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こんばんは

釣り場のゴミ収集イベントに関するワタシの考え方と見解をつらつらと書き続けるだけのブログになります

長いし、つまらないです
まず
もしワタシが人が集まって釣り場のゴミ拾いをするイベントの趣旨や意義を問われた場合

一人ではなかなか気の進まないゴミ拾いだけど、たまには共通意識の人間同士で、レジャー感覚で釣り場のゴミでも拾って自分達が遊ぶフィールドをクリーンに保とう
みないな感じのイベントかなという理解です
というか、これで十分かと思う
それというのも
ボランティアで釣り場のゴミを拾って環境保全に努めるのが前提

と考えた場合
個人単位で日々ゴミを拾うことと、大々的なゴミ収集イベントでなければならないことの明確化がなされていない
ワタシ個人としてはここに明確な差など無くてもいいとは思っていますが…
でも言う人に言わせれば
そうではないのでしょう?
例えば、霞ヶ浦のゴミ収集イベントに集まった人間が300人という話を聞く
霞ヶ浦のゴミ拾いイベントを完全なボランティア活動と見た場合
バスプロ、一般釣り人、ブロガーにユーチューバー等といった人間の枠はもちろん関係ない
 
というか、全員ある意味では一般人ですね
誰であっても1人は1人
そして集まった人間が300人
300人という人数はワタシからすると驚きであり、ただのゴミ拾いにそんなに集まるなんて凄いことじゃないか?
という気がする
一方で
ゴミ収集メインとはいえ、イベントとして人を少しでも多く集めるという事に重点を置き、それに特化して運営から情報発信をして、その結果集まったのが300人であったというなら、まだまだ多くの人を集めることは出来たのではないかという気がする
ボランティア精神云々なんか無くても

一人でも多くの人間を集めなければならない退っ引きならない事情があるのであれば
正直運営の方の努力や工夫、演出力や企画力、それに投資できる資金が足りないのではないかと思う
「死に物狂いの努力をしている」
「なにも知らないのに言うな」
そう言われそうですが、具体的な目標を設定し、それに達していなかったのであれば、社会に出たら努力不足、企画力不足と言われて仕方なしなのです
それと明確な目的があるのならば、人が集まらないと嘆いてる場合ではないとも思う
言葉に語弊があるかもしれませんが、あのバスプロが来ていないじゃないかと大声あげるばかりではなく、集客能力に長けたバスプロとされる人間達にもっともっと積極的に声をかけ、プライベートよりもこのイベントに出ることの方に具体的なメリットを与えることも必要なのかなと思う
これが正解であるかどうかは別として
ボランティアの先に、それとは別に求める何かがあるのであれば
批判はされども、黄色いTシャツのチャリティー風番組のようにギャラを支払われる演者側と、募金をする側の人間に分ける等、ある意味ではボランティアではなく、このイベントに出るというビジネスチャンスを与えてやることも大切なのかなと
ワタシもそうだけれど
日本は欧米のようにチャリティーやボランティア活動が生活の一部、やって当たり前の活動と捉える人間は多くなく、その意識も低い気がする
これを、まだまだ日本はなってないなと怒鳴っても愚痴っても仕方がない
そんな日本で、例え霞ヶ浦を拠点にしているバスプロであれ、ショップやメーカーであれ

なにを置いてもゴミ収集イベントに行かないと!
こう感じさせ
行動させることはそう容易ではない
バスプロと聞くと誰もが1000万オーバーの車に乗り、華々しい経歴を持ち、およそ食うには困らない生活をしている…
そんなわけはなく
国内で実際にトーナメントの賞金のみで自身の生活費分をペイ出来ているバスプロがどれだけいるか…
この置かれた日常の中で
各々、生活というものがある

このイベントに参加しなければ、いつかバス釣りが出来なくなるかもしれないよ!?
と騒いだところで、日本のバス釣り業界の景気の現状を考えると、1日を不意にしてゴミ収集をするより、その日従事するはずの仕事やプライベートな要件が優先になってしまうのは、ある意味必然かとも思う
そこにきて

霞ヶ浦を拠点にしているのだから来るべき!
1日くらい予定を空けられるはずだ!
業界人が来ないのはおかしい!
こんなことを言ってもただ霞ヶ浦界隈でバス釣り関係の仕事をしている人間にケンカを売るだけの形になり
今後の、このイベントの伸び代すらも奪う結果になるような気がする…
もっと、ネット上を探せばいくらでもいるインフルエンサーになり得るような人格とスキルを持った人間に、個別にコンタクトを取りしっかりとイベントの趣旨と意義を理解してもらい、運営側の意図を間違いのないよう、正確に伝えてもらうよう依頼するといったことも出来るのではないか…
以前もブログに書きましたが、無責任なメーカー側風人間の拡散等はメーカーにとって宣伝費のかからないスピーディーで効率的な戦略である
同時に、とても大きなリスクを孕んでおり慎重にならなければいけない
ネット上の拡散とは良いものもそうでないものも円の中心から外側に物凄いスピードで限りなく無限に広がっていってしまう
特に悪いものはより早く、悪く拡がっていく傾向が強い
その為、まずなにより拡散円の中心に近い人物(今回の場合は運営陣やイベントに参加した方々)がしっかりとイベントの意義を理解し、意識を高め合い、その中で正確に拡散させる能力のある人間がそれをやるのが、イベントとしてもビジネスだとしても、セオリーで正攻法かとワタシは思う
参加者の前で、発起人が壇上に立ち
今回はこんなイベントでした
とても有意義でした
少しでも多くの人にもっともっと参加してほしいイベントですと語ったところで
大した効果をあげられるはずもなく、なんなら運営の意図など理解しないお門違いな拡散が巻き起こる始末
ワタシは今回のゴミ収集イベントの真の意義を知りません
これでもかなりネット上の情報を漁り情報収集に努め、参加した方々を含め、もてる人脈の方々にどういった意義でこのイベントが開かれているのかと聞きましたが、そこに明確な答えは無く
先にあげた情報発信が十分であったとはとても感じられない

霞ヶ浦でゴミ収集イベントだってよ

なんでみんなで集まってゴミ拾い?

日々、個人単位で少しずつではマズイの?

ゴミ拾いしなかったら近い将来釣り禁止なの?

ということはこのイベントに参加してゴミ拾いしたら釣り禁止にはならないの?

ゴミ拾いをしたら、釣り禁止やリリース禁止にならない確約があるの?

一体みんなで集まって何tのゴミを拾えばいいの?

ボリュームの問題じゃなく

環境団体みたいな人間に定期的にバサーが集まってゴミ拾い頑張ってますよ!とアピールすることが意義なの?
こんな疑問を持っている人は少なくないんじゃないだろうか…
もちろんワタシだってどこかでそう感じている

そもそも清掃ボランティアなのだからそんな打算的な考えはなく

普段遊ばせてもらっているフィールドに感謝の意を込めて清掃という形で恩返しがしたいだけだ
そういうことであれば
なおのこと強制や押し付けがましいものの言い方はよくない
間違っても
するべき!
なんて言葉を使って押し付けてはいけない
この人わかってないなと言うのであれば
どうして参加するべきなのか?
是非とも教えて欲しい
わかっているならば、どんどんその意義と趣旨を正確に発信して欲しい
インターネットでそのイベントを検索すれば、すぐにその意義が子供にでもわかるようにしておいてほしい
そんなこともせずに
近い将来リリース禁止や釣り禁止になるぞ!
そうなったらあの時イベントに来なかったやつが戦犯だ!
みたいに言われても困る
それと

知りたきゃ、とりあえず一回おいでよってのも無理がある
好きなルアーを買いに行ったり、美味しいラーメン屋さんに行くのとは違う
寒空の中
憧れのバスプロはいるかもしれないが、顔も見たくないような人間も来る場所に、人が捨てたであろうゴミを拾いに行くのだ
ワタシはとりあえずなんて気持ちでは
とても足が向かない
とにかく現状では足らず、もっと少しでも人を集めたいのであれば
1度も参加したことがない人間でも
とりあえず行ってみるかと思わせる企画や発信が必要なのかなと感じました
最後になりますが
イベントの意義がどこにあるのかはまだ見えてはおりませんが
ワタシ自身、少なからず釣り場のゴミ問題というものがまだまだあるということ
それと真剣に向き合おうとする人間がいるのだということを再認識する機会にはなりました
こういったイベントに何年も参加され、環境保全の意識を高めると同時に、啓蒙活動に貴重な時間を割いている方々には誰であれ心から敬意を表します
一人のアングラーとして
どうか大きな渦となり運営側の方々の意図するような形で、上手く良き方向に向かうことを願ってやみません
長くなりましたが以上です
お付き合いいただき、ありがとうございました

語弊が昔から好きだった人々へ

信仰は、見えざるものへの愛、不可能なもの、ありそうにないものへの信頼である。  ゲーテ 「格言と反省」

写真引用元:

●はじめに

信仰とは

① 神仏などを信じ崇あがめること。
 経験や知識を超えた存在を信頼し、
 自己をゆだねる自覚的な態度をいう。

② 人を信じうやまうこと。(大辞林より引用)

古から人は抗えない大自然や運命と自分の人生との折り合いをつけるために信仰を持ちました。

それは時には宗教だったり自然崇拝だったりしました。形式が違うとはいえ、見えざるものへの畏怖や愛、そして信頼がそこにはあります。

ここ、沖縄でもそのような信仰が息づいています。それは大きな枠で言えば自然崇拝に近いものですが琉球に特有の神と混じり合う事により独特な景色を生み出す事になります。

前回の記事、にも書きましたが沖縄の城は戦争のための拠点という位置づけよりも「御嶽(ウタキ)」と呼ばれる信仰の場所を内包しており、その事の方が重要であったとのでは?いう事を書きました。

今回はその「御嶽(ウタキ)」について徒然と書いてみたいと思います。

●そもそも「御嶽(ウタキ)」とは?

「御嶽(ウタキ)」は琉球王国(第二尚氏王朝)が制定した琉球の信仰における聖域の総称です。実はそれ以前はさまざまな呼び方が各地方にあったそうです。信仰の概念を統一する事で権力の安定をはかったのでしょうか?(当時は政治と信仰が深く関係していたそうです)

沖縄の信仰は元来、自然崇拝や祖先崇拝が基本となっています。日本の原始宗教に近いのでは?と思います。御嶽はそのような背景をベースにもっているといえます。

御嶽の多くは森の空間や泉や川などの自然です。島そのものであることもあります。

また、御嶽によっては空間の中心にイベあるいはイビ石という石碑があります。でも一度でもイベを見た事のある方は納得するでしょうがイベは、本当にただの石である事が多いです。いわゆる「御神体」的なものではありません。

実はイベは御神体ではなく、は本来は神が降臨する標識と考えられていました。また宮古や八重山地方では、過去に実在したノロの墓を御嶽とし、そのノロを地域の守護神として祭っていることが多く見られるそうです。(一部wikipedia参考)

写真引用: 

写真は「藪薩御嶽」です。

●御嶽は男子禁制

沖縄では神に仕えるのは女性の仕事でした。古くから沖縄では霊力は女性の方が男性より強く持つとされてきました。

女性は生まれながらにして神とふれあい、その力をひき出すエネルギーを強く持っていたのです。ですから神に仕える役割を担うのは自然に女性ということになります。

今でも村々のまつりごとや行事に際して、女性の神役は司祭者としての役割を担います。しかし、男性の神役は補佐する側に回るのが一般的である。女の神役は人と神の仲立ちをしたり、神の意志を取りついだりするが、男の神役にはこうした役割は無いのは興味深いです。

でもよく考えると、シャーマンや巫女などは世界的にも女性が主です。これは沖縄だけの考え方ではないのかもしれませんね。女性は直感に優れている人が多いので自然にこのような形になったのでは?というのが私の予想です♪

横道にそれましたが、聖域である御嶽は男子禁制がほとんどです。先に挙げた「藪薩御嶽」も男子禁制です (^_^)

●御嶽の由来

色々と調べてみましたが御嶽がどのように形成されているか?はハッキリしていないそうです。先に書いたように各地で自然発生的に起きた信仰を第二尚氏王朝時代に「御嶽」と制定したという経緯もあるのでしょう。

しかし、有力な説としては御嶽がある場所は元々は集落だったという事です。その証拠として御嶽の近くで生活の後や人骨などが見つかる事が多いからだそうです。

集落の中で自然崇拝や祖先崇拝の観点で「イビ」的な石などを祀るようになり、何らかの理由で集落が廃れても御嶽の機能は残り現代に残っているのではないでしょうか?

●御嶽が現代に生き残る理由

沖縄では、古くからの風習がまだ生活の中に息づいています。それは苦難の多かった沖縄の歴史もあったからかもしれません。

これは私的な意見ですが、本土から移住した方などが沖縄の人の排他的な態度に嫌気をさして帰ってしまうという事を聞く事があります。排他的な側面は否定できませんが、もしかしたらこのような古くからの風習が影響しているかもしれません。

しかし、だからと言って本土の方に対して排他的である事は良い事では全くありませんのでこれは大いに改善される点だと思います。

沖縄における御嶽は先祖を祀る場所です。「んっ?それならお墓はあるのでは?」と疑問に思う方もいるでしょう。でも沖縄の人にとってお墓と御嶽は別物なのです。沖縄の村達は遠い遠い遠い祖先たちを祖霊神であると考えています。

しかもその霊は現在も私達のそばにいて日常の私達を見守ってくれていると強く信じています。この考え方は現代にも脈々と受け継がれています。小さい頃、悪さをしたら、「天国のオジーやオバーが見ているよ」とよく言われたものです。

語弊を恐れずに言うなら、墓や仏壇、御嶽はそれぞれ祖先へアクセスするための別々の入り口という感覚を沖縄の人は自然に持っています。それが御嶽が昔と変わらずに残っている理由だと思います。

●有名な御嶽

御嶽は生活の場でもあったので大小様々なものが存在しています。観光地になっているところもあれば、ひっそりとその役目を終えかけているところもあります。街を歩いていて神社でもお寺でもないのに道端でお供えものやお酒などが置かれている祠のような場所は、ほぼ御嶽です。初めて見る方はきっと驚かれるはずです。そのくらい生活に根付いた場所なのです。

今回は有名な御嶽をいくつか採り上げてみたいと思います。

まずはその歴史から・・・
「琉球開闢七御嶽」

琉球の神話では、日の大神(天にある最高神、日神、天帝)が開闢の神アマミキヨ(アマミク)に命じて島作りをさせたと言われています。

アマミキヨはこの命を受け、沖縄本島を作り、そこに9つの聖地(出典「中山世鑑」)7つの森(出典「聞得大君御規式の次第」)を作ったとされています。

現在では、アマミキヨによって作られた聖地のうち7つが、琉球開闢七御嶽として語り継がれ、琉球の信仰においてもっとも神聖な御嶽として位置づけられています。

このうち王国の祭政一致体制において最重視された御嶽は、斎場御嶽です。聞得大君の就任式などはこの御嶽で行なわれました。現在の斎場御嶽からは、アマミキヨ降臨の聖地である久高島が遥拝できるが、これは王国時代の史料には記録されていません。また国王就任に際しては、君手摩(きみてずり)が安須森御嶽に現れ、5つの御嶽を順に巡り、最後に首里真玉森御嶽に現れるといわれています。(wikipediaより引用)

以下、アマミキヨが作ったとされる順番です。

・安須森御嶽(あすむぃうたき):国頭村辺土
・クボウ御嶽:今帰仁村今帰仁グスク内
・斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
・薮薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
・雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城、玉城グスク内
・クボー御嶽(くぼーうたき):南城市知念(久高島)
・首里真玉森御嶽(しゅいまだむいうたき):首里城内

・安須森御嶽

安須森御嶽は琉球開闢七御嶽の一つであり、沖縄最高の聖地です。
ここは山の頂上に位置しており登山道も獣道のようなものなので簡単には行けません。貴重な動画がありましたので観て下さい!

・クボウ御嶽

琉球開闢七御嶽のうち、アマミキヨが2番目に作ったとされる御嶽です。山全体が御嶽になっているそうです。

・斎場御嶽

琉球の始祖「アマミキヨ」が造ったとされ、国始めの七御嶽の一つといわれる沖縄最高の聖地です。琉球の最高神女であった聞得大君(きこえおおきみ)の就任の儀式はこの斎場御嶽で執り行われました。2000年12月、首里城跡などとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

●御嶽と琉球舞踊

琉球舞踊 稲まづん

今年もづくりや あん美らさよかて
倉に積み余ち 真積みしやべら
(訳:今年の稲作は見事な出来栄えで倉に積みあまして、真積もしましょう)

銀臼のなかへ 黄金軸立てて
ためし摺り増する 雪の真米
(訳:銀の臼に黄金の軸を立てて、もみを摺りしらげると
例年になく多くの雪のような白い真米がとれたよ)

これは五穀豊穣を祈り、祝う歌ですがこの歌詞にも見られるように琉球の人は昔から祖先や自然を大切にし、受け継いできました。

その姿は、昔と変わらずに御嶽を大切にするところと全く同じです。人間は太陽がなければ生きていけません。そして沖縄ではこの太陽の光が年中、強いです。幾多の困難な歴史を体験した琉球の人は、変わらずに輝き力を与えてくれる太陽に感謝し、それが自然崇拝、祖先崇拝という不変のアイデンティティを育んだのではないか?と感じます。

写真引用元:

●東御廻りの御嶽

これは現在も行われている聖地巡礼の事です。
太陽の昇る東方を、ニライカナイのある聖なる方角と考え、首里からみて太陽が昇る東方(あがりかた)といわれた玉城、知念、佐敷、大里にある御嶽を巡るものです。

元々の起源は国王の巡礼と考えられており、以後時代が下るに従い、士族、民間へと広まったようです。

現在では、士族の流れを汲んでいる門中(むんちゅー:男系血族)を中心に行われています。

巡る御嶽は門中によって多少異なるが、起点の園比屋武御嶽から以下の順に巡るのが一般的です。(wikipediaを参考)

   1,園比屋武御嶽(すぬひゃんうたき):首里城外
   2,与那原親川(よなばるうぇーがー):与那原町
   3,御殿山(うどぅんやま):与那原町
   4,場天御嶽(ばてぃんうたき):南城市佐敷
   5,佐敷上グスク(さしきうぃぐすく):南城市佐敷
   6,テダ御川(てぃだうかー):南城市知念
   7,斎場御嶽(せーふぁうたき):南城市知念
   8,友利ノ御嶽(とむいのたけ):南城市知念知念グスク内
   9,知念大川(ちねんうっかー):南城市知念
10,ミントングスク(みんとぅんぐすく):南城市玉城
11,仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー):南城市玉城
12,アイハンタ御嶽(あいはんたうたき):南城市玉城
13,藪薩御嶽(やぶさつうたき):南城市玉城
14,ヤ
ラヅカサ:南城市玉城
15、潮花司(すーぱなつかさ):南城市玉城
16,浜川御嶽(はまがーうたき):南城市玉城
17,浜川受水走水(はまがーうきんじゅはいんじゅ):南城市玉城
18,雨つづ天つぎ御嶽(あまつづてんつぎうたき):南城市玉城玉城グスク内
19,玉城祝女殿内(たまぐすくぬんどぅち):南城市玉城
20,志堅原仁川(しちんばるじんがー):南城市玉城

このように現代にも脈々と息づく伝統の基礎が御嶽にはあります。100年後も同じようにこの伝統は続いているものだと思います。ですから、「今に生きる」一人としてあらためて御嶽に祈りを捧げてみたいなぁと感じました。あなたはどのような感想を持ちましたか?

今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました!

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写真引用元:

語弊 まじめ まじめ まじめ

こんばんは!!

今日は5倍ポイントデーの買い物行って来ました!

インフルエンザの予防接種行く予定が

診察券とか忘れたので断念(;^ω^)

早く済ませなきゃ^^

楽しみやねー^^

今回の番組の”隊長”役、ジェジュンさんはどんな方でしたか?

ソンホ「”お世話上手な”お母さんのような存在でした(笑)。カメラについてもよくご存じで、ボタンの押し方から構図の見方まで教えてくれましたし。他にも仕事の話など、お金を出しても聞けないような話をたくさん聞かせてくれました。」

ヨンミン「ジェジュンさんはスーパースターで、カリスマ的存在の方じゃないですか。だから『カッコいい先輩』のイメージが強かったのですが、実際は、ふざけたり遊んだりするのが大好きな”気さくで優しいお兄さん”でした。もちろんカッコいいんですけど。」

セホ「僕はシーズン1の時からジェジュンを見ていますが、誰よりも責任感が強くて誰よりも一生懸命仕事に取り組むところがすごいと思います。」

ヨンミン「印象的だったのは、撮影が終わると、スタッフの方一人ひとりに『お疲れ様でした』と声をかけて挨拶をしていたこと。そういう姿を見習おうと思いました。」

ソンホ「僕は、ジェジュンさんと初夜を……」

ヨンミン「うん!!!???」

ソンホ「ああ、こんな言い方をすると語弊がありますよね(笑)。東京での1日目、ジェジュンさんと同室で寝ることになったので、母にテレビ電話をかけて、ジェジュンさんと話をさせてあげたんです。母が『ソンホをよろしくお願いします』と言ったら、『ご心配なく。僕たちに任せてください』とおっしゃってくれて!めちゃくちゃかっこよかったです。」

ヨンミン「うんうん。(とうなずきながら、しみじみと)ジェジュンさんは本当にかっこよかったよね。」

個配で頼んだので来週の配達やったー><

100円くらい安かったからそっちにしたけど

つらぁー(;^ω^)

画像はお借りしました

変わった語弊でイメージチェンジ。

こんばんは、みーです。

本日の夕刊。

一般的な

ド田舎ローカル新聞に

このような記事。

 

小林強化部長です。

意外にも

なかなか厳しいお言葉です。

オリンピック連覇のエースに対し

自国開催の世界フィギュアの出場を

危ぶむようなご意見。

世界フィギュア代表選手の大きな選考基準となる

グランプリファイナルと

全日本に欠場したとしても

私は当然のように

羽生選手は世界選手権に出場にできると思っていました。

(いえ、今でも思っています)

実際、過去にも何度も

代表選考会を飛び越え

実力・実績・経験などを考慮して

世界選手権やオリンピックに

多くのアスリートが選出されてきています。

まして王者羽生ですよ?

なので驚いたのです。

ここのポイントは

もし今回、全日本を欠場しても選出されたとしたら

3年連続の選考会欠場でも選出となり

そこが大きな検討要素のようです。

「2回良くて、3回もいいのかは私一人では判断できない」(小林部長)

いろんな意見を見聞きされているのでしょうか?

それでも

出れないほどの怪我でなければ

やはり代表に選出されると思います。

それだけの実績と実力のある

日本・いや世界を代表する選手ですから。

にしても、ここにきてまさかの

部長自らのこの発言。

これは

羽生選手は全日本に出る可能性が高くなったと思います。

よほど出れないような状態でなければ

彼の性格上も

出ると言いたいのでは?

本気のドクターストップが出ればわかりませんが

しばらく動向に注目ですね。

結局、一番大事なのは身体なので、

いろいろな意見に惑わされて

(言い方に語弊があるかもしれませんが、多少なりとも「カチン」ときて)

無理しての出場は

選手生命を考えても

止めた方がいいとは思います。

全日本ももう

そんなに遠くないですね。

もう11月後半です。

もう一度「語弊」の意味を考える時が来たのかもしれない

こんばんは、みーです。

本日の夕刊。

一般的な

ド田舎ローカル新聞に

このような記事。

 

小林強化部長です。

意外にも

なかなか厳しいお言葉です。

オリンピック連覇のエースに対し

自国開催の世界フィギュアの出場を

危ぶむようなご意見。

世界フィギュア代表選手の大きな選考基準となる

グランプリファイナルと

全日本に欠場したとしても

私は当然のように

羽生選手は世界選手権に出場にできると思っていました。

(いえ、今でも思っています)

実際、過去にも何度も

代表選考会を飛び越え

実力・実績・経験などを考慮して

世界選手権やオリンピックに

多くのアスリートが選出されてきています。

まして王者羽生ですよ?

なので驚いたのです。

ここのポイントは

もし今回、全日本を欠場しても選出されたとしたら

3年連続の選考会欠場でも選出となり

そこが大きな検討要素のようです。

「2回良くて、3回もいいのかは私一人では判断できない」(小林部長)

いろんな意見を見聞きされているのでしょうか?

それでも

出れないほどの怪我でなければ

やはり代表に選出されると思います。

それだけの実績と実力のある

日本・いや世界を代表する選手ですから。

にしても、ここにきてまさかの

部長自らのこの発言。

これは

羽生選手は全日本に出る可能性が高くなったと思います。

よほど出れないような状態でなければ

彼の性格上も

出ると言いたいのでは?

本気のドクターストップが出ればわかりませんが

しばらく動向に注目ですね。

結局、一番大事なのは身体なので、

いろいろな意見に惑わされて

(言い方に語弊があるかもしれませんが、多少なりとも「カチン」ときて)

無理しての出場は

選手生命を考えても

止めた方がいいとは思います。

全日本ももう

そんなに遠くないですね。

もう11月後半です。


語弊 関連ツイート

詳しく言うと、スパイディを取材する車に乗って追っかけるアトラクション(語弊)なんだけどスパイディからしたら迷惑でしかないのに敵から守る際にその車を足場にしてくれた事に嬉しさを隠しきれなかった顔を撮られましたつらみ
RT @fu_ren_chi: シュウイチくん推しの人はいいね。ちゃんと殺害予告されてから死ねるんだから(語弊
語弊があった
冬はっていうか冬もだよね
近代に至る過程で日本刀は両手剣として進化を遂げた
ここで日本刀と言ってしまうと語弊がるのは確かで
正確には太刀
小太刀や脇差と呼ばれるものは片手使用が扱いやすい
祖父の本家に長船脇差があり祖父が戦時に持って行った際「他の者の刀より短く不恰好ではあったが使い易かった」と述べている

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