アイデンティティ 快適生活応援企業
キャリア・子育て・パートナーシップ…
愛と人生の舵を取り『本当に生きたい人生』を生きるためのセルフコーチングメソッドをお伝えする『フリーライフアカデミー』主宰。
フリーライフコーチで、 5歳女の子のママで写真家の鶴賀奈穂乃(つるがなほの)です
でもブログで
【なほのSTORY】を書きながら自分の人生や感情としっかり向き合ったら、12日後には一気にブログアクセスが月間90万を超え、家庭も、お仕事も、パートナーシップもわたし史上最幸を毎日更新生きる勇気とパワーが湧いてくる!と多くの出版リクエストをいただいた【なほのSTORY】を、読みやすくメールで再配信!無料購読はこちら
たった3ヶ月で0から月収200万円を売り上げた秘訣
あなたの魅力や強みをお金に換えるマインドセットセミナー
「依存しないパートナーシップを手に入れる♥」
♦ 2018年9月9日(日) 13:00-16:00
自分の殻を破って人生を動かすパリセミナー
VIP満席!一般わずか!
フリーライフセミナー in Paris
これまでの人生に隠されている!
小さいときからいつでも猪突猛進で、
たくさんの夢を叶えてきたわたし。
でも2年前から
何に向かって突き進んだらいいのか
わからなくなってしまい、
迷走状態に陥っていました。
でもクローゼットに10着だけ残して
一斉処分をしたところ、
今のわたしにぴったりこない
“顔”=アイデンティティまで
脱ぎ捨てることができて、
(くわしくはで!)
次々と発想の大転換、
パラダイムシフトが起きて、
さらには
どんどん引き寄せまで起きるように
この連載も連日
人気記事にランクインしていて、
読者の方からも
パラダイムシフトや引き寄せのご報告を
次々といただいて、
昨日はとうとう、
わたしの母からもうれしい報告が
父の学院を譲渡する前に買っていた
(くわしくはで!)
高級なスーツを
いくつも捨てられずに持っていた母が、
とうとうクローゼットをきれいにして、
45Lのゴミ袋に
靴は1袋分、
お洋服は9袋分処分したというんです!
そして、
「こんなに気持ちいいなら、
もっと早くやっていればよかった〜」
なんて言ってくれて!!!!!
この連載を書きながら
父や母との関係についても
たくさんのパラダイムシフトがあり、
母には絶対にしあわせになってほしいって
こころから思っています。
「しあわせになってほしい」
というよりも、
「しあわせを実感してほしい」
という感じが正しいかな
少しでもたくさんのひとに
『理想の人生』を探す旅に出て、
本当に自由な人生FREE LIFEを
生きてもらえたら
こんなにうれしいことはありません
というわけで、
今日はたぶんみんなが興味があると思われる
「好き」と「仕事」の両立について
深掘りしてみたいと思います!
夫は母親がグアムで
20年近く経営するレストランを、
わたしは父が
20年近く経営するセラピスト育成校を、
親が高齢になってきたという理由から、
そして親の役に立ちたいという気持ちから、
2代目として
経営を手伝っていた経験があります。
ふたりとも親のビジネスに入るときの動機は
「親を助けたい」という気持ちだから、
自分にそれが向いているとか、
それがとても好きだとか、
そういうことは
全然考えていなかったんですね。
わたしは
義母のレストランを手伝っている夫と結婚して
グアムに嫁いだんですが、
(くわしくはで!)
なんとなく夫がこころから
そのお仕事を楽しんでいるように
見えませんでした。
だから夫に、
「本当にしたいことって何?」
って質問したことが何度かあります。
夫が本を出したいと言ったら、
たとえば
の
わたしがいつも、
本当に自分がしたいことに向かって
全力で突っ走って、
たくさんのものを手に入れられたし、
後悔したことがないから、
愛する夫にも、
そんな人生を歩んでほしいと
勝手に思っていたんですね。
ところが
9年間のグアム生活の間に何度も
夫が本当にしたいことは何か、
夫が本当にしたいことをできているか、
と質問し、
「本当にやりたいことを
お仕事にしてほしい」
と彼に伝えたある日、
「本当にやりたいことだけをして
食べていかれるほど、
世の中は甘くないんだ」
と言われたときは、
とてもびっくりしたし、
ショックでした
グアムに住んでいたとき、
わたしは”鳥かごに閉じ込められた鳥”
のように感じていたけれど、
それでも
本当に好きなことだけをしたい!
という気持ちは
失っていなかったからです。
あの日から、
わたしの頭の中で
「働くって、そんなに苦しいものなの?」
という問いかけが、
ぐるぐると頭の中を
めぐるようになりました。
わたしの生きたい人生は、
家族が仲良くおいしいものを一緒に食べられて、
行きたいときに数週間単位で
暮らすように海外に行かれて、
大好きなひとたちとホームパーティーをして、
経済的にも豊かに暮らすことでした。
この点グアムは、
とにかくおいしくて新鮮な食材が少なく、
島外に出ようと思うと時間もお金もかかり、
夫のお仕事がら長期で家を空けられず、
大好きな家族や友人は日本にいるという
わたしにとっては三重苦…
それでも食材が豊かでなくても、
夫とふたりのときは
時間をみつけて必ず毎週外食をしたり、
ふたりでキッチンに入って
仲良くディナーを作ったりしていましたが、
娘が生まれて
わたしの唯一の楽しみの、
週に1回だけでも
夫婦でゆっくりと水入らずでお食事する
という息抜きが
ままならなくなってしまいました
こうしてでも書いたように
わたしの中の被害者意識が強くなっていき、
娘が1歳半のとき、
わたしはとうとう肺炎になってしまいました。
さらに元気が取り柄の娘まで
かなりひどい肺炎になり、
一時はとても危ない状態に…。
なんとか肺炎から回復したものの、
娘もわたしも数ヶ月
なかなかひどい咳が抜けません。
ちょうどその頃ハワイから
ナチュロパス(自然医療)のドクターが
来島していたので診ていただいていたところ、
「あなた、
何かものすごく気がかりなことがあるんじゃない?」
と言われました。
「肺や気管支は感情と深くリンクしているから、
あなたのこころが元気になったときに
この咳は治るから」
「幼いこどもは母親と一心同体だから、
あなたが元気になれば
彼女の咳も治るから
まずはあなたが元気になることを考えて」
わたしはポロポロ涙を流しながら
ドクターにこれまでずっと我慢してきたこと、
辛くて辛くて仕方ないことを話しました。
それから1ヶ月、
わたしは来る日も来る日も
どうしたらわたしが元気になって、
娘も元気になれるのかを考えました。
夫のために、
娘のために、
義母のために、
お店のために…。
そう想ってずっと見て見ぬふりをして
置き去りにしていた
ワタシノキモチ。
2014年の12月31日。
わたしは意を決して夫に言いました。
「日本に帰りたい。
3人で日本に帰りましょう」
こうしてわたしたちは、
2015年3月23日に、
約9年を過ごしたグアムを離れ、
日本に帰国しました。
日本に帰国して、
わたしは夫と一緒に起業したいと
思っていました。
でも夫は夫婦で起業すると
収入が安定しなくてリスクが高いから
就職すると言います。
そこでわたしも夫の就職を
できるだけ応援したいと思いましたが、
唯一リクエストしたのが、
飲食業などの
夜や休日こそ働かなければいけない
職業はやめてほしいということでした。
わたしたち家族が仲良く家族そろって
お夕食をゆっくりと楽しめるようになる
というのが、
わたしが元気になり、
娘も元気になるために
絶対に必要だとわかっていたからです。
でも9年間を
グアムのレストランオーナーとして過ごした
40代の男性が、
サービス業以外で就職するというのは
思っていた以上に難しいことでした。
わたしの貯金や株を切り崩し、
先が見えない不安の中で、
飲食業やサービス業以外での就職に
本当にこだわるべきなのか、
さすがのわたしも不安になりました。
でも、ここでくじけたら
何のために帰国したのか
わからなくなってしまう…。
そんな不安の真っ只中にいるときに、
わたしの父が、
200万円を支援するから
これを資本金にして
ふたりで起業しなさいと言ってくれました。
「この200万円は返さなくていい。
もし失敗したら、
それはわたしの見る目が
なかったということだから。
でも、これで必ず立ち上がりなさい」
それが父の言葉でした。
生死をさまよい、
事業を手放し、
自分たちの老後のために
本当に少しだけ手元に残ったお金を、
こうしてわたしたちに
託してくれる…。
本当に感謝しかなく、
だからこそ、
父が喜ぶ事業を始めたいと思いました。
そこでわたしたちは、
人脈も経験もバックグラウンドもないのに、
高齢者ビジネスで起業してしまったのです。
結果は本当に困難を極めました…。
モニターとしてサービスを受けた方は
皆さん本当に喜んでくださるのだけど、
なかなかそこから先に
進むことができませんでした。
営業が得意だった父が、
営業経験の乏しいわたしたちを助けるため、
営業を手伝ったりしてくれましたが
一向に売上につながりません。
父の提供してくれた資本金も
どんどん減っていきます。
ただただ、焦りだけが大きくなり、
精神的にどんどん追い詰められていきました。
もう好きとか嫌いとか
言っている場合じゃありませんでした。
とにかく立ち上がらなければ。
なんとかしなければ。
自信がなくても、不安でも、
アイディアを出しては行動して、
というのを
心身の限界まで繰り返しました。
やっぱりどんな仕事でもいいから
就職したほうがいいんじゃないか。
父を除く家族・親戚皆がそう思い、
わたしでさえ、
そんな想いを抱えるようになりました。
↓ ↓ ↓
はこちら!
アイデンティティがもっと評価されるべき5つの理由
アイデンティティ手帳は高橋
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わからなくなってしまい、
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今のわたしにぴったりこない
“顔”=アイデンティティまで
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父の学院を譲渡する前に買っていた
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とうとうクローゼットをきれいにして、
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靴は1袋分、
お洋服は9袋分処分したというんです!
そして、
「こんなに気持ちいいなら、
もっと早くやっていればよかった〜」
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たくさんのパラダイムシフトがあり、
母には絶対にしあわせになってほしいって
こころから思っています。
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というよりも、
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という感じが正しいかな
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生きてもらえたら
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というわけで、
今日はたぶんみんなが興味があると思われる
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夫は母親がグアムで
20年近く経営するレストランを、
わたしは父が
20年近く経営するセラピスト育成校を、
親が高齢になってきたという理由から、
そして親の役に立ちたいという気持ちから、
2代目として
経営を手伝っていた経験があります。
ふたりとも親のビジネスに入るときの動機は
「親を助けたい」という気持ちだから、
自分にそれが向いているとか、
それがとても好きだとか、
そういうことは
全然考えていなかったんですね。
わたしは
義母のレストランを手伝っている夫と結婚して
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そのお仕事を楽しんでいるように
見えませんでした。
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「本当にしたいことって何?」
って質問したことが何度かあります。
夫が本を出したいと言ったら、
たとえば
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わたしがいつも、
本当に自分がしたいことに向かって
全力で突っ走って、
たくさんのものを手に入れられたし、
後悔したことがないから、
愛する夫にも、
そんな人生を歩んでほしいと
勝手に思っていたんですね。
ところが
9年間のグアム生活の間に何度も
夫が本当にしたいことは何か、
夫が本当にしたいことをできているか、
と質問し、
「本当にやりたいことを
お仕事にしてほしい」
と彼に伝えたある日、
「本当にやりたいことだけをして
食べていかれるほど、
世の中は甘くないんだ」
と言われたときは、
とてもびっくりしたし、
ショックでした
グアムに住んでいたとき、
わたしは”鳥かごに閉じ込められた鳥”
のように感じていたけれど、
それでも
本当に好きなことだけをしたい!
という気持ちは
失っていなかったからです。
あの日から、
わたしの頭の中で
「働くって、そんなに苦しいものなの?」
という問いかけが、
ぐるぐると頭の中を
めぐるようになりました。
わたしの生きたい人生は、
家族が仲良くおいしいものを一緒に食べられて、
行きたいときに数週間単位で
暮らすように海外に行かれて、
大好きなひとたちとホームパーティーをして、
経済的にも豊かに暮らすことでした。
この点グアムは、
とにかくおいしくて新鮮な食材が少なく、
島外に出ようと思うと時間もお金もかかり、
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わたしにとっては三重苦…
それでも食材が豊かでなくても、
夫とふたりのときは
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娘が生まれて
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週に1回だけでも
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という息抜きが
ままならなくなってしまいました
こうしてでも書いたように
わたしの中の被害者意識が強くなっていき、
娘が1歳半のとき、
わたしはとうとう肺炎になってしまいました。
さらに元気が取り柄の娘まで
かなりひどい肺炎になり、
一時はとても危ない状態に…。
なんとか肺炎から回復したものの、
娘もわたしも数ヶ月
なかなかひどい咳が抜けません。
ちょうどその頃ハワイから
ナチュロパス(自然医療)のドクターが
来島していたので診ていただいていたところ、
「あなた、
何かものすごく気がかりなことがあるんじゃない?」
と言われました。
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あなたのこころが元気になったときに
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「幼いこどもは母親と一心同体だから、
あなたが元気になれば
彼女の咳も治るから
まずはあなたが元気になることを考えて」
わたしはポロポロ涙を流しながら
ドクターにこれまでずっと我慢してきたこと、
辛くて辛くて仕方ないことを話しました。
それから1ヶ月、
わたしは来る日も来る日も
どうしたらわたしが元気になって、
娘も元気になれるのかを考えました。
夫のために、
娘のために、
義母のために、
お店のために…。
そう想ってずっと見て見ぬふりをして
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ワタシノキモチ。
2014年の12月31日。
わたしは意を決して夫に言いました。
「日本に帰りたい。
3人で日本に帰りましょう」
こうしてわたしたちは、
2015年3月23日に、
約9年を過ごしたグアムを離れ、
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日本に帰国して、
わたしは夫と一緒に起業したいと
思っていました。
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営業経験の乏しいわたしたちを助けるため、
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一向に売上につながりません。
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どんどん減っていきます。
ただただ、焦りだけが大きくなり、
精神的にどんどん追い詰められていきました。
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自信がなくても、不安でも、
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わたしでさえ、
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↓ ↓ ↓
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親の話とアイデンティティには千に一つも無駄が無い
あの「オースティン・パワーズ」や「シュレック」でおなじみ、
マイク・マイヤーズ主演のコメディです。
ウェインとガースというロック少年2人組が織りなす
小ネタ満載のおバカ映画をVHSで鑑賞したのは高校生のころでしたが、
私にとって、思い出深い映画のひとつ。
カセットから流れる音に合わせて熱唱しながらヘッドバンキングする楽曲は…
鼓膜がいまだかつて感じたのことのない音の刺激を受けて
激しく揺さぶられたのを覚えています。
冒険的でトリッキーで、感傷的なラストに向けて収束していく…、
これぞまさに、「芸術は爆発だ!」と。
クィーンというレジェンド・バンドを認識することとなり、
それまで耳にしたことのあるあまたある名曲がこのバンドによるものだと知り、
ますますロックに傾倒していくのでした。
様々なジャンルの音楽のエッセンスを感じさせる音の独自性、
ブライアン・メイの華やかで重厚なギターと髪、
ロジャー・テイラーの正規の美少年っぷり。
ジョン・ディーコンの柔らかい存在感。
クィーンを伝説たらしめているのはやはり、
フレディ・マーキュリーの唯一無二の個性ですよね。
力強くも優しいボーカルに、
アイコニックな出で立ちでのパフォーマンス…
91年に、45歳という若さでこの世を去ったフレディの
生のステージを目にすることはもうできません。
彼のセクシュアリティと
インド系移民の子というアイデンティティでもあったと思います。
「Somebody to Love」、
「Don’t Stop Me Now」などなど
切なさを感じ、胸を締め付けられる事があります。
様々な葛藤がその背景にあるからなのでしょうか。
「ボヘミアン・ラプソディー」が、公開されています。
長い前フリを経て、ここから
映画レビューが始まると思いました??
観ていません。
でた。似非ファン。
毎日クィーンを聴いていたら、
観たいなー観たいなーと思いが募りすぎて
ブログにしてしまった次第であります。
アイデンティティいいよ。
あの「オースティン・パワーズ」や「シュレック」でおなじみ、
マイク・マイヤーズ主演のコメディです。
ウェインとガースというロック少年2人組が織りなす
小ネタ満載のおバカ映画をVHSで鑑賞したのは高校生のころでしたが、
私にとって、思い出深い映画のひとつ。
カセットから流れる音に合わせて熱唱しながらヘッドバンキングする楽曲は…
鼓膜がいまだかつて感じたのことのない音の刺激を受けて
激しく揺さぶられたのを覚えています。
冒険的でトリッキーで、感傷的なラストに向けて収束していく…、
これぞまさに、「芸術は爆発だ!」と。
クィーンというレジェンド・バンドを認識することとなり、
それまで耳にしたことのあるあまたある名曲がこのバンドによるものだと知り、
ますますロックに傾倒していくのでした。
様々なジャンルの音楽のエッセンスを感じさせる音の独自性、
ブライアン・メイの華やかで重厚なギターと髪、
ロジャー・テイラーの正規の美少年っぷり。
ジョン・ディーコンの柔らかい存在感。
クィーンを伝説たらしめているのはやはり、
フレディ・マーキュリーの唯一無二の個性ですよね。
力強くも優しいボーカルに、
アイコニックな出で立ちでのパフォーマンス…
91年に、45歳という若さでこの世を去ったフレディの
生のステージを目にすることはもうできません。
彼のセクシュアリティと
インド系移民の子というアイデンティティでもあったと思います。
「Somebody to Love」、
「Don’t Stop Me Now」などなど
切なさを感じ、胸を締め付けられる事があります。
様々な葛藤がその背景にあるからなのでしょうか。
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アイデンティティ 関連ツイート
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