amazarashi スーパーローカル宣言
より詳しく隅田川文化を知りたい方は、参考図書に挙げたような「江戸→東京街歩き」系のガイドブックを参照されたし。
それを片手にブラタモる(ブラ歩きしながらその土地の地理歴史を楽しむ)もまた一興。
○隅田川文化小史Ⅲ
時は移り戦国時代。表面的には豊臣秀吉に臣従しながらも、実力的には彼と拮抗した有力大名徳川家康に大きな転機が訪れる。
1590年に秀吉と結んで落とした北条氏の領土であった関東地方を拝領し、本拠とした東海地方から転封されたのである。
北条氏の旧拠点は小田原で、家康が移った当初の江戸は辺鄙な未開地であった。交通の要衝には位置したがかつて太田道灌が築いた江戸城も荒廃し、城の東は汐が入り、西には一面の茅(かや)原が武蔵野へ果てしなく続いていた。
家康は再び江戸城を築くとともに周辺の土地開発に着手し、城の東方で古代からの浅瀬地帯の隅田川流域にも手が入れられた。
河川の瀬替え・開削・干拓・埋め立てが行われ、家康から2代秀忠、3代家光の治世をかけて開発事業は続いた。幕府が開かれその近傍となったことで隅田川周辺は急速に発展し、1657年の明暦の大火後の再開発を経て大都市へと変貌を遂げる。
特に隅田川に掛けられた両国橋の界隈は江戸でも一、二を争う繁華街・歓楽街となった。
○隅田川文化小史Ⅳ
さて江戸時代の隅田川といえば、まず有名なのは花火。
「隅田川花火大会」は現在も東京で開かれる日本最大規模の花火大会であるが、その起源は江戸時代半ばにまで遡る。
1732年に享保の大飢饉が起こり、旱魃に加えて悪病も流行し全国に多数の被害をもたらした。翌33年にはその犠牲者を弔い悪病退散を祈願するために隅田川で水神祭が行われ、それに際して両国橋周辺で花火が打ち上げられた。
この花火は毎年行われて恒例行事となり、夏期に隅田川を庶民に解放する「両国の川開き」と水神祭とともに江戸の夏の風物詩となった。
打ち上げる花火屋の名を取った「玉屋~」「鍵屋~」の呼び掛けもここから生まれ、見物にも川沿いで、川船の上で、近くの料亭から、など楽しみ方も様々であった。
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隅田川の風物詩としてもう一つ有名なのは、春の花見である。川沿いに大量の桜が植えられ、花見がてらに周辺のそぞろ歩きが楽しまれた。
1717年には桜の葉を用いた桜餅が考案され桜の名所巡りに甘味を添えた。発案したのは向島に今も続く老舗「長命寺(ちょうめいじ)桜もち」、当時の屋号は「山本屋」。
(ここは看板娘も有名で、歴史上の人物に絡むエピソードも豊富である。)
この花火と花見を推奨しイベントとして整備したのは、かの8代将軍徳川吉宗である。
花火では川開きを制度化して花火の打ち上げを許可し(重要な交通網である河川の解放と大量の火薬の使用を認め)、花見では隅田川に本格的に桜を植樹し率先して花見の宴を開いた。
これら娯楽の整備も、吉宗の代名詞享保の改革の一環であった。江戸時代半ばの隅田川周辺ではその急激な人口増加と経済発展により、川沿いの整理と水質の浄化が課題になっていた。川開きを行うことで庶民が川の水質に関心を持ち、桜を植えその周りを人が踏み歩くことで堤が強化される。
また享保の改革では質素倹約を目指し享楽的な遊興を取り締まったが、その一方で花火や花見、川遊びなど健全な娯楽の場を庶民に提供することも狙いとされた。
もちろん、人が大勢集まればそこに経済効果も期待できる。
献策し実施したのは吉宗配下の老中や旗本たちであったろうが、この政策の硬軟のバランスの取り方は吉宗の政治手腕を表すものである。(ただ暴れているだけの御仁ではなかった。)
春は墨堤(ぼくてい=隅田川東岸)の桜、夏には蛍見物と川開きからの花火・船遊び、秋の月見ときて冬は雪見。隅田川は一年を通じて物見遊山の名所となり、また下町の活気は特有の文化を育んだ。
こうして隅田川は江戸文化の中心地として長く栄えたのである。
amazarashi『隅田川』
〈 隅田川 花火が咲いて
散るまでには 会いに行きます
移ろう季節の真ん中で
全てが綺麗だった 〉
○隅田川文化小史Ⅴ
明治に入り東京は近代的な都市へと生まれ変わったが、なお隅田川周辺は江戸の情緒が残る下町であった。
その江戸・明治の下町情緒を愛した文豪たち、永井荷風・佐藤春夫・谷崎潤一郎らによってそこを舞台とする文学作品も作られる。
隅田川は歌曲にも取り上げられたが、それが瀧廉太郎が作曲した『花』。「春の うららの 隅田川~♪」でお馴染みの曲である。
1900年に発表、組曲『四季』のうちの一つで春の隅田川の情景を歌い上げる。
今でも、東京に行ったこともましてや住んだこともない地方の人間が「隅田川」の名を知っているのは、音楽の教科書にも載るこの唱歌の影響が大きいと思われる。
amazarashi『隅田川』
〈 火影に 群がる 虫として
僕は あなたに 焦がれて 〉
この歌詞で思い浮かぶのは1900年代前半に活躍した日本画家、速水御舟(はやみぎょしゅう)の『炎舞』。
御舟もまた生まれ育ちは隅田川沿い浅草で、その下町の空気や花火花見の楽しさは少年時代に身体に染み込んでいただろう。
(↓ちょっと小さいけど『炎舞』)
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しかし人の世の定めとして、楽しい事、美しい事ばかり
ではない。大江戸から帝都東京の一画として、隅田川の川面は歴史上の多くの悲劇、惨状をも映し出してきた。
江戸時代には江戸の大半を焼き落とした明暦の大火、「忠臣蔵」赤穂浪士の吉良邸討ち入り。(吉良邸が両国橋近くに。)
近代には関東大震災、東京大空襲。隅田川沿いは被害が甚大であった。
たび重なる損壊を被りながらもその都度に復興し、社会的な要請に応える形で隅田川は新たな姿を獲得してきた。
○隅田川文化小史Ⅵ
そして現代の隅田川。祭りや行事に使われ文化面で市民生活を支えるとともに、川沿いに工場群が立ち並ぶなど日本の経済成長に伴って川の景観も変わっていった。
しかし花火大会も一時途絶えていた期間はあったものの復活し、今も江戸時代と変わらず船遊び、花見、花火の娯楽を楽しむことができる。
その他にも、今の隅田川沿いにはこれまで紹介してきた歴史的事件の痕跡がそこここに残っている。
『伊勢物語』の古歌に因んだ「言問橋(ことといばし)」「言問通り」。
能曲『隅田川』の題材となった平安時代の梅若伝説を偲ぶ木母寺(もくぼじ)の「梅若塚」。
明暦の大火の多くの犠牲者を埋葬したことに始まる「回向院(えこういん)」。江戸時代にはここで秘仏神像の出開帳(でがいちょう)や勧進相撲が行われ、それに伴う縁日で大いに賑わった。この回向院境内で行われた相撲が現在の大相撲、そして両国国技館の原型である。
また「江戸東京博物館」や「すみだ北斎美術館」など江戸文化を伝える施設も多い。
そして、関東大震災と東京大空襲の犠牲者を弔う東京都慰霊堂。
(ちょっと紹介が両国橋界隈に偏った。)
ここまで見てきたように隅田川にまつわる文化的記憶は1000年以上前に始まり、『伊勢物語』の望郷と思慕、能『隅田川』の離別の悲哀、江戸文化を彩る娯楽と鎮魂、近代の光と影を経て現在に至るのである。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかた(泡沫)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためし(例)なし。世の中にある人とすみか(栖)と、またかくのごとし。」
こう述べたのは鴨長明『方丈記』。川の流れは「世の無常」「生々流転」の喩えである。川の上で今まで繰り広げられ、これからも織り成されるであろう無数の人間のドラマ。
その人々が発する膨大な想いを浮かべ呑み込みながら、今日も隅田川は滔々と流れていく。
そして本項の前編で言っていた秘儀的解釈も、後編に入る頃には頭の中でうたかた(泡沫)のように儚く消えてしまった。今にして思えば、あれは幻だったのかも知れない。
竜頭蛇尾、画竜点睛、羊頭狗肉!
嗚呼、はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ・・・・(しみじみ)。
〈 移ろう季節に留まる事
できないと知りながら 〉
〈 隅田川 花火が咲いて
その真下で 出会いと別れ
あなたがくれたその全てに
ありがとうって聞こえますか 〉
※参考図書
『江戸名所隅田川 絵解き案内』
棚橋正博 小学館
『東京の川を歩く』
飯野頼治 さきたま出版会
『江戸はスゴイ』
堀口茉純 PHP新書
amazarashiをお取り寄せ、こんな商品見たことありますか
僕が死のうと思ったのは
作曲:秋田ひろむ
作詞:秋田ひろむ
僕が死のうと思ったのは
ウミネコが桟橋で鳴いたから
波の随意に浮かんで消える
過去も啄ばんで飛んでいけ
僕が死のうと思ったのは
誕生日に杏の花が咲いたから
その木漏れ日でうたた寝したら
虫の死骸と土になれるかな
薄荷飴 漁港の灯台
錆びたアーチ橋 捨てた自転車
木造の駅のストーブの前で
どこにも旅立てない心
今日はまるで昨日みたいだ
明日を変えるなら今日を変えなきゃ
分かってる 分かってる けれど
僕が死のうと思ったのは
心が空っぽになったから
満たされないと泣いているのは
きっと満たされたいと願うから
僕が死のうと思ったのは
靴紐が解けたから
結びなおすのは苦手なんだよ
人との繋がりもまた然り
僕が死のうと思ったのは
少年が僕を見つめていたから
ベッドの上で土下座してるよ
あの日の僕にごめんなさいと
パソコンの薄明かり 上階の部屋の生活音
インターフォンのチャイムの音
耳を塞ぐ鳥かごの少年
見えない敵と戦ってる六畳一間のドンキホーテ
ゴールはどうせ醜いものさ
僕が死のうと思ったのは
冷たい人と言われたから
愛されたいと泣いているのは
人の温もりを知ってしまったから
死ぬことばかり考えてしまうのは
僕が死のうと思ったのは
あなたのような人が生まれた
あなたのような人が生きてる
になるかもしれない

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○第1ステージ
「スピードアンサー」が継続。あれ、前回3セット先取じゃなかった? 調整したのかな。
今回は芸能人チームが1勝できて3回戦まで突入、しかし僅差で東大王チームが勝利した。
お題 勝利
・1回戦 「流行語」 (東)
・2回戦 「世界の料理」 (芸)
・3回戦 「ことわざ」 (東)
「流行語」は2000~2015年くらいのものが中心で、芸能界で世相を見てきた芸能人チームと、ちょうど成長の過程でそれに触れてきた東大王チームの対決で互角かと思われたが、東大王チームが快勝した。
もし次に機会があれば、1980~2000年頃の流行語なら芸能人チームにもチャンスがあると思うが。
「世界の料理」はこれまでの国名を答える問題の応用で、各国料理の個別の名前を答えるもの。これは両チーム熱戦のすえ芸能人チームが辛くも勝利した。芸能人たちもダテにグルメ番組に出ていない、経験の勝利。
これまた類題を考えるなら、「日本各地の郷土料理」というパターンがありうるか。今回の別ステージで郷土料理が一つ出たが、それの全国津々浦々版である。
「ことわざ」は前回に続いて出たのでしばらくは出ないかも。しかし「ことば」系で「四字熟語」とかのパターンも作れそうなので、まだまだネタはありそう。
有名「俳句」の五七五のうち一部を隠すとかでもできそうか。
前回は「スピードアンサー」初回ということもあり、ゲームのコツを早くもつかんでいた東大王チームが圧勝したが、今回は芸能人チームも順応してきてフルセットの良い勝負になった。
接戦に持ち込めたので、お題が芸能人チームの得意分野になれば勝ちの目も出てくるだろう。
しかしやっぱり心配なのは、問題作成者の負担。
1回戦分で(東)15問+α(芸)10問+αで、少し余裕をもって計40問くらいが必要になる。それを3回戦までやりきるとなると、毎回120問分を作っておかなければいけない。
ネタは色々考えられるとはいえ、番組制作者側も大変そうなステージである。
○第2ステージ
「難問漢字オセロ」。こちらはいよいよ東大王チームに勝てなくなってきた。
漢字を読み解く力は両チーム拮抗しているのだが、肝心のオセロゲームの力に差が出始めている。
芸能人チームも善戦して中級者以上の戦いになっているが、東大王チームのオセロの力とチームワークが成長してしまって少し差がついているのだ。
オセロの中盤以降には予期せぬ逆転の要素もあるが、偶然だけに頼るのも心許ないか。
毎回即席のチームになる芸能人側にオセロの達人・司令塔を一人据えるか、そもそも「6×6盤オセロ」という形式を見直す時期に入っているのかもしれない。
難読漢字は好きだから、形式を変えても続いて欲しいけどね。
○第3ステージ
「早書きバトル」、こちらはいつも通り。
①音楽 「ウルトラソウル」(B’z)
②シルバー川柳
③外国人のインタビュー 「絵馬」
④製造工程 「だるま」
⑤偉人 「芥川龍之介」
⑥郷土料理 山形県の「だし」
⑦世界遺産 「サグラダ・ファミリア」
⑧47都道府県 「群馬・長野」
②シルバー川柳は年配の人の境遇・心境を「自虐性」「昔と今のギャップ」「流行りもののパロディ」などでユーモアに表現したもの。「回文」からこれに変わったが、しばらくしたらまた変わりそうな。
③外国人のインタビューは「絵馬」。前にお寺の道具で「木魚」が出たので神社関係も「おみくじ箱」とか考えていたが、絵馬は思いつかなかった・・・。
こうなるとまだまだ日本の道具小物はたくさんあるかもしれない。
④製造工程は「だるま」。
市販のだるまさんの原料が玉子の容器だとは(業者用のダンボールの梱包容器)。そういや質感がそれっぽい。
「面壁九年」の達磨大師も可愛くなっちゃったもんだが、たぶんそれでも慧可(えか)は断臂(だんぴ)しちゃうんだろうな。
⇒雪舟『慧可断臂図』
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⑤偉人は再び好物の前情報が出て「芥川龍之介」が正答。
どうも「甘い物が好物」と聞くと「正岡子規」が真っ先に浮かんでしまう。
子規(しき)=ホトトギスの名前の通り、血反吐を吐きながら鳴く=句を詠む生活を続けた子規。その壮絶な病床で、甘い物をペロリと平らげる健啖家でもあった。
友人の夏目漱石もその弟子筋の芥川も甘い物好きというし、これは文学者の半分くらいは好きなんじゃないだろうか。
※ちなみに八木重吉は部屋でココアを飲みながら詩作していたそうで。
そして「芥川龍之介」の風呂に滅多に入らなかったので臭かったという情報、100年後にこんなこと言われてますよ芥川さん。
amazarashi『月曜日』に〈いつもより余所行きな教科書の芥川〉とあるが、珍しく風呂上がりだったのかもしれない。
⑦世界遺産は超有名な「サグラダ・ファミリア」、しかしその周辺の景観や内部の様子などを中心に映されるとやっぱり難しくなる。
この形式だと以前すでに出題されている世界の名所を再び使うことができるというメリットがある。
しかしこのために海外ロケに行くのは制作者サイドにとっても負担だろうし、連発もできなさそうな。それともTBSの映像ライブラリーかなんかを探すのかな?
このステージも東大王チームの勝利。特に東大王伊沢君の守備範囲の広さと反応の早さが光る。しかも伊沢君、ピンとこない問題では決定的なヒントを待てる辛抱強さも持ちあわせているか。
○東大王の作り方
座談会形式のミニコーナー。一回にハガキ一枚の紹介で定着か。放送時間の都合かもしれないが、こうなると鶴崎君がどんな本をオススメしたか気になるところ。
○ファイナルステージ
最終「早押し問題」。
まず東大王チーム先鋒鶴崎君が5人(4組)抜き。
その中で健闘したと思われるのが、芸能人チームの柴田理恵さん。上空からの映像で「長崎市」を答える問題、中華街が映った時点で柴田さんが「神戸」と答えて不正解。
かし解答権を独占した鶴崎君、最後まで映像を見て自信なさげ。なんとか「長崎市」と答えられた。
鶴崎君は最後まで迷っていて柴田さんももう少し映像を待っていたらと考えてしまうが、相手がどのタイミングで答えるかは分からない。その相手が東大王である以上、柴田さんのように自分の知識の中で引っかかったものがあるなら果敢にチャレンジした方がいいと思う。
ちなみに映像の前半で見えていたのは「世界新三大夜景」の一つ長崎の夜景が望める展望台、それと平和公園の「平和祈念像」である。(夜景は他にモナコと中国香港)
その鶴崎君を止めたのは、やはり果敢にチャレンジした富永さん。花火大会の映像だけで「長岡(新潟)」と答えて正解。
花火大会は全国にいくつもあり長岡のものはその中でも有名とはいえ、それだけで特定するのは難しい。
しかし続くヒントで鶴崎君に先を越されては元も子もない、賭けに出て見事鶴崎君を破った。
そして富永さんを止めたのは、これまたチャレンジした東大王鈴木さん。「世界遺産」を答える問題で雪原か氷山かの写真の一部が出て、その時点で「ロス・グラシアレス」と正答した。
「ロス・グラシアレス(アルゼンチン)」は「世界遺産」としても「世界の絶景」としても有名な所であるが、他にも雪山・氷河など雪氷の景色の候補はいくつか考えられる。
そう言えば鈴木さん、半年ちょっと前の放送で似たような世界遺産の氷原の問題で「ロス・グラシアレス」と答えて、正解は「バイカル湖(ロシア)」で撃沈した経験があった。
(冬に氷結したバイカル湖の様子はなかなか見かけないので難しかった。この時は他の東大王メンバーも不正解だった。「モヘンジョ・ダロ」と「バーミヤン渓谷」だっけ?)
その記憶が頭をかすめたかもしれないが積極的に勝負をかけて早押しし、見事リベンジを果たした格好だ。
その鈴木さんを「ひらめき」問題で破ったのが芸人の原西さん、これはメチャクチャ早かった。ファインプレー!
その原西さんを難なく止めた水上君。
ちなみにこの「ブレーメンの音楽隊」を答える問題、私も水上君と同じタイミングでわかったぜ!
なぜなら最近これをよく聞いているから、しかもブログに書こうと調べてもいたのだ。
⇒amazarashi『虚無病』
〈患って列をなせ、弱きブレーメン
人間反対の姿勢を声高に表明 〉
そして水上君と竹俣さんの因縁の対決では、恒例の「絵画」問題。かつて一度「〝春〟(ボッティチェリ)」と驚異的な見切りで正答して水上君を倒したことがある竹俣さん。
スタッフが煽って2人の対決では「絵画」を当ててくるのだが、水上君が最大限の警戒をしてそれ以来問題開始1秒足らずで瞬殺するようになってしまった。
今回も「真珠の耳飾りの少女(フェル
メール)」の唇を見ただけで即答。
たぶん水上君は最初の数瞬で「分かりそう/分からなそう」を判断してイケると感じたらボタンを押し、マズいと思ったら少し様子を見ることもできるのだと思うが。
これもう竹俣さんはお手つき覚悟でスタートダッシュするしかないんじゃないだろうか? 「〝春〟」をあのタイミングで答えられたのだから、少し冒険してみても。
そして時たま発揮されるオードリー春日さんのミラクル☆で水上君が手も足も出ずに敗れ、連勝記録もストップ!
そりゃ答えの温泉につい先月入りに行ってた人には勝てないわなぁ。東大王キラー(ウルトラマンの〝エースキラー〟みたいだ)は本物か。
そしてここから東大王最後の一人伊沢君が、怒涛の快進撃。
芸能人チームどころか東大王チームメンバーにとっても難しそうな海外/日本の建造物を次々に答えて3人抜き、東大王チーム5連勝を堅守した。
世界遺産「聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会(チェコ)」は私は知らなかった・・・。
世界遺産関連の主な紹介書にはあまり出ていないマニアックな場所だろうか、しかしこれを正確に答えられるのはすごい。
そして春日さん、さすがにここには温泉はなかったか。
「バスケットビルディング(アメリカ)」は見たまんまな名称だが、知らないと出てこないだろう。
「唐津城(佐賀県)」も、日本の城が苦手な私から見ても驚異的な早さの正解だろうと思う。
これに対抗するには城好きの芸能人、例えば春風亭昇太さんを引っ張ってくるしかないだろうか。
○まとめ
芸能人チームも東大王チームの3人を倒す活躍を見せたが、ノッてきた時の東大王のフルメンバー4人を相手にするのはやはりキツい。
芸能人チームはファイナルまでの各ステージで東大王メンバーを最低1人、あわよくば2人削っておきたいのだが、それが毎回難しいのだ。
各ステージでは4人対12人という数の優位に加えてハンデも設けられているが、単純に東大王チームがチームとしてより強くなり倒すのが難しくなっている。
芸能人チームにも助っ人がもう少し欲しいところ。『東大王』のクイズ各分野のスペシャリストを数人加えるとか。
「競技オセロの経験者」
(司令塔としてヒントの示唆だけでも)
「世界遺産検定1級保持者」
(↑鈴木亮平さん一択か?)
さあ東大王チームは5連勝、確か10連勝とかするとチームで修学旅行に行けるんだっけか?
この連勝を食い止めることができるのか、芸能人チーム?

amazarashi 関連ツイート
しかもなんかamazarashiのライブって普通のライブとちょっと違うらしいから、ネットの情報が当てにならないし。
新幹線取らなきゃだし、ホテルも取らないと。。。
忙しいな。
僕はもうここしか居場所が無いのです
居場所と言うのもおこがましいのですが
あんな酷い仕打ちはもうまっぴらです
どうか朝よ来ないでください
《夜の歌》2/5 #amazarashi