読ですね。
「おみ神社」です。
祭神の巨知人命と梨迹巨命は、余呉湖天女伝説の天女の子供と言われてます。
『塞(さい)神社趾』
権現坂へ向かう街道の守護神でした
『権現越道標』
前回紹介したが、塩津街道への権現越と北国街道の分岐
そして、
11時10分
『大箕山』鳥居。
鳥居をくぐって山に向かう。
お座りする牛さん、
頑張って登るんだモー!、とつぶやく…
左手に弘善館。
普段は閉まってます。
帰りに寄ります
北陸自動車道の手前に
『古墳』
名無しの古墳。
しいて名付ければ、移築古墳。
北陸自動車道建設でここに移動させられたのです
見た通り横穴式石室が露出。
北陸自動車道のガードをくぐる。
 自動車道が参道を横切る例はよくありますね。
といってもこちらの参道は一山越えなければならない長さ…
北陸道自動車道建設で、幾多の名もなき古墳や山城が壊されただろうか?
左、菅山寺の看板
ここから険しい山道
登山道沿いに石仏が次々に出現する
信者が建てたそうです。
よく見るとみな頭がない、胴体ばかり。
わざと首切りしたの?
という意見がありました。
が、県教委さんの話によると
砂岩で出来てるので経年の風化劣化により首から上の重たい頭が先に取れてしまった結果なのだそうです。
分岐に来ました。
麓の鳥居から約40分、さすがにキツいです。
ここから下りになる。
峠を肥えました。
菅山寺は山の中の隠れ里のような所なんです。
墓地群
廃墟感あり。
麓の鳥居のそばに牛像があったが、菅山寺という名前でわかるように、
菅原道真にちなむ寺です。
本来は大箕寺と呼ばれた。
余呉湖は日本最古の羽衣伝説が有名ですが、道真公は天女の子供で、大箕寺に引き取られ修行。
後に菅原氏の養子となったとか?
あくまでも道真伝説ですが…
そして、
『山門』
麓から約一時間かかりました。
『護摩堂』
『庫裏』
鉄パイプ、角材で補強されてるけど、
もう住職さんはいません。
石垣を見ると山岳城郭寺院と思ってしまう。
お城病です…
この門のアングルは、ポスターに登場します。
両側のケヤキは、菅原道真が45歳の時(889年)に植えられたので、1000年以上の樹齢となる。
年表で確認したら、讃岐国から帰京した年なので、余呉にも来たのかな?…
紅葉の時期、鶏足寺が人気ですがこちらにも訪ねてほしいものです。
『梵鐘』国重文
釣鐘堂の屋根が潰れかけ。
なので、県内で2番目に古いと言われてる鎌倉時代の梵鐘は取り外されました。
現在は麓の弘善館に保管されてます。
『本堂』
いつ潰れてもおかしくないので
立ち入り禁止。
仏像などめぼしいものはすべて麓に移してるので建物だけ。
間違っても盗みに入らないように!
『経堂』
かつてここに納められていた宋版一切経七千余巻」は徳川家康の命により芝の増上寺へ寄進され、
現在は国の重要文化財に指定されてる
『朱雀池』
『五所権現』
『近江天満宮』
家康から50石寄進され、本殿は井伊家が建てた。
学業成就祈願の絵馬があります。
こちらも崩壊寸前で立ち入り禁止。
地元坂口地区の人が保存活動されてますが、さすがに広大な山奥の寺院を保護するのは大変。
このままだと、そのうち廃墟になってしまうのでは?
と心配になりました。
かといって、観光地化されのもいやだし、難しい…
帰りに里坊弘善館で道真関連の像、観音像や梵鐘などを見せていただき、丁寧な解説も受けました。
要予約、拝観料必要。
撮影不可なので、画像はありません。
実は下山途中で足ガクガクになってしまって、
これまでのなかで一番苦しい山登りになった。
もう二度と菅山寺には登ることはありません。
※なお、熊出没地域なので、参拝する時は熊対策必須です
こちらは余呉観光館。
この日は余呉湖まつりがありたくさんの人がいました。
Φ(*^ひ^*)Φ
菅山寺へは、羽柴秀長本陣の田上山城跡からハイキング道があり繋がってる。
菅山寺のさらに北には秀吉軍最前線基地の東野山砦がある。
その中間に位置する菅山寺には池やお堂があるので、賤ヶ岳合戦では補給基地として利用されたかも?
本丸=田上山、
二の丸、水の手=菅山寺、
三の丸、出丸=東野山砦
となると、菅山寺の西側や北側の尾根付近に砦などが築かれても不思議ではない。
将来、城跡の遺構が発見されるかも?
と、期待してるのですが…
いい加減な
想はやめとけ?
以上おしまい。
次回は、余呉観光館の裏山から賤ヶ岳へ向かった記録をアップします。
 Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
 日曜日、今年初めて、この冬初めて、
越前へ進軍しました。
2月なのに越前の山の上にも雪がないなんてびっくりポンです。
湯尾駅から徒歩一時間、
『杣山城跡』の麓へ。
北国街道歩きにとって、どうしても見過ごすわけにはいかないが、難度高い山。
ようやく念願のトライです。
車が3台あるが、山の中では誰にも会わなかった…
国史跡なので、ちゃんと整備されていて
登山口は北側に3本、南側に一本。
今まで無茶してきたので、今回は登山道しか歩かない。
ましてや、直登なんかもってのほか!
ということを肝に命じて登りました。
居館跡から姫穴→殿池→西御殿跡→本丸というコースを選択した。
普通に歩いて90分かかる。
どうみても登山ですな。
秘め穴、
じゃなくて、姫穴。
この付近の道は鎖があるほどの危険地帯。
1つ間違えば谷底に落ちる。
緊張の連続で、ようやく危機を脱したと思ったら、
急に頭の血管がドクドクと脈打ち始めた。
心臓がバクバクするのならわかるが、頭の血管とはこれいかに?
こんな状況初めて!
頭の血管が破裂してこのまま倒れるのか?
実は我が輩、高血圧。
何が起きても不思議ではない。
とりあえず、殿池で頭を冷やしました。
なんとか、落ち着いたので登山再開、
無事に山頂の本丸へ行けました。
湯尾駅からここまで三時間でした。
はるか向こうに雪を抱いた白山連峰?
北アルプス?が見えます
城跡というより登山という気分ですわ。
下山は、南側の今庄方面へ行く登山道を選択した。
こちらは、60分なので一番最短ルート。
それもそのはず、急斜面だから。
でも登山道があるので大丈夫と思ったが、これがとんでもない大失敗でした。
途中に道案内の看板無し。
階段も何もない。
倒木多い。
どうみても登山道とは名ばかり。
ずり落ちるように滑りながら下った。
下見ると恐いので、後向きに姿勢変えることも。
枯れ葉や小石ばかりで、つかまるものがない。
いつぞやの若狭熊川城を思い出した。
無理やり枝や草の生えてるほうへ移動し、つかまるものを探す。
で、突っ込んだら、頭に木の枝が当たり出血。
殿池の所で帽子を取ったのを忘れてた。
髪の毛ほとんど無いので枝や草に当たると即怪我につながる。
頭にペットボトルの水をぶっかけて消毒、冷やしながら、なんとか無事に下山できました。
まさに冷や汗ものでした。
そんなわけで、下山できたが、
精も根も尽き果てた。
いやはや大変な登城となってしまった。
心身ともにショックが大きいため
この冬の山城探訪は、これにて打ち止め。
当分の間、平地の城跡及び街道歩きに専念します。
トホホのホ、ですわ
馬《●▲●》助ヒヒーン♪


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RT @dustman_tips: 【田舎暮らし映像マンの日常】
P「修正ってすぐできる!?!?」
僕「すみません!!今裏山の栗を拾ってて、今拾わないとイノシシが夜来ちゃうんです!!」
P「なにそれwwそのままクライアントに言ってみるwwww」

-20分後

P「イノシシ来た…

RT @dustman_tips: 【田舎暮らし映像マンの日常】
P「修正ってすぐできる!?!?」
僕「すみません!!今裏山の栗を拾ってて、今拾わないとイノシシが夜来ちゃうんです!!」
P「なにそれwwそのままクライアントに言ってみるwwww」

-20分後

P「イノシシ来た…

@nobanonch のんちさんだからできるんやん!裏山!
RT @yangushigekiyo: 皆々様、ひけおでした。

私のPFは順調にラピュタに近づいています。
パズーにバルスを使われないように、序盤の工場みたいなとこで八つ裂きにしておきます😂
ラピュタ、エピソード1~完~

とりあえずガキの使いのとんぼが頭から離れまテンwww…

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