アイデンティティ 世界初を、通過点に。
こないだ書いた記事
▷
自分の核の存在と
批判された対象の意見や
表現した作品や
性格や容姿や
ぜーーんぶ別。
『存在』以外はただの付属品で
こっちはいつまでも未完成なまま
変容し続けるものだから。
何について言われても
それはいつだって『存在』についてのことじゃない
『存在はいつも完全なのだ』
ただ在るという存在状態以外のものは
全て付属品です
例えば容姿的なものから
性格的なものまで
これはは全て付属品
存在と付属品をまず切り離していきます
ただ在る
ただ在る
ただ在る
これが存在
例えばあなたはドジで最低だと批判されたとしても、付属品について言われているだけです
あなたの存在にはなんの問題もあり
せん
あなたの存在は一ミリも微動だにせず
永遠に完璧なままです
存在はパーフェクト
存在はパーフェクト
存在はパーフェクト
ただ在ることを受け入れることが出来たなら
今度は自分の付属品の全ても愛していきます
そうすればあなたの世界から
誰かに傷つけられた
という現象は消えていきます
自分でその批判の意見を受け取ることをしなくなるからです
力を抜いてリラックスして
クリアしなきゃいけない課題も問題も
本当は人生でなんにもないのです
ただ在る
存在することに意識を向けて
呼吸することに喜びを
私たちは永遠の今に
とどまり続けています
この内容についてこんな本があると
カノンちゃんが教えてくれました
2,484円
Amazon
|
創作者(創る人)の自分自身と創作物(創られるもの)の両者の意識を峻別すること
これが自分の創作意欲を理解するひとつの方法だ
創作者として生計を立てている人は創作者である自分自身と創作物とを明確に区別できていることが多い
この区別は決定的に重要だ
アマチュアの場合はしばしば違うことになっている
作品と自分自身とを混同してしまうのだ
自意識(アイデンティティ)の問題を抱えた創作者だと、何を創っても自分自身を表現したものだと思ってしまう
以上抜粋
・・・・・
もう、まさにーー!!
『存在』以外は付属品。
それが腹におちた瞬間、創作活動がスムーズに進みはじめたと
こちらポーンナカムラさん
今まで存在と作品がひっついてたんで
作品を生み出して批判されるのが怖くて
創りたいのに創りたくない
この葛藤がずっとあった
それが抜けたみたいで
絵を描いてもらったよ
もぉぉぉ!
かわいいやんけ!
んで、私も『存在』と全てを切り離ししてるから
これだけ自由奔放に表現したいことを
そのまんま表現したり生み出したりすることができてるよ
(ひっつけてたら批判怖くてこんな発信絶対できません(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎)
いやー、絶対無理やね
こっからは本の内容と若干違ってきちゃうんやけど、
自分の場合はアイデンティティってのすらも切り離しちゃってます
もはやHAPPYもマエダサチも
『付属』であって
HAPPYやマエダサチ自体に
もしくはそれが生み出す表現、創作物に
いくら批判の矢が飛んできても
”存在”とは別なのです
ただ在るという存在感覚以外
”存在”
”ソース”
”サムシンググレート”
”はじまりの意識”
”創造主”
呼び方はなんでもいいけど
『母体部分』は不動のまま、完全である
・・・・
あとこの本の中でもう一つ。
『自己肯定感』についての記述が。
HAPPYという人間をよく理解してくださってる読者さんならお気づきだと思うんですが、、
わたし自身、未だに自己肯定感が低いままでいることを。
『なんでそんだけ色んな現実創りだして、いわゆる結果みたいなのも出てるのに自信がないの?』
この質問かなりよくもらいますし
わざと謙遜してるんでしょと揶揄されたりすることもあるんですが
…..いや、自分でも知りたいですよ笑
なんでなのか
自分も色んな創造ができた先には
自己肯定感高くなって自信家な人間になれるもんだと思ってましたから!
基本いつも新しいことをスタートするときは
スタート決めた直後は決まって
あぁ、、なんでこんな大変なことを…
わたしなんかが….
『ねぇ、どう思う?できると思う?』
『いけるよね?!大丈夫だよね?』
周りを散々巻き込み
無理やり”励まし”というものを強要しながらw
(『大丈夫だよ』といわせる)
ビビるくらいに後ろ向きで
進んでいます
いつも決まってこのパターン
ーーーーーーー
2,484円
Amazon
|
『自己肯定感』運動が主眼とするのはただ一つ
『自意識(アイデンティティ)だ』
その理論はシンプルである。自分をよく思ってない人は自分が成功するにふさわしいとは思わない
だからなにかと妨害し、わざわざ失敗するようにふるまいみじめな人生を送るはめになる。
逆に自己肯定感が高い人は、果敢に困難に立ち向かい、リスクをとり高い山にも登れる
つまり自己肯定感が高くなければ成功は望めない、という訳だ。
しかし、これは大きな間違いだ。
偉人たちの伝記を一冊でも読んだら分かるだろう。
歴史上偉大な功績を残した人たちの大半は自己肯定感が低いのだ
『私はずっと自己肯定感が低かった。今もそう』
マライヤ・キャリー(シンガーソングライター)
『セルフイメージの問題がデカくて、とても自己肯
感が低い』
デビット・ボウイ(ミュージシャン)
『僕は僕自信にしかなれない。それがどんな人間でも』
ボブ・ディラン(ミュージシャン)
ロックスターに限った話ではない
アインシュタイン、ヘミングウェイ、ロバートケネディ
続く
……………
ある意味自信持ってこのまま進みますw
だから同じようなタイプの人も
ご安心を
カノンちゃんありがとうね
HAPPY
アイデンティティをご提供中!
こないだ書いた記事
▷
自分の核の存在と
批判された対象の意見や
表現した作品や
性格や容姿や
ぜーーんぶ別。
『存在』以外はただの付属品で
こっちはいつまでも未完成なまま
変容し続けるものだから。
何について言われても
それはいつだって『存在』についてのことじゃない
『存在はいつも完全なのだ』
ただ在るという存在状態以外のものは
全て付属品です
例えば容姿的なものから
性格的なものまで
これはは全て付属品
存在と付属品をまず切り離していきます
ただ在る
ただ在る
ただ在る
これが存在
例えばあなたはドジで最低だと批判されたとしても、付属品について言われているだけです
あなたの存在にはなんの問題もあり
せん
あなたの存在は一ミリも微動だにせず
永遠に完璧なままです
存在はパーフェクト
存在はパーフェクト
存在はパーフェクト
ただ在ることを受け入れることが出来たなら
今度は自分の付属品の全ても愛していきます
そうすればあなたの世界から
誰かに傷つけられた
という現象は消えていきます
自分でその批判の意見を受け取ることをしなくなるからです
力を抜いてリラックスして
クリアしなきゃいけない課題も問題も
本当は人生でなんにもないのです
ただ在る
存在することに意識を向けて
呼吸することに喜びを
私たちは永遠の今に
とどまり続けています
この内容についてこんな本があると
カノンちゃんが教えてくれました
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創作者(創る人)の自分自身と創作物(創られるもの)の両者の意識を峻別すること
これが自分の創作意欲を理解するひとつの方法だ
創作者として生計を立てている人は創作者である自分自身と創作物とを明確に区別できていることが多い
この区別は決定的に重要だ
アマチュアの場合はしばしば違うことになっている
作品と自分自身とを混同してしまうのだ
自意識(アイデンティティ)の問題を抱えた創作者だと、何を創っても自分自身を表現したものだと思ってしまう
以上抜粋
・・・・・
もう、まさにーー!!
『存在』以外は付属品。
それが腹におちた瞬間、創作活動がスムーズに進みはじめたと
こちらポーンナカムラさん
今まで存在と作品がひっついてたんで
作品を生み出して批判されるのが怖くて
創りたいのに創りたくない
この葛藤がずっとあった
それが抜けたみたいで
絵を描いてもらったよ
もぉぉぉ!
かわいいやんけ!
んで、私も『存在』と全てを切り離ししてるから
これだけ自由奔放に表現したいことを
そのまんま表現したり生み出したりすることができてるよ
(ひっつけてたら批判怖くてこんな発信絶対できません(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎)
いやー、絶対無理やね
こっからは本の内容と若干違ってきちゃうんやけど、
自分の場合はアイデンティティってのすらも切り離しちゃってます
もはやHAPPYもマエダサチも
『付属』であって
HAPPYやマエダサチ自体に
もしくはそれが生み出す表現、創作物に
いくら批判の矢が飛んできても
”存在”とは別なのです
ただ在るという存在感覚以外
”存在”
”ソース”
”サムシンググレート”
”はじまりの意識”
”創造主”
呼び方はなんでもいいけど
『母体部分』は不動のまま、完全である
・・・・
あとこの本の中でもう一つ。
『自己肯定感』についての記述が。
HAPPYという人間をよく理解してくださってる読者さんならお気づきだと思うんですが、、
わたし自身、未だに自己肯定感が低いままでいることを。
『なんでそんだけ色んな現実創りだして、いわゆる結果みたいなのも出てるのに自信がないの?』
この質問かなりよくもらいますし
わざと謙遜してるんでしょと揶揄されたりすることもあるんですが
…..いや、自分でも知りたいですよ笑
なんでなのか
自分も色んな創造ができた先には
自己肯定感高くなって自信家な人間になれるもんだと思ってましたから!
基本いつも新しいことをスタートするときは
スタート決めた直後は決まって
あぁ、、なんでこんな大変なことを…
わたしなんかが….
『ねぇ、どう思う?できると思う?』
『いけるよね?!大丈夫だよね?』
周りを散々巻き込み
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(『大丈夫だよ』といわせる)
ビビるくらいに後ろ向きで
進んでいます
いつも決まってこのパターン
ーーーーーーー
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『自己肯定感』運動が主眼とするのはただ一つ
『自意識(アイデンティティ)だ』
その理論はシンプルである。自分をよく思ってない人は自分が成功するにふさわしいとは思わない
だからなにかと妨害し、わざわざ失敗するようにふるまいみじめな人生を送るはめになる。
逆に自己肯定感が高い人は、果敢に困難に立ち向かい、リスクをとり高い山にも登れる
つまり自己肯定感が高くなければ成功は望めない、という訳だ。
しかし、これは大きな間違いだ。
偉人たちの伝記を一冊でも読んだら分かるだろう。
歴史上偉大な功績を残した人たちの大半は自己肯定感が低いのだ
『私はずっと自己肯定感が低かった。今もそう』
マライヤ・キャリー(シンガーソングライター)
『セルフイメージの問題がデカくて、とても自己肯
感が低い』
デビット・ボウイ(ミュージシャン)
『僕は僕自信にしかなれない。それがどんな人間でも』
ボブ・ディラン(ミュージシャン)
ロックスターに限った話ではない
アインシュタイン、ヘミングウェイ、ロバートケネディ
続く
……………
ある意味自信持ってこのまま進みますw
だから同じようなタイプの人も
ご安心を
カノンちゃんありがとうね
HAPPY
複眼の構想アイデンティティ
大阪イチやさしいNLP教室のNLPトレーナーの藤木ミホです。
NLPに、「メタポジションのワーク」という実習が登場します。
だいたい椅子を何脚か用いて行うことが多いです。
メタポジションのワークは、NLPの元になった一つ、ゲシュタルト療法が由来の手法です。
〇こんなテーマで進行します
例えば、「もうちょっと息が合った状態になりたいなあ。そしたらもっと仕事が上手くいくのに。」と思うような同僚があったとします。
日常生活では「自分の立場」からのみ、どうしたら上手くいくかな?と考ると思います。
それをメタポジションのワークでは、「相手の立場」に立ってヒント(発見・気づき)を直観的に受け取ったり、自分と相手を見ている「第三者の立場」に立って、ヒントを得たりします。
よくあるのは、自分と相手の立場には椅子を置き、第三者の立場には椅子を置かないという方法です。
さて座る椅子や、立ち位置を変えるだけで、そんな気付きが降ってくるものなのか?という疑問を、NLPやカウンセリングを受けたことがない方は持たれるかもしれません。
皆さんは、家での読書に集中できなくなり、カフェなどにふらっと行くことで、読書の集中力がよみがえってきた体験などはありませんか?
また、何か停滞したような気分だったが、お出かけをしたり旅行に行ったことで気分が変わったという体験はありませんか?
また、考え事がまとまらず、出かけた散歩の途中で「あ!そうか!」なんて、突然アイディアを思いついたりした体験はありませんか?
また、自宅で隣の部屋になにかを取りに行って「何を取りに来たんだっけ?」と忘れてしまい、仕方なしにさっきまでいた部屋に戻ったとたんに「そう!ハサミ!」と思い出した体験はありませんか?
場所を変える、環境が変わるという事は、人間の脳や気分に影響を与えます。
その作用を応用した、コーチングやカウンセリングにも使えるスキルとして「メタポジションのワーク」があるのです。
〇ガンジー・モデル
このメタポジションのワークは「ガンジー・モデル」と呼ばれることがあります。
ガンジーとは、インド独立の父、マハートマ・ガンジー氏の事です。
ガンジー氏は、NLPの成立に何ら関わりはありません。
ガンジー氏は、他国との重要な交渉の前日に、メタポジションのワークのような事を行って、翌日の交渉のシミュレーションを行ったというのです。
このような綿密にあらゆる可能性を探ることが、インド独立の道を拓くことにつながったのかもしれませんね。
〇さいごに メタポジションって?
メタポジションの「ポジション」は、位置とか立場とか日本語訳を思いつく方も多いと思います。
では頭についた「メタ」ってなんでしょうか?
ウィキペディアから引用します。
***************************
メタ(meta-)とは、「高次な-」「超-」「-間の」「-を含んだ」「ーを入れた」「-の後ろの」等の意味の接頭語。ギリシア語から。
***************************
つまりメタポジションとは、「高次の立場」とか「超えた位置」なんて訳せそうですね。
NLPでは、この図の上の水色の部分を「メタポジション」と呼んでいます。
第三者、俯瞰(ふかん)と書いてあるところです。
「俯瞰」とは簡単に言うと、鳥の目です。高いところから全体を見る視点の事です。
これが高次の視点と言えますね。
※OSHO禅タロットより
第三者の視点とは、当事者と全く関りのない誰かの視点です。
これはギリシャのカフェで、二人の男女がお話ししている画像です。
これを見ているあなたが今、第三者です。
またこの画像には、通りの向こう側の人物を見ている第三者がいます。
さらにその第三者と通りの向こうもまるごと見ているあなたもまた、さらに大きな視野で見つめる第三者であり、メタポジションに立っていると言えます。
メタポジションは、さらに一歩下がるごとに大きな視野が広がる面白さがあるのです。
〇ちょっとやってみたくなったら
モノの見方が狭くなっている気がする方、誰かの立場に立ちながら人間関係のシミュレーションをしたい方は、ご自宅で座布団やクッションを使って試してみるのもいいと思います。
プロのカウンセラーやコーチの立ち合いではないので、複雑で深刻なテーマはお一人では扱いずらいと思いますが、ちょっと遊びながら、あの人の立場に立ってみると、どんな気付きがあるのかな?と楽しんでみることができます。
〇最後は自分のポジションに戻って終了
メタポジションのワークでは、あちこちのポジションに納得がいくまで立ってみる事ができます。
でもメタポジションのワークを終了する時は、必ず、この図の左下の「自分の立場」に戻ってから終了するように実習の手引きにはあります。
そう指示があっても、自分以外のポジションで終わろうとする方があります。
時としてそれは、その人が「アイデンティティ」や「自己認識」に問題を抱えている可能性を示すことがあります。
また、犠牲的に相手に仕える事が良好なコミュニケーションにつながると信じていたり、自分を失くしてでも誰かの役に立というパターンを持っている事を示すことがあります。
もしそうなら、他人が自分をひどく扱うように仕向けたり、誰かに貢いだりする人間関係を持ちやすく、また誰かに反応することで自分の動きをいつも
めるなど、とても生きにくい人生となっているかもしれません。
WIN-WINの関係なんて頭で知っているけれど、いつも自分が負ける(LOSE)の関係しか築けないで来たかもしれません。
NLPの実習が面白いのは、手順通り進んだらいいというワケではないところです。
手順通り進まない時は、その方の隠れていたテーマが垣間見えた瞬間です。
このケースなら、テーマの発見によって自分を取り戻し、犠牲的にふるまうパターンにさよならする機会がやってきたという事です。
私が開催するNLP教室では、こうしたテーマが見えた時、補講や隙間時間を使って、ではここからカウンセリングでは何をするのか?
という点を学習する機会を設けています。
平たく言えば、実際のカウンセリングをしていくのです。
なぜならプロのカウンセラーや、カウンセラー志望者がよくご参加下さるからです。
基本の手順さえ分かればいいという方には不要でしょうが、特にカウンセラー志望者の方にこの時間は大変好評です。
そしてカウンセリングを終了した後、もう一度メタポジションのワークをしてもらうと、自然に「自分の立場」で実習が終了するように変化します。
メタポジションのワークは、このほかにも様々なテーマに対応するように活用できます。
その例は、またいずれ紹介しますね。(^^)
ご質問等ございましたら
下記フォームよりお気軽にお問合せ下さい。
最後までお読みいただきありがとうございます。
◆僧侶が教える
◆「個人店舗・サロン・お教室先生業」の方のための
◆人生の質とは、あなたの思考の質による。
ふむふむ、だからアイデンティティなわけですな♪
アイデンティティ 守りたいものがあります
あの「オースティン・パワーズ」や「シュレック」でおなじみ、
マイク・マイヤーズ主演のコメディです。
ウェインとガースというロック少年2人組が織りなす
小ネタ満載のおバカ映画をVHSで鑑賞したのは高校生のころでしたが、
私にとって、思い出深い映画のひとつ。
カセットから流れる音に合わせて熱唱しながらヘッドバンキングする楽曲は…
鼓膜がいまだかつて感じたのことのない音の刺激を受けて
激しく揺さぶられたのを覚えています。
冒険的でトリッキーで、感傷的なラストに向けて収束していく…、
これぞまさに、「芸術は爆発だ!」と。
クィーンというレジェンド・バンドを認識することとなり、
それまで耳にしたことのあるあまたある名曲がこのバンドによるものだと知り、
ますますロックに傾倒していくのでした。
様々なジャンルの音楽のエッセンスを感じさせる音の独自性、
ブライアン・メイの華やかで重厚なギターと髪、
ロジャー・テイラーの正規の美少年っぷり。
ジョン・ディーコンの柔らかい存在感。
クィーンを伝説たらしめているのはやはり、
フレディ・マーキュリーの唯一無二の個性ですよね。
力強くも優しいボーカルに、
アイコニックな出で立ちでのパフォーマンス…
91年に、45歳という若さでこの世を去ったフレディの
生のステージを目にすることはもうできません。
彼のセクシュアリティと
インド系移民の子というアイデンティティでもあったと思います。
「Somebody to Love」、
「Don’t Stop Me Now」などなど
切なさを感じ、胸を締め付けられる事があります。
様々な葛藤がその背景にあるからなのでしょうか。
「ボヘミアン・ラプソディー」が、公開されています。
長い前フリを経て、ここから
映画レビューが始まると思いました??
観ていません。
でた。似非ファン。
毎日クィーンを聴いていたら、
観たいなー観たいなーと思いが募りすぎて
ブログにしてしまった次第であります。
アイデンティティ 関連ツイート
なんでアイデンティティ弱くされなきゃいけないんですかね…