男性を虜にするでカワイイ私に

男性を虜にするや泥棒が存在する世界に、僕の愛する家族は住んでいる。

女に生まれたからには
女であることを100%たのしみたい。

綺麗になりたいし、毎日 幸せに生きたい。
もちろんお金も欲しい。

女って欲張り。
でも、貪欲に生きたっていいのです…♪

あなたに官能を届けます。
by.官能アイドル 密月 

宝石赤
宝石赤

(2017.12.25の記事再UP)

床上手講座、と 名付けて
愛される艶女マインドから伝授する
ベッドテクニックをお伝えしています


「床上手講座」というのは、

2年ほど前より開催してきた
密月のベッドテクレッスンに
インスピレーションでつけた名前でして、

気に入ってずっと使ってきたのですが♡




「床上手」という言葉の意味・・・
皆様ご存知でしょか?


実はこの言葉、
ただ単にお寝間でのテクニックが上手い、

ということではないのです(//∇//)



”床上手”とは江戸時代からの言葉で

女性達がお殿様に指名されたいために
日夜度食している接待の姿のこと。


セ☆クスそのものよりも
「普段の振る舞いが上手なこと」を『床上手』と言ったそう。。





そもそも私のお伝えする床上手講座は、

ベッドでの技術だけではなく
日常の中での愛される女のあり方そのものから
男性を虜にする♡という視点でお伝えしています。






ほとんどのベッドテク講座は
からだの反応だけにより過ぎていることが多く…

しかし、
それだけだと偏ってしまうだと思っています。



前戯は日常生活からはじまってる♡

普段からどれだけ愛されてる感覚や
至福を感じられる事ができるか

私をはじめ
おそらく多くの女性が
愛し愛される男女関係というところから求めているのはそこでは無いでしょうか?

初めての人とのセ☆クスのが
一番気持ちいいか
と言われれば
私はそれはあまり思わなくて
関係を重ねた人とのセ☆クスの方が
心から蕩けるように
気持ちがいいなと感じますし
日常の関係に不一致が生じてるからこそ
色んなことが残念に感じてきて
それがベッドタイムでは
如実に相手に伝わってるなーと感じます。


技術だけにとどまらない
内面からの艶やかさをあなたに。

お相手の男性はもちろん、
何より自分自身をを虜にする在り方を掴んでいただきたいな♡


そんな気持ちをこめています^^

しかもね、


アマナ的な知識と合わさってから
思いがけず繋がるものがあって

更にお伝えできる視点がパワーアップしました。




ジャンキーな刺激になれてしまって
繊細な感覚を忘れてしまっている男性は多くて。

女性に対しての愛撫も
わからなくて強くしてしまっているという
メンズは恐らく少なくはないですが





男性の感性をも育てる
極上テクという要素も兼ね備えています。




アマナレッスンが女性の感受性開花ならば、
床上手講座は、男性の感受性開花の秘技♡



男性も身体の繊細な感覚に
目覚めていけたとしたら…

よりベッドでの気持ち良さも広がるし、
その感受性の豊かさは 
まさしく男性の人生開花に繋がるわけ♡




最後にひとつ残念なこというと、

ベッドテクニックというと
需要はたくさんあるのですが

見返りを求めた口渇状態では
床上手の力は発揮されないよーってこと。




「尽くすことで男性に愛されたい」という前提で行動してしまうと、結局のところ見返りを求めた口渇は、また口渇を生んでしまうの。

この媚薬は取り扱い注意♡




床上手はアマナ的な視点が必要不可欠なんです。


というのは、
女性の自己肯定感(アマナではマン肯定感と言っています)が大事だから。




本当に愛し愛される、というのは、

まずは女性が自分の肯定感覚を高めることが伴っていなければ 難しいこと。


だから 女性がまず自分とのコミュニケーションを豊かにすることが大事なの。

(床上手講座では、その辺りのマインドの成熟の話も合わせてお伝えさせて頂いております)



だからこそ、アマナ的の知識を得た上で床上手メソッドを学んで貰ったら、そんな女性は最強なんだよね♡






ずっと掲げてる
密月のスローガンがあります。




女に生まれたからには
女であることを100%たのしみたい。

綺麗になりたいし、毎日 幸せに生きたい。
もちろんお金も欲しい。

女って欲張り。
でも、貪欲に生きたっていいのです…♪

これ、床上手講座&アマナレッスンで手に入るから♡

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宝石赤密月の愛し愛されアマナレッスン6/15@東京

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ゆめみる宝石

中級者向け男性を虜にするの活用法

(絶世の美女だったとされる江良加代)

江良加代は、文久2年3月、華頂宮家に仕える江良千尋の娘として生まれた。
江良加代の人生はとにかくモテモテの連続で、とにかく男性が寄ってくる、助けてくれる、なんだか一昔前の少女漫画の主人公のような人生です
生家は京都・祇園社の近くで、花街に近いこともあり、加代は祇園・井筒屋から舞妓としてデビューすることになりました。
幼少期より歌舞に優れ、
牡丹や百合の花の姸を奪ってしまう
ほど美しく美少女でした
加代の美貌の噂は日増しに京中に広まっていきます。
噂を聞きつけてやってきたのは後に首相となる西園寺公望。しょっぱなから大物です。
彼は加代の美貌に夢中になってしまい、加代を自分の正妻として迎える、と申し出ます。

(若かりし頃の西園寺公望。後の首相)

当時、加代はまだ13歳。
このとんでもなく可愛らしい少女をいち早く我がものとせんため、代々正妻を迎えないという西園寺家の家訓を破ってまで、西園寺公望は加代を妻として東京に連れて帰りました。
しかし、加代が東京に来ると西園寺家の間で大問題となり、結局一族の大反対になり、西園寺公望は渋々、数ヶ月後に13歳の加代に豪華な着物や調度品と共に祇園井筒屋に返します。
当時東京遷都で衰退気味だった京都・祇園に舞い戻った加代は、あの西園寺公望を虜にした天下の美女としてさらにその名声は高くなり、次第に社会的地位や経済界の大物たちの憧れの的となっていきました。
13歳だったとはいえ、一応は結婚し、少女から大人の女性へと成長していた加代はまたしても男達を虜にしていきました。口笛
次に加代の虜になったのは、木戸孝允(桂小五郎)。
木戸孝允は既に幾松という芸妓を妻としていたにもかかわらず、加代の美しさに一目惚れ口笛
加代を密かに囲い女にした。
イケメンだったといわれる木戸孝允を加代もまた愛していた、と言われています。 

(木戸孝允。かなりの美男子で明治維新後に侯爵の爵位を明治天皇より授かる。妻は有名な幾松。)

加代はいつか木戸孝允の妻になれると思っていたらしい。
そして木戸孝允は加代に衣装代として三千円(現在の価格では一千万くらい)を譲渡する約束をした。
木戸孝允は、身長173㎝、大隈重信によると


「木戸は正直真面目な人であって、雄弁滔々、奇才縦横であるが、併しなかなか誠実な人であった。(中略)木戸は洒々落々とした所があって、思ったことは何でも喋舌ると云う風であるから、大久保の沈黙とは正反対である。木戸は詩も作れば歌も詠む、風流韻事は頗る長じて居って、遊ぶとも騒ぐとも好きで陽気であった」
そんな時ある騒動を加代は起こす。
(江良加代の官女姿。隣には当時のステイタスシンボルの洋犬。)
祇園祭の時、加代は女官姿で当時とても珍しかった洋犬を従えて練り歩いた。
しかし最中に泥道で袴が濡れてしまい、強気な加代は高価な着物を見物人の前で汚れた部分を切った
(女官の服)
高価な着物を与えたのは誰か?と噂になり、着物を買い与えたのが木戸孝允だとバレてしまう。
(もしかしたら加代が木戸孝允が自分の恋人だと知らしめるために意図的にしたのかもしれない。)
木戸孝允は東京に加代を呼び寄せたり、自分が暇を見つけては加代に逢いに行ったりとにかく加代に夢中だった

その類稀な美しさだけでなく、加代には
性を虜にする天性の才能があったのかもしれない。
男性の心を掴むコミュニケーション能力、日本一の美妓というネームバリュー、西園寺公望、木戸孝允も夢中になったことは日本中が知っている、祇園で幼いころから舞妓をしていれば、男性心理も知り尽くしていたでしょう。

さらに加代は持って生まれた美しさからの自信から、かなり強気な性格で大物達に大金を平気で使わせています。
加代を手に入れるということはもはや男達の一種のステイタスなのです。
周りの男性達はそんなわがままな加代に夢中だし、その美貌を利用してのし上がっていった。
特に加代は写真をたくさん残しており、大人気だった。加代は太夫、大原女など今でいうさまざまな今でいうコスプレ?をして写真を撮らせている
写真はよく売れたので日本中が加代のことを知っていた。写真を撮ることも自分自身の市場価値を高めるためになる。
1877年木戸孝允は43歳で急死してしまう。
加代は大変ショックを受け、一生男は持たないとか祇園会の練り物にもでない!!と宣言。
それを聞いて飛んできたのが伊藤博文。初代内閣総理大臣。またしても加代は大物を釣り上げたのだ。すごいとしかいいようなない

(若い頃の初代内閣総理大臣、伊藤博文)

伊藤博文は加代が祇園会の練り物に出ないと言うのを聞いて、
それはかわいそうだ。お金はいくらでも出すから出た方がいい
と申し出た。
加代の衣装代を全額支払い、加代は今度は奥女中風に装い、またしても洋犬を連れて、結局加代は練り物会に出ました。
(奥女中の装い。)
伊藤博文にはたくさんの愛人がいたが、その中でも江良加代は別格の扱いだった。さすが大物キラー

女好きの伊藤博文も、あれほどまでに入れ込んでいたのはお加代ぐらいだろう

と祇園中では取りざたされた。
しかし3年も経たない内に加代は
三井源右衛門(名前通り三井財閥の一族です。)落籍されることになった。
立場は妾でしたが待遇はほとんど正妻待遇で加代は四男二女の子供を産み、一生大切にされて安泰な余生をおくった
晩年の加代は自らも豪邸に住み、息子は財閥の御曹司、さらに娘は皇族になった。
なんという勝ち組。美女強し。


実は加代には祇園時代に関係を持った男性たちは他にも沢山いた。
外務大臣・井上馨、大阪の豪商・藤田伝三郎、高鍋藩主秋月長門守などなどそうそうたるメンバー。
当時加代を実際に見た歌舞伎役者の五代目・中村歌右衛門は、後年、
この年まで色々な女性を見ましたが子供の頃に見た京都のお加代さんという芸者さんほど美人だなぁ、と思ったことはございません。なにしろお加代さんの顔が光り輝いて見えるのですからね』


『こんな美人芸妓、生涯二度とお目にかかるまい』と言わしめたほど。




男を乗り換えることで自ら道を切り開き、芸妓上がりながらも、その稀有な美貌としたたかな手腕で幕末・明治期の大物たちを手玉にとり、最終的には三井財閥の大物と幸せに暮らした江良加代。

日本一成功した魔性の女性かも?

・他に加代に夢中になった男達

(加代と噂になった大物の一人、藤田伝三郎)

明治時代の関西財閥の重鎮で
田財閥の創設者でもある。後に男爵位を得る。

(大臣を歴任した井上馨。江良加代と噂になりました)


・江良加代のさまざまな写真


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パーティーに招待され着慣れないドレスを纏い会場へ赴くも早々に人酔いしてしまう。夜風にあたろうとテラスへ出れば見目麗しい男性からダンスに誘われた。踊れないのだと白状すると『いいのいいの』と観客の前へ連れ出されリードに乗って踊り終わる頃にはすっかり虜になってしまい陶酔のうちに喰われる
今夜だけで終わりたくない…!男性を”虜”にする「忘れさせないセックス」まとめ

男性を”虜”にする「忘れさせないセックス」を意識することで、一度きりの関係にせず、セックスで男性を本気にさせちゃいましょう🥺

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