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アイデンティティざまぁwwwww

すべてを包摂した未来がある

(筆者撮影)

いつもお立ち寄りくださいまして、

誠にありがとうございます。

人とモノの

価値創造プロデューサー・伊藤邦彦です。

初めての方は、こちら➢

この2日間、個の時代の舞台が着実に整ってきていることに触れてきました。みなさんは、どうお感じになったでしょうか?

〝未来〟は過去から現在までをすべて含んでいる最も優れた状況。ですから〝未来の選択〟は理に適っています
ところが・・・・
毎日こうも不満が多いのは、過去と現在に縛られていることが原因。そして不安ばかりなのも未来を信じないことが起因し、それが肥大化して起こる現象で…つまりそれは未来を選択していない姿に他なりません。
〝未来はすべて含んでいる状態〟です。
それは善悪という〝捉え方〟を超え、中立な状況を浮き彫りにします
小事にこだわれば争いが絶えないけれど、大局に向かえば大きな枠組みの利害の中で調和がもたらされます。また人間関係も利己に向かうほどギクシャクし、相互理解に至ると共存関係が保たれます。
未来は、確実に、個の時代がやってきます。
しかしそれは個の孤立化や完全個人化を意味していません。
むしろ、個のアイデンティティが確立し、またアイデンティティが確立している別の個と結ばれることにあります。その訳は、もっと大きな大局に向かう為です。
いままでの枠組みでは、個が抑えられた分、基盤となる集団の利害が優先されました。もうその時代はお終い。
未来は、個では成し得ないけれども、個や枠組みの利害を超えた個同士が繋がってもっと大きな利害を適えていく時代です。
そんな未来を生きるわたしたちは、どんなマインドなのでしょうか?そして新たに結ばれるパートナーは、一体どんな人たちなのでしょうか?
未来を選択した人に、未来創造するための関係性が結ばれます。
私たちの脳は、知っています。
私たちが何を選択しているのかを。
脳は不完全です。
だからこそ、私たちの〝意志〟が介在できるのです。
どんな意志を脳に刷り込みますか?
どうやってそれを脳と対話しながら教え込んでいきますか?
そうして未来は手繰り寄せられてくるはずです。

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アイデンティティ このクリスマスに、あなたがいることをお祝いしたい

信仰は、見えざるものへの愛、不可能なもの、ありそうにないものへの信頼である。  ゲーテ 「格言と反省」

写真引用元:

●はじめに

信仰とは

① 神仏などを信じ崇あがめること。
 経験や知識を超えた存在を信頼し、
 自己をゆだねる自覚的な態度をいう。

② 人を信じうやまうこと。(大辞林より引用)

古から人は抗えない大自然や運命と自分の人生との折り合いをつけるために信仰を持ちました。

それは時には宗教だったり自然崇拝だったりしました。形式が違うとはいえ、見えざるものへの畏怖や愛、そして信頼がそこにはあります。

ここ、沖縄でもそのような信仰が息づいています。それは大きな枠で言えば自然崇拝に近いものですが琉球に特有の神と混じり合う事により独特な景色を生み出す事になります。

前回の記事、にも書きましたが沖縄の城は戦争のための拠点という位置づけよりも「御嶽(ウタキ)」と呼ばれる信仰の場所を内包しており、その事の方が重要であったとのでは?いう事を書きました。

今回はその「御嶽(ウタキ)」について徒然と書いてみたいと思います。

●そもそも「御嶽(ウタキ)」とは?

「御嶽(ウタキ)」は琉球王国(第二尚氏王朝)が制定した琉球の信仰における聖域の総称です。実はそれ以前はさまざまな呼び方が各地方にあったそうです。信仰の概念を統一する事で権力の安定をはかったのでしょうか?(当時は政治と信仰が深く関係していたそうです)

沖縄の信仰は元来、自然崇拝や祖先崇拝が基本となっています。日本の原始宗教に近いのでは?と思います。御嶽はそのような背景をベースにもっているといえます。

御嶽の多くは森の空間や泉や川などの自然です。島そのものであることもあります。

また、御嶽によっては空間の中心にイベあるいはイビ石という石碑があります。でも一度でもイベを見た事のある方は納得するでしょうがイベは、本当にただの石である事が多いです。いわゆる「御神体」的なものではありません。

実はイベは御神体ではなく、は本来は神が降臨する標識と考えられていました。また宮古や八重山地方では、過去に実在したノロの墓を御嶽とし、そのノロを地域の守護神として祭っていることが多く見られるそうです。(一部wikipedia参考)

写真引用: 

写真は「藪薩御嶽」です。

●御嶽は男子禁制

沖縄では神に仕えるのは女性の仕事でした。古くから沖縄では霊力は女性の方が男性より強く持つとされてきました。

女性は生まれながらにして神とふれあい、その力をひき出すエネルギーを強く持っていたのです。ですから神に仕える役割を担うのは自然に女性ということになります。

今でも村々のまつりごとや行事に際して、女性の神役は司祭者としての役割を担います。しかし、男性の神役は補佐する側に回るのが一般的である。女の神役は人と神の仲立ちをしたり、神の意志を取りついだりするが、男の神役にはこうした役割は無いのは興味深いです。

でもよく考えると、シャーマンや巫女などは世界的にも女性が主です。これは沖縄だけの考え方ではないのかもしれませんね。女性は直感に優れている人が多いので自然にこのような形になったのでは?というのが私の予想です♪

横道にそれましたが、聖域である御嶽は男子禁制がほとんどです。先に挙げた「藪薩御嶽」も男子禁制です (^_^)

●御嶽の由来

色々と調べてみましたが御嶽がどのように形成されているか?はハッキリしていないそうです。先に書いたように各地で自然発生的に起きた信仰を第二尚氏王朝時代に「御嶽」と制定したという経緯もあるのでしょう。

しかし、有力な説としては御嶽がある場所は元々は集落だったという事です。その証拠として御嶽の近くで生活の後や人骨などが見つかる事が多いからだそうです。

集落の中で自然崇拝や祖先崇拝の観点で「イビ」的な石などを祀るようになり、何らかの理由で集落が廃れても御嶽の機能は残り現代に残っているのではないでしょうか?

●御嶽が現代に生き残る理由

沖縄では、古くからの風習がまだ生活の中に息づいています。それは苦難の多かった沖縄の歴史もあったからかもしれません。

これは私的な意見ですが、本土から移住した方などが沖縄の人の排他的な態度に嫌気をさして帰ってしまうという事を聞く事があります。排他的な側面は否定できませんが、もしかしたらこのような古くからの風習が影響しているかもしれません。

しかし、だからと言って本土の方に対して排他的である事は良い事では全くありませんのでこれは大いに改善される点だと思います。

沖縄における御嶽は先祖を祀る場所です。「んっ?それならお墓はあるのでは?」と疑問に思う方もいるでしょう。でも沖縄の人にとってお墓と御嶽は別物なのです。沖縄の村達は遠い遠い遠い祖先たちを祖霊神であると考えています。

しかもその霊は現在も私達のそばにいて日常の私達を見守ってくれていると強く信じています。この考え方は現代にも脈々と受け継がれています。小さい頃、悪さをしたら、「天国のオジーやオバーが見ているよ」とよく言われたものです。

語弊を恐れずに言うなら、墓や仏壇、御嶽はそれぞれ祖先へアクセスするための別々の入り口という感覚を沖縄の人は自然に持っています。それが御嶽が昔と変わらずに残っている理由だと思います。

●有名な御嶽

御嶽は生活の場でもあったので大小様々なものが存在しています。観光地になっているところもあれば、ひっそりとその役目を終えかけているところもあります。街を歩いていて神社でもお寺でもないのに道端でお供えものやお酒などが置かれている祠のような場所は、ほぼ御嶽です。初めて見る方はきっと驚かれるはずです。そのくらい生活に根付いた場所なのです。

今回は有名な御嶽をいくつか採り上げてみたいと思います。

まずはその歴史から・・・
「琉球開闢七御嶽」

琉球の神話では、日の大神(天にある最高神、日神、天帝)が開闢の神アマミキヨ(アマミク)に命じて島作りをさせたと言われています。

アマミキヨはこの命を受け、沖縄本島を作り、そこに9つの聖地(出典「中山世鑑」)7つの森(出典「聞得大君御規式の次第」)を作ったとされています。

現在では、アマミキヨによって作られた聖地のうち7つが、琉球開闢七御嶽として語り継がれ、琉球の信仰においてもっとも神聖な御嶽として位置づけられています。

このうち王国の祭政一致体制において最重視された御嶽は、斎場御嶽です。聞得大君の就任式などはこの御嶽で行なわれました。現在の斎場御嶽からは、アマミキヨ降臨の聖地である久高島が遥拝できるが、これは王国時代の史料には記録されていません。また国王就任に際しては、君手摩(きみてずり)が安須森御嶽に現れ、5つの御嶽を順に巡り、最後に首里真玉森御嶽に現れるといわれています。(wikipediaより引用)

以下、アマミキヨが作ったとされる順番です。

・安須森御嶽(あすむぃうたき):国頭村辺土
・クボウ御嶽:今帰仁村今帰仁グスク内
・斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
・薮薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
・雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城、玉城グスク内
・クボー御嶽(くぼーうたき):南城市知念(久高島)
・首里真玉森御嶽(しゅいまだむいうたき):首里城内

・安須森御嶽

安須森御嶽は琉球開闢七御嶽の一つであり、沖縄最高の聖地です。
ここは山の頂上に位置しており登山道も獣道のようなものなので簡単には行けません。貴重な動画がありましたので観て下さい!

・クボウ御嶽

琉球開闢七御嶽のうち、アマミキヨが2番目に作ったとされる御嶽です。山全体が御嶽になっているそうです。

・斎場御嶽

琉球の始祖「アマミキヨ」が造ったとされ、国始めの七御嶽の一つといわれる沖縄最高の聖地です。琉球の最高神女であった聞得大君(きこえおおきみ)の就任の儀式はこの斎場御嶽で執り行われました。2000年12月、首里城跡などとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

●御嶽と琉球舞踊

琉球舞踊 稲まづん

今年もづくりや あん美らさよかて
倉に積み余ち 真積みしやべら
(訳:今年の稲作は見事な出来栄えで倉に積みあまして、真積もしましょう)

銀臼のなかへ 黄金軸立てて
ためし摺り増する 雪の真米
(訳:銀の臼に黄金の軸を立てて、もみを摺りしらげると
例年になく多くの雪のような白い真米がとれたよ)

これは五穀豊穣を祈り、祝う歌ですがこの歌詞にも見られるように琉球の人は昔から祖先や自然を大切にし、受け継いできました。

その姿は、昔と変わらずに御嶽を大切にするところと全く同じです。人間は太陽がなければ生きていけません。そして沖縄ではこの太陽の光が年中、強いです。幾多の困難な歴史を体験した琉球の人は、変わらずに輝き力を与えてくれる太陽に感謝し、それが自然崇拝、祖先崇拝という不変のアイデンティティを育んだのではないか?と感じます。

写真引用元:

●東御廻りの御嶽

これは現在も行われている聖地巡礼の事です。
太陽の昇る東方を、ニライカナイのある聖なる方角と考え、首里からみて太陽が昇る東方(あがりかた)といわれた玉城、知念、佐敷、大里にある御嶽を巡るものです。

元々の起源は国王の巡礼と考えられており、以後時代が下るに従い、士族、民間へと広まったようです。

現在では、士族の流れを汲んでいる門中(むんちゅー:男系血族)を中心に行われています。

巡る御嶽は門中によって多少異なるが、起点の園比屋武御嶽から以下の順に巡るのが一般的です。(wikipediaを参考)

   1,園比屋武御嶽(すぬひゃんうたき):首里城外
   2,与那原親川(よなばるうぇーがー):与那原町
   3,御殿山(うどぅんやま):与那原町
   4,場天御嶽(ばてぃんうたき):南城市佐敷
   5,佐敷上グスク(さしきうぃぐすく):南城市佐敷
   6,テダ御川(てぃだうかー):南城市知念
   7,斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
   8,友利ノ御嶽(とむいのたけ):南城市知念知念グスク内
   9,知念大川(ちねんうっかー):南城市知念
10,ミントングスク(みんとぅんぐすく):南城市玉城
11,仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー):南城市玉城
12,アイハンタ御嶽(あいはんたうたき):南城市玉城
13,藪薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
14,ヤ
ラヅカサ:南城市玉城
15、潮花司(すーぱなつかさ):南城市玉城
16,浜川御嶽(はまがーうたき):南城市玉城
17,浜川受水走水(はまがーうきんじゅはいんじゅ):南城市玉城
18,雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城玉城グスク内
19,玉城祝女殿内(たまぐすくぬんどぅち):南城市玉城
20,志堅原仁川(しちんばるじんがー):南城市玉城

このように現代にも脈々と息づく伝統の基礎が御嶽にはあります。100年後も同じようにこの伝統は続いているものだと思います。ですから、「今に生きる」一人としてあらためて御嶽に祈りを捧げてみたいなぁと感じました。あなたはどのような感想を持ちましたか?

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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写真引用元:

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小さいときからいつでも猪突猛進で、

たくさんの夢を叶えてきたわたし。

でも2年前から

何に向かって突き進んだらいいのか

わからなくなってしまい、

迷走状態に陥っていました。

でもクローゼットに10着だけ残して

一斉処分をしたところ、

今のわたしにぴったりこない

“顔”=アイデンティティまで

脱ぎ捨てることができて、

(くわしくはで!)

次々と発想の大転換、

パラダイムシフトが起きて

さらには

どんどん引き寄せまで起きるように爆  笑

この連載も連日

人気記事にランクインしていて、

読者の方からも

パラダイムシフトや引き寄せのご報告を

次々といただいて、

昨日はとうとう、

わたしの母からもうれしい報告がラブ

父の学院を譲渡する前に買っていた

(くわしくはで!)

高級なスーツを

いくつも捨てられずに持っていた母が、

とうとうクローゼットをきれいにして、

45Lのゴミ袋に

靴は1袋分、

お洋服は9袋分処分したというんです!

そして、

「こんなに気持ちいいなら、

 もっと早くやっていればよかった〜ドキドキ

なんて言ってくれて!!!!!

この連載を書きながら

父や母との関係についても

たくさんのパラダイムシフトがあり、

母には絶対にしあわせになってほしいって

こころから思っています。

「しあわせになってほしい」

というよりも、

「しあわせを実感してほしい」

という感じが正しいかなウインク

少しでもたくさんのひとに

『理想の人生』を探す旅に出て、

本当に自由な人生FREE LIFE

生きてもらえたら

こんなにうれしいことはありませんラブ

というわけで、

今日はたぶんみんなが興味があると思われる

「好き」と「仕事」の両立について

深掘りしてみたいと思います!

本当に好きなことをして生きていくのは、甘い考え?

夫は母親がグアムで

20年近く経営するレストランを、

わたしは父が

20年近く経営するセラピスト育成校を、

親が高齢になってきたという理由から、

そして親の役に立ちたいという気持ちから、

2代目として

経営を手伝っていた経験があります。

ふたりとも親のビジネスに入るときの動機は

「親を助けたい」という気持ちだから、

自分にそれが向いているとか、

それがとても好きだとか、

そういうことは

全然考えていなかったんですね。

わたしは

義母のレストランを手伝っている夫と結婚して

グアムに嫁いだんですが、

(くわしくはで!)

なんとなく夫がこころから

そのお仕事を楽しんでいるように

見えませんでした。

だから夫に、

「本当にしたいことって何?」

って質問したことが何度かあります。

夫が本を出したいと言ったら、

たとえば

お仕事を紹介したり、
3.11のあと、
被災地復興支援パーティーをしたいと言えば、
グアム中のアーティストに声をかけて
作品を提出してもらって
チャリティのお手伝いをしたり、
いつでも夫の夢を
全力で応援してきました爆  笑

わたしがいつも、

本当に自分がしたいことに向かって

全力で突っ走って、

たくさんのものを手に入れられたし、

後悔したことがないから、

愛する夫にも、

そんな人生を歩んでほしいと

勝手に思っていたんですね。

ところが

9年間のグアム生活の間に何度も

夫が本当にしたいことは何か、

夫が本当にしたいことをできているか、

と質問し、

「本当にやりたいことを

 お仕事にしてほしい」

と彼に伝えたある日、

「本当にやりたいことだけをして

 食べていかれるほど、

 世の中は甘くないんだ」

と言われたときは、

とてもびっくりしたし、

ショックでしたガーン

グアムに住んでいたとき、

わたしは”鳥かごに閉じ込められた鳥”

のように感じていたけれど、

それでも

本当に好きなことだけをしたい!

という気持ちは

失っていなかったからです。

あの日から、

わたしの頭の中で

「働くって、そんなに苦しいものなの?」

という問いかけが、

ぐるぐると頭の中を

めぐるようになりました。

本当に生きたい人生を生きられる舞台を求めて…

わたしの生きたい人生は、

家族が仲良くおいしいものを一緒に食べられて、

行きたいときに数週間単位で

暮らすように海外に行かれて、

大好きなひとたちとホームパーティーをして、

経済的にも豊かに暮らすことでした。

この点グアムは、

とにかくおいしくて新鮮な食材が少なく、

島外に出ようと思うと時間もお金もかかり、

夫のお仕事がら長期で家を空けられず、

大好きな家族や友人は日本にいるという

わたしにとっては三重苦…ガーン

それでも食材が豊かでなくても、

夫とふたりのときは

時間をみつけて必ず毎週外食をしたり、

ふたりでキッチンに入って

仲良くディナーを作ったりしていましたが、

娘が生まれて

わたしの唯一の楽しみの、

週に1回だけでも

夫婦でゆっくりと水入らずでお食事する

という息抜きが

ままならなくなってしまいましたえーん

こうしてでも書いたように

わたしの中の被害者意識が強くなっていき、

娘が1歳半のとき、

わたしはとうとう肺炎になってしまいました。

さらに元気が取り柄の娘まで

かなりひどい肺炎になり、

一時はとても危ない状態に…。

なんとか肺炎から回復したものの、

娘もわたしも数ヶ月

なかなかひどい咳が抜けません。

ちょうどその頃ハワイから

ナチュロパス(自然医療)のドクターが

来島していたので診ていただいていたところ、

「あなた、
 何かものすごく気がかりなことがあるんじゃない?

と言われました。

肺や気管支は感情と深くリンクしているから、

 あなたのこころが元気になったときに

 この咳は治るから」

「幼いこどもは母親と一心同体だから、

 あなたが元気になれば

 彼女の咳も治るから

 まずはあなたが元気になることを考えて」

わたしはポロポロ涙を流しながら

ドクターにこれまでずっと我慢してきたこと、

辛くて辛くて仕方ないことを話しました。

それから1ヶ月、

わたしは来る日も来る日も

どうしたらわたしが元気になって、

娘も元気になれるのかを考えました。

夫のために、

娘のために、

義母のために、

お店のために…。

そう想ってずっと見て見ぬふりをして

置き去りにしていた

ワタシノキモチ

2014年の12月31日。

わたしは意を決して夫に言いました。

「日本に帰りたい。

 3人で日本に帰りましょう」

こうしてわたしたちは、

2015年3月23日に、

約9年を過ごしたグアムを離れ、

日本に帰国しました。

やっぱり好きなことをして生きるのはムズカシイ?!

日本に帰国して、

わたしは夫と一緒に起業したいと

思っていました。

でも夫は夫婦で起業すると

収入が安定しなくてリスクが高いから

就職すると言います。

そこでわたしも夫の就職を

できるだけ応援したいと思いましたが、

唯一リクエストしたのが、

飲食業などの

夜や休日こそ働かなければいけない

職業はやめてほしいということでした。

わたしたち家族が仲良く家族そろって

お夕食をゆっくりと楽しめるようになる

というのが、

わたしが元気になり、

娘も元気になるために

絶対に必要だとわかっていたからです。

でも9年間を

グアムのレストランオーナーとして過ごした

40代の男性が、

サービス業以外で就職するというのは

思っていた以上に難しいことでした。

わたしの貯金や株を切り崩し、

先が見えない不安の中で、

飲食業やサービス業以外での就職に

本当にこだわるべきなのか、

さすがのわたしも不安になりました。

でも、ここでくじけたら

何のために帰国したのか

わからなくなってしまう…。

そんな不安の真っ只中にいるときに、

わたしの父が、

200万円を支援するから

これを資本金にして

ふたりで起業しなさいと言ってくれました。

「この200万円は返さなくていい。

 もし失敗したら、

 それはわたしの見る目が

 なかったということだから。

 でも、これで必ず立ち上がりなさい」

それが父の言葉でした。

 

生死をさまよい、

事業を手放し、

自分たちの老後のために

本当に少しだけ手元に残ったお金を、

こうしてわたしたちに

託してくれる…。

本当に感謝しかなく、

だからこそ、

父が喜ぶ事業を始めたいと思いました。

そこでわたしたちは、

人脈も経験もバックグラウンドもないのに、

高齢者ビジネスで起業してしまったのです。

結果は本当に困難を極めました…。

モニターとしてサービスを受けた方は

皆さん本当に喜んでくださるのだけど、

なかなかそこから先に

進むことができませんでした。

営業が得意だった父が、

営業経験の乏しいわたしたちを助けるため、

営業を手伝ったりしてくれましたが

一向に売上につながりません。

父の提供してくれた資本金も

どんどん減っていきます。

ただただ、焦りだけが大きくなり、

精神的にどんどん追い詰められていきました。

もう好きとか嫌いとか

言っている場合じゃありませんでした。

とにかく立ち上がらなければ。

なんとかしなければ。

自信がなくても、不安でも、

アイディアを出しては行動して、

というのを

心身の限界まで繰り返しました。

やっぱりどんな仕事でもいいから

就職したほうがいいんじゃないか。

父を除く家族・親戚皆がそう思い、

わたしでさえ、

そんな想いを抱えるようになりました。

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信仰は、見えざるものへの愛、不可能なもの、ありそうにないものへの信頼である。  ゲーテ 「格言と反省」

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●はじめに

信仰とは

① 神仏などを信じ崇あがめること。
 経験や知識を超えた存在を信頼し、
 自己をゆだねる自覚的な態度をいう。

② 人を信じうやまうこと。(大辞林より引用)

古から人は抗えない大自然や運命と自分の人生との折り合いをつけるために信仰を持ちました。

それは時には宗教だったり自然崇拝だったりしました。形式が違うとはいえ、見えざるものへの畏怖や愛、そして信頼がそこにはあります。

ここ、沖縄でもそのような信仰が息づいています。それは大きな枠で言えば自然崇拝に近いものですが琉球に特有の神と混じり合う事により独特な景色を生み出す事になります。

前回の記事、にも書きましたが沖縄の城は戦争のための拠点という位置づけよりも「御嶽(ウタキ)」と呼ばれる信仰の場所を内包しており、その事の方が重要であったとのでは?いう事を書きました。

今回はその「御嶽(ウタキ)」について徒然と書いてみたいと思います。

●そもそも「御嶽(ウタキ)」とは?

「御嶽(ウタキ)」は琉球王国(第二尚氏王朝)が制定した琉球の信仰における聖域の総称です。実はそれ以前はさまざまな呼び方が各地方にあったそうです。信仰の概念を統一する事で権力の安定をはかったのでしょうか?(当時は政治と信仰が深く関係していたそうです)

沖縄の信仰は元来、自然崇拝や祖先崇拝が基本となっています。日本の原始宗教に近いのでは?と思います。御嶽はそのような背景をベースにもっているといえます。

御嶽の多くは森の空間や泉や川などの自然です。島そのものであることもあります。

また、御嶽によっては空間の中心にイベあるいはイビ石という石碑があります。でも一度でもイベを見た事のある方は納得するでしょうがイベは、本当にただの石である事が多いです。いわゆる「御神体」的なものではありません。

実はイベは御神体ではなく、は本来は神が降臨する標識と考えられていました。また宮古や八重山地方では、過去に実在したノロの墓を御嶽とし、そのノロを地域の守護神として祭っていることが多く見られるそうです。(一部wikipedia参考)

写真引用: 

写真は「藪薩御嶽」です。

●御嶽は男子禁制

沖縄では神に仕えるのは女性の仕事でした。古くから沖縄では霊力は女性の方が男性より強く持つとされてきました。

女性は生まれながらにして神とふれあい、その力をひき出すエネルギーを強く持っていたのです。ですから神に仕える役割を担うのは自然に女性ということになります。

今でも村々のまつりごとや行事に際して、女性の神役は司祭者としての役割を担います。しかし、男性の神役は補佐する側に回るのが一般的である。女の神役は人と神の仲立ちをしたり、神の意志を取りついだりするが、男の神役にはこうした役割は無いのは興味深いです。

でもよく考えると、シャーマンや巫女などは世界的にも女性が主です。これは沖縄だけの考え方ではないのかもしれませんね。女性は直感に優れている人が多いので自然にこのような形になったのでは?というのが私の予想です♪

横道にそれましたが、聖域である御嶽は男子禁制がほとんどです。先に挙げた「藪薩御嶽」も男子禁制です (^_^)

●御嶽の由来

色々と調べてみましたが御嶽がどのように形成されているか?はハッキリしていないそうです。先に書いたように各地で自然発生的に起きた信仰を第二尚氏王朝時代に「御嶽」と制定したという経緯もあるのでしょう。

しかし、有力な説としては御嶽がある場所は元々は集落だったという事です。その証拠として御嶽の近くで生活の後や人骨などが見つかる事が多いからだそうです。

集落の中で自然崇拝や祖先崇拝の観点で「イビ」的な石などを祀るようになり、何らかの理由で集落が廃れても御嶽の機能は残り現代に残っているのではないでしょうか?

●御嶽が現代に生き残る理由

沖縄では、古くからの風習がまだ生活の中に息づいています。それは苦難の多かった沖縄の歴史もあったからかもしれません。

これは私的な意見ですが、本土から移住した方などが沖縄の人の排他的な態度に嫌気をさして帰ってしまうという事を聞く事があります。排他的な側面は否定できませんが、もしかしたらこのような古くからの風習が影響しているかもしれません。

しかし、だからと言って本土の方に対して排他的である事は良い事では全くありませんのでこれは大いに改善される点だと思います。

沖縄における御嶽は先祖を祀る場所です。「んっ?それならお墓はあるのでは?」と疑問に思う方もいるでしょう。でも沖縄の人にとってお墓と御嶽は別物なのです。沖縄の村達は遠い遠い遠い祖先たちを祖霊神であると考えています。

しかもその霊は現在も私達のそばにいて日常の私達を見守ってくれていると強く信じています。この考え方は現代にも脈々と受け継がれています。小さい頃、悪さをしたら、「天国のオジーやオバーが見ているよ」とよく言われたものです。

語弊を恐れずに言うなら、墓や仏壇、御嶽はそれぞれ祖先へアクセスするための別々の入り口という感覚を沖縄の人は自然に持っています。それが御嶽が昔と変わらずに残っている理由だと思います。

●有名な御嶽

御嶽は生活の場でもあったので大小様々なものが存在しています。観光地になっているところもあれば、ひっそりとその役目を終えかけているところもあります。街を歩いていて神社でもお寺でもないのに道端でお供えものやお酒などが置かれている祠のような場所は、ほぼ御嶽です。初めて見る方はきっと驚かれるはずです。そのくらい生活に根付いた場所なのです。

今回は有名な御嶽をいくつか採り上げてみたいと思います。

まずはその歴史から・・・
「琉球開闢七御嶽」

琉球の神話では、日の大神(天にある最高神、日神、天帝)が開闢の神アマミキヨ(アマミク)に命じて島作りをさせたと言われています。

アマミキヨはこの命を受け、沖縄本島を作り、そこに9つの聖地(出典「中山世鑑」)7つの森(出典「聞得大君御規式の次第」)を作ったとされています。

現在では、アマミキヨによって作られた聖地のうち7つが、琉球開闢七御嶽として語り継がれ、琉球の信仰においてもっとも神聖な御嶽として位置づけられています。

このうち王国の祭政一致体制において最重視された御嶽は、斎場御嶽です。聞得大君の就任式などはこの御嶽で行なわれました。現在の斎場御嶽からは、アマミキヨ降臨の聖地である久高島が遥拝できるが、これは王国時代の史料には記録されていません。また国王就任に際しては、君手摩(きみてずり)が安須森御嶽に現れ、5つの御嶽を順に巡り、最後に首里真玉森御嶽に現れるといわれています。(wikipediaより引用)

以下、アマミキヨが作ったとされる順番です。

・安須森御嶽(あすむぃうたき):国頭村辺土
・クボウ御嶽:今帰仁村今帰仁グスク内
・斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
・薮薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
・雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城、玉城グスク内
・クボー御嶽(くぼーうたき):南城市知念(久高島)
・首里真玉森御嶽(しゅいまだむいうたき):首里城内

・安須森御嶽

安須森御嶽は琉球開闢七御嶽の一つであり、沖縄最高の聖地です。
ここは山の頂上に位置しており登山道も獣道のようなものなので簡単には行けません。貴重な動画がありましたので観て下さい!

・クボウ御嶽

琉球開闢七御嶽のうち、アマミキヨが2番目に作ったとされる御嶽です。山全体が御嶽になっているそうです。

・斎場御嶽

琉球の始祖「アマミキヨ」が造ったとされ、国始めの七御嶽の一つといわれる沖縄最高の聖地です。琉球の最高神女であった聞得大君(きこえおおきみ)の就任の儀式はこの斎場御嶽で執り行われました。2000年12月、首里城跡などとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

●御嶽と琉球舞踊

琉球舞踊 稲まづん

今年もづくりや あん美らさよかて
倉に積み余ち 真積みしやべら
(訳:今年の稲作は見事な出来栄えで倉に積みあまして、真積もしましょう)

銀臼のなかへ 黄金軸立てて
ためし摺り増する 雪の真米
(訳:銀の臼に黄金の軸を立てて、もみを摺りしらげると
例年になく多くの雪のような白い真米がとれたよ)

これは五穀豊穣を祈り、祝う歌ですがこの歌詞にも見られるように琉球の人は昔から祖先や自然を大切にし、受け継いできました。

その姿は、昔と変わらずに御嶽を大切にするところと全く同じです。人間は太陽がなければ生きていけません。そして沖縄ではこの太陽の光が年中、強いです。幾多の困難な歴史を体験した琉球の人は、変わらずに輝き力を与えてくれる太陽に感謝し、それが自然崇拝、祖先崇拝という不変のアイデンティティを育んだのではないか?と感じます。

写真引用元:

●東御廻りの御嶽

これは現在も行われている聖地巡礼の事です。
太陽の昇る東方を、ニライカナイのある聖なる方角と考え、首里からみて太陽が昇る東方(あがりかた)といわれた玉城、知念、佐敷、大里にある御嶽を巡るものです。

元々の起源は国王の巡礼と考えられており、以後時代が下るに従い、士族、民間へと広まったようです。

現在では、士族の流れを汲んでいる門中(むんちゅー:男系血族)を中心に行われています。

巡る御嶽は門中によって多少異なるが、起点の園比屋武御嶽から以下の順に巡るのが一般的です。(wikipediaを参考)

   1,園比屋武御嶽(すぬひゃんうたき):首里城外
   2,与那原親川(よなばるうぇーがー):与那原町
   3,御殿山(うどぅんやま):与那原町
   4,場天御嶽(ばてぃんうたき):南城市佐敷
   5,佐敷上グスク(さしきうぃぐすく):南城市佐敷
   6,テダ御川(てぃだうかー):南城市知念
   7,斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
   8,友利ノ御嶽(とむいのたけ):南城市知念知念グスク内
   9,知念大川(ちねんうっかー):南城市知念
10,ミントングスク(みんとぅんぐすく):南城市玉城
11,仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー):南城市玉城
12,アイハンタ御嶽(あいはんたうたき):南城市玉城
13,藪薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
14,ヤ
ラヅカサ:南城市玉城
15、潮花司(すーぱなつかさ):南城市玉城
16,浜川御嶽(はまがーうたき):南城市玉城
17,浜川受水走水(はまがーうきんじゅはいんじゅ):南城市玉城
18,雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城玉城グスク内
19,玉城祝女殿内(たまぐすくぬんどぅち):南城市玉城
20,志堅原仁川(しちんばるじんがー):南城市玉城

このように現代にも脈々と息づく伝統の基礎が御嶽にはあります。100年後も同じようにこの伝統は続いているものだと思います。ですから、「今に生きる」一人としてあらためて御嶽に祈りを捧げてみたいなぁと感じました。あなたはどのような感想を持ちましたか?

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写真引用元:

アイデンティティ おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。

キャリア・子育て・パートナーシップ…

愛と人生の舵を取り『本当に生きたい人生』を生きるためのセルフコーチングメソッドをお伝えする『フリーライフアカデミー』主宰。

フリーライフコーチで、 5歳女の子のママで写真家の鶴賀奈穂乃(つるがなほの)ですラブラブ

猪突猛進だったわたしが家族のためにいろいろ我慢していたら、本当に生きたい人生がわからなくなって大迷走ガーン

でもブログで【なほのSTORY】を書きながら自分の人生や感情としっかり向き合ったら、12日後には一気にブログアクセスが月間90万を超え、家庭も、お仕事も、パートナーシップもわたし史上最幸を毎日更新爆  笑
 
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『理想の人生』をみつけるためのヒントは、
これまでの人生に隠されている!

小さいときからいつでも猪突猛進で、

たくさんの夢を叶えてきたわたし。

でも2年前から

何に向かって突き進んだらいいのか

わからなくなってしまい、

迷走状態に陥っていました。

でもクローゼットに10着だけ残して

一斉処分をしたところ、

今のわたしにぴったりこない

“顔”=アイデンティティまで

脱ぎ捨てることができて、

(くわしくはで!)

次々と発想の大転換、

パラダイムシフトが起きて

さらには

どんどん引き寄せまで起きるように爆  笑

この連載も連日

人気記事にランクインしていて、

読者の方からも

パラダイムシフトや引き寄せのご報告を

次々といただいて、

昨日はとうとう、

わたしの母からもうれしい報告がラブ

父の学院を譲渡する前に買っていた

(くわしくはで!)

高級なスーツを

いくつも捨てられずに持っていた母が、

とうとうクローゼットをきれいにして、

45Lのゴミ袋に

靴は1袋分、

お洋服は9袋分処分したというんです!

そして、

「こんなに気持ちいいなら、

 もっと早くやっていればよかった〜ドキドキ

なんて言ってくれて!!!!!

この連載を書きながら

父や母との関係についても

たくさんのパラダイムシフトがあり、

母には絶対にしあわせになってほしいって

こころから思っています。

「しあわせになってほしい」

というよりも、

「しあわせを実感してほしい」

という感じが正しいかなウインク

少しでもたくさんのひとに

『理想の人生』を探す旅に出て、

本当に自由な人生FREE LIFE

生きてもらえたら

こんなにうれしいことはありませんラブ

というわけで、

今日はたぶんみんなが興味があると思われる

「好き」と「仕事」の両立について

深掘りしてみたいと思います!

本当に好きなことをして生きていくのは、甘い考え?

夫は母親がグアムで

20年近く経営するレストランを、

わたしは父が

20年近く経営するセラピスト育成校を、

親が高齢になってきたという理由から、

そして親の役に立ちたいという気持ちから、

2代目として

経営を手伝っていた経験があります。

ふたりとも親のビジネスに入るときの動機は

「親を助けたい」という気持ちだから、

自分にそれが向いているとか、

それがとても好きだとか、

そういうことは

全然考えていなかったんですね。

わたしは

義母のレストランを手伝っている夫と結婚して

グアムに嫁いだんですが、

(くわしくはで!)

なんとなく夫がこころから

そのお仕事を楽しんでいるように

見えませんでした。

だから夫に、

「本当にしたいことって何?」

って質問したことが何度かあります。

夫が本を出したいと言ったら、

たとえば

お仕事を紹介したり、
3.11のあと、
被災地復興支援パーティーをしたいと言えば、
グアム中のアーティストに声をかけて
作品を提出してもらって
チャリティのお手伝いをしたり、
いつでも夫の夢を
全力で応援してきました爆  笑

わたしがいつも、

本当に自分がしたいことに向かって

全力で突っ走って、

たくさんのものを手に入れられたし、

後悔したことがないから、

愛する夫にも、

そんな人生を歩んでほしいと

勝手に思っていたんですね。

ところが

9年間のグアム生活の間に何度も

夫が本当にしたいことは何か、

夫が本当にしたいことをできているか、

と質問し、

「本当にやりたいことを

 お仕事にしてほしい」

と彼に伝えたある日、

「本当にやりたいことだけをして

 食べていかれるほど、

 世の中は甘くないんだ」

と言われたときは、

とてもびっくりしたし、

ショックでしたガーン

グアムに住んでいたとき、

わたしは”鳥かごに閉じ込められた鳥”

のように感じていたけれど、

それでも

本当に好きなことだけをしたい!

という気持ちは

失っていなかったからです。

あの日から、

わたしの頭の中で

「働くって、そんなに苦しいものなの?」

という問いかけが、

ぐるぐると頭の中を

めぐるようになりました。

本当に生きたい人生を生きられる舞台を求めて…

わたしの生きたい人生は、

家族が仲良くおいしいものを一緒に食べられて、

行きたいときに数週間単位で

暮らすように海外に行かれて、

大好きなひとたちとホームパーティーをして、

経済的にも豊かに暮らすことでした。

この点グアムは、

とにかくおいしくて新鮮な食材が少なく、

島外に出ようと思うと時間もお金もかかり、

夫のお仕事がら長期で家を空けられず、

大好きな家族や友人は日本にいるという

わたしにとっては三重苦…ガーン

それでも食材が豊かでなくても、

夫とふたりのときは

時間をみつけて必ず毎週外食をしたり、

ふたりでキッチンに入って

仲良くディナーを作ったりしていましたが、

娘が生まれて

わたしの唯一の楽しみの、

週に1回だけでも

夫婦でゆっくりと水入らずでお食事する

という息抜きが

ままならなくなってしまいましたえーん

こうしてでも書いたように

わたしの中の被害者意識が強くなっていき、

娘が1歳半のとき、

わたしはとうとう肺炎になってしまいました。

さらに元気が取り柄の娘まで

かなりひどい肺炎になり、

一時はとても危ない状態に…。

なんとか肺炎から回復したものの、

娘もわたしも数ヶ月

なかなかひどい咳が抜けません。

ちょうどその頃ハワイから

ナチュロパス(自然医療)のドクターが

来島していたので診ていただいていたところ、

「あなた、
 何かものすごく気がかりなことがあるんじゃない?

と言われました。

肺や気管支は感情と深くリンクしているから、

 あなたのこころが元気になったときに

 この咳は治るから」

「幼いこどもは母親と一心同体だから、

 あなたが元気になれば

 彼女の咳も治るから

 まずはあなたが元気になることを考えて」

わたしはポロポロ涙を流しながら

ドクターにこれまでずっと我慢してきたこと、

辛くて辛くて仕方ないことを話しました。

それから1ヶ月、

わたしは来る日も来る日も

どうしたらわたしが元気になって、

娘も元気になれるのかを考えました。

夫のために、

娘のために、

義母のために、

お店のために…。

そう想ってずっと見て見ぬふりをして

置き去りにしていた

ワタシノキモチ

2014年の12月31日。

わたしは意を決して夫に言いました。

「日本に帰りたい。

 3人で日本に帰りましょう」

こうしてわたしたちは、

2015年3月23日に、

約9年を過ごしたグアムを離れ、

日本に帰国しました。

やっぱり好きなことをして生きるのはムズカシイ?!

日本に帰国して、

わたしは夫と一緒に起業したいと

思っていました。

でも夫は夫婦で起業すると

収入が安定しなくてリスクが高いから

就職すると言います。

そこでわたしも夫の就職を

できるだけ応援したいと思いましたが、

唯一リクエストしたのが、

飲食業などの

夜や休日こそ働かなければいけない

職業はやめてほしいということでした。

わたしたち家族が仲良く家族そろって

お夕食をゆっくりと楽しめるようになる

というのが、

わたしが元気になり、

娘も元気になるために

絶対に必要だとわかっていたからです。

でも9年間を

グアムのレストランオーナーとして過ごした

40代の男性が、

サービス業以外で就職するというのは

思っていた以上に難しいことでした。

わたしの貯金や株を切り崩し、

先が見えない不安の中で、

飲食業やサービス業以外での就職に

本当にこだわるべきなのか、

さすがのわたしも不安になりました。

でも、ここでくじけたら

何のために帰国したのか

わからなくなってしまう…。

そんな不安の真っ只中にいるときに、

わたしの父が、

200万円を支援するから

これを資本金にして

ふたりで起業しなさいと言ってくれました。

「この200万円は返さなくていい。

 もし失敗したら、

 それはわたしの見る目が

 なかったということだから。

 でも、これで必ず立ち上がりなさい」

それが父の言葉でした。

 

生死をさまよい、

事業を手放し、

自分たちの老後のために

本当に少しだけ手元に残ったお金を、

こうしてわたしたちに

託してくれる…。

本当に感謝しかなく、

だからこそ、

父が喜ぶ事業を始めたいと思いました。

そこでわたしたちは、

人脈も経験もバックグラウンドもないのに、

高齢者ビジネスで起業してしまったのです。

結果は本当に困難を極めました…。

モニターとしてサービスを受けた方は

皆さん本当に喜んでくださるのだけど、

なかなかそこから先に

進むことができませんでした。

営業が得意だった父が、

営業経験の乏しいわたしたちを助けるため、

営業を手伝ったりしてくれましたが

一向に売上につながりません。

父の提供してくれた資本金も

どんどん減っていきます。

ただただ、焦りだけが大きくなり、

精神的にどんどん追い詰められていきました。

もう好きとか嫌いとか

言っている場合じゃありませんでした。

とにかく立ち上がらなければ。

なんとかしなければ。

自信がなくても、不安でも、

アイディアを出しては行動して、

というのを

心身の限界まで繰り返しました。

やっぱりどんな仕事でもいいから

就職したほうがいいんじゃないか。

父を除く家族・親戚皆がそう思い、

わたしでさえ、

そんな想いを抱えるようになりました。

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