秀吉にこだわりつくすあなたのサイト
惜しまれつつも華々しく退場する者もいれば、ボロボロになって消えていく者もいる。
受け取り手の感覚1つで、「素晴らしい」と感じたり、「惨めだな」と思ったりするものなのだろう。
日本プロレス界を代表する選手はどうであろうか。
“日本のプロレスの父” と呼ばれる力道山と、その後継者であるジャイアント馬場は、現役のうちに亡くなっているので、正確には「引退」をしていない。
周知の通り、力道山は1963年12月8日に赤坂のキャバレー「ニューラテンクオーター」で暴漢に刺され(諍いのきっかけを作ったのは力道山の方だったらしいが)、いったんは快方に向かうものの腹膜炎を併発し、1週間後の12月15日に死去。
ジャイアント馬場は1999年1月31日、大腸癌からの転移で肝不全を併発し、61歳の生涯を終えている。
現役とはいえ、既にリング上では一線から退いていた馬場に対し、力道山はまだ39歳と若く、メインイベンターを張っていたので、もし、あの「事件」がなかったら、日本のプロレス界はどのような方向に向かっていたのか、本当に興味深い。
これは「もし、あの時に織田信長が本能寺で討たれなかったら」ということと同義ではなかろうか。
歴史では、その後、豊臣秀吉が天下を取るわけだが、信長が存命だったならもちろん、亡くなるにせよ、あのタイミングでなかったならば、秀吉の天下取りは到底成就出来なかったはず・・・だと思う。
(マサ・村田さん、どうですかね?)
そう考えると、あの時に力道山が亡くならなければ、アントニオ猪木は一体、どうなっていたのか? 大変、興味深いテーマだが、その話を考え出すと際限がなくなるので、これはまた稿を改めたい。
その秀吉、じゃなくて猪木、
4月4日は「引退記念日」だった。(1998年)
7万人という、まぁ多くのプロレスファンが詰めかけ、もちろん私も会場で観戦していた。
正直、私の体感では「10・9」こと、新日本プロレスとUWFインターナショナルの対抗戦(1995年)や、その前年11月(1994年)の全女(と言うより、女子プロレスのオールスター戦)の方が客入りは良かったのではないかと思うのだが、そこは野暮を言うまい(言っているけど)。
プロレスだけでなく、すべての興行を含めて当時の「東京ドームの最高入場者数」(主催者発表)を集めたのは、さすがはアントニオ猪木というところか。
ということで、今回は「アントニオ猪木の引退試合」に迫ってみたい。
私は、猪木の「引退」が報じられた時、にわかには信じられなかった、というか、まったく信じていなかった。
では、なぜこのタイミングで引退試合?
結論から言えば、私は、周囲がいかに猪木でも断れないくらい外堀を埋めてしまったからだと考えている。
猪木本人はムタとの「ファイナル・カウントダウン」スタート後の1995年夏の参議院選挙で落選してしまい、その前年には金銭や女性関係等のスキャンダルが報じられていたため、「自分の城」であるプロレス界に本格復帰する気満々だったはずだとにらんでいる。
その説を裏付けるものとして、同じように「本人にその気がないのに、半ば無理やり引退に追い込まれた」選手がいる。
今や文部科学大臣の、馳浩だ。
(もしかしたら、藤波辰爾も自分の意思とは関係なく、「ファイナル・カウントダウン」をやらされていたのかも)
猪木が落選した1995年の選挙で当選した馳は、猪木同様セミリタイアにあったものの、不定期とはいえスポット参戦をしていた。おそらく、その後もそういった状態で現役を続行するつもりだったと思う。何せ、当時まだ34歳だったのだから。
しかし1996年の「1・4 東京ドーム」で、こちらもいきなり引退試合が組まれてしまった。あまりに突然だったので驚いたが、1年も経っていない同じ1996年の11月にオポジションの全日本プロレスに入団してしまったのには、もっと驚いた。明らかに新日への意趣返しだとしか考えられない。
今にして思えば、新日本プロレスは「馳浩 引退試合」と謳っていたが、馳本人は一言も「引退」とは口にせず、「新日ラストマッチ」と言っていたような気がする(記憶は定かではないが)。
このような形で全日に「入団」(フリー参戦ではない)したということは、馳には新日に対して何か含むことがあったということだろうし、「(引退したくない)馳を引退させなければいけない」何らかの「事情」が新日側にあったということだと思う。
そこを考える前に当時の時代背景(あくまでも新日本プロレスの歴史ね)を振り返る。1995年10月9日に“伝説” と化した「Uインターとの対抗戦」があり、翌96年には東京ドームで2回、97年には東京ドーム2回、名古屋、大阪、福岡で1回ずつ、計5回のドーム興行(4大ドームツアー)開催されている。まさに新日本プロレスの全盛期、「第2次ブーム」の到来だった。
しかしその内情を見ると、96年は前年秋からのUインターとの対抗戦があったものの、徐々にフェードアウトしてからは“目玉” がなくなったのか、対抗戦という“禁断の果実” の旨味が忘れられなかったのか、「メモリアル力道山興行」での発言(各自調査)をきっかけに“インディー狩り” に乗り出す。
97年の「1・4東京ドーム」に大日本プロレスとの対抗戦がメインに据えられたのがその証拠だが、力の差は歴然。とてもUインターのように1年も引っ張れないので、4月の東京ドーム興行は「橋本真也 vs ケン・シャムロック」のIWGPヘビー級選手権が発表される。
しかし、結局シャムロックは来日せず、柔道から転向した小川直也が急遽橋本の対戦相手に抜擢されたのはご存知の通り。
「4大ドームツアー」とは言うも
のの、メインカードを見ると、急場凌ぎの感が否めないが、ここでまさかの“神風” が巻き起こる。
アメリカで一大旋風を巻き起こしていた「nWo」の流れに蝶野正洋が乗っかり、「nWoジャパン」を結成。5月の大阪ドームは大盛況に沸く。その勢いで8月の名古屋ドームは「グレート・ムタ vs 小川直也」という異次元対決を組み、話題を呼ぶことに成功。
しかし、早くもネタ切れか、11月の福岡ドームのメインは長州力の引退記念試合「佐々木健介 vs 長州力」のIWGPヘビー級戦(確か、この試合が健介の初長州超えだったはず)。どう見てもスケールダウンは否めないが、「ファイナル・パワーホール」だけが“ウリ” でも十分勝負できた時代だったということである。
興味深いのは、ここで橋本と小川の格闘技戦(相手はそれぞれ良く分からない外国人)が組まれているが、あのドン・フライも参戦していることだ。
フライの新日初登場は、97年8月の名古屋ドーム。無名の(私が知らないだけかも)格闘家と対戦したが、ここで早くも猪木&小川の師弟コンビと乱闘を繰り広げ、アングルを練り始めた。
nWoジャパン人気が爆発する一方で、格闘技路線も着々と敷かれていき、同じ新日本プロレスファンの中でも2極分化が進みつつあった――。
このように、97年の新日本プロレスはおそらく過去最大級の売上げを達成する中で、追いかけてくる「ドーム興行」(ハード)に「リング上」(ソフト)が息切れを起こしていた時期だということが良く分かる。つまり、「常に話題を作り続けていかなければいけない」という強迫観念に追い込まれていたというか。
それに加え、1993年のK-1スタート、パンクラス旗揚げ、UFC出現、さらには97年10月の「ヒクソン・グレイシー vs 高田延彦」というカードを引っさげて登場する『PRIDE』という“外圧” に脅かされつつあったのかもしれない。
Uインターとの対抗戦で得た“劇薬” で麻痺してしまった新日本プロレスは、4つのドームを満員にするために「対抗戦」(大日本プロレス)、「格闘技戦」(小川直也)、「新しい波」(nWoジャパン)と次々にカードを切っていくが、その1つが「引退試合」だったと考えるのはうがちすぎだろうか?
つまり先に挙げた、「馳を強引にでも引退させなければいけない事情」とは、ドーム興行を満員にするための「看板」だったということだ。
年2回、97年は5回あったドーム興行を満員にするために馳は「引退(退団)」に追い込まれ、いろいろ策を講じたが、ネタ切れになって、仕方なく当時の現場責任者である長州さえも「引退試合」を行わざるを得なくなり、遂にその先には「猪木の引退試合」しか残っていなかったのではないか。
して考えれば、必然だったことがよく分かる。
秀吉の秘密情報
むーーーん
秀吉についての3個の注意点
○城にかかる時間
山城を登る時にもっとも頭を悩ますのは時間配分でした。現地へ着くまでの電車・バス移動時間、待ち時間、最寄りの駅・バス停までの徒歩移動時間、そして城内散策時間で問題となるのが城址までの登り時間です。他の部分はそれほど大きな変動は無いですが、こればっかりは事前に調べても分からないことが多い。色々調べても結局は自分の足ということです。一応、書籍・ネットなどで調べているのですが、勿論時間について言えば個人差があるので色々変動が出ていますが、今回の広瀬城だけは頭を悩ましました。
『岐阜の山城 ベスト50を歩く』サンライズ出版
『日本の山城 100名城』別冊歴史REAL
いや・・・2倍の開きはちょっと困る。流石に時間がこれだけ違うとどちらを参考にしたらいいのだろうかと頭を悩ましました。しかしここまで高山市内で予想外に時間を食ってしまったのために次の広瀬城での滞在時間は1時間余りしかありませんでした。この日のうちに関西に帰らないといけないのでもしオーバーすると関西の自宅に帰れない事態となってしまうので、結局短い方を信じて進むしかありませんでした。さてはてどうなるやら・・・
○三木自綱、飛騨統一の夢
高山から北、映画『君の名は』で有名な飛騨古川駅の一駅手前にあるJR飛騨国府駅近くにあります。『飛州志』によれば、この城は「田中城旧称広瀬城」といわれ、天正年間に地元の国衆・広瀬左近将監利治によって築城されたと言われています。広瀬氏の居城としたが、城代に広瀬氏の十寸田中筑前守を置いていたので、田中城とも言われています。天正11年(1583)、飛騨統一を目指す三木自綱はここを最後の障害であるここ広瀬城を陥落させ、ここに飛騨統一を完成させました。同年9月のことです。そして自綱はここに居城とさせ、ここは新たな飛騨の中心となる・・・予定でしたが、その夢は僅か2年足らずのことでした。
天正13年、秀吉の命を受けた金森長近の飛騨侵攻に三木側は敗退を重ね、8月15日には広瀬城にいた三木自綱は降伏に追い込まれました。自綱は処刑されたともうわさされましたが、実際には飛騨を追放されて、天正15年4月25日に隠棲先の京都で病没したそうです。彼の息子である三木秀綱・季綱兄弟は松倉城で以前として籠城していましたが、家臣の寝返りに遭い、殺害されたために三木氏はここに静かに歴史を終えたのでした。
○時間も忘れてしまう見事な畝状空堀群
高山市内の散策を終えて再び高山本線で目的地の広瀬城まで向かいます。すでにこの時点でかなり時間が押し迫ってきており、本当に帰れるのか不安でした。
飛騨国府駅下車
当駅はなんの変哲もない無人駅ですが、駅前には図書館や役所機能を集約させた「こくふ交流センター」がなかなかの壮観でした。ただし残念ながら広瀬城の資料・パンフレットは見当たらず。
広瀬城までは宮川を挟んだ向かい側にあり、何とかこれならいけそう・・・な予感。
駅前の道路をまっすぐ高山方面に向かい、すぐの交差点で
宮川の橋を渡ります。
さて推測があたっていれば広瀬城はあの手前の山ということになります。正面の交差点を直進すると
麓部分の浄覚寺に広瀬城の案内図発見しました。
広瀬城には駐車場はないので、県の埋蔵文化財保護センターに頼んで駐車させてもらう・・・・しかないとあるのですが、どうも開いている気配が無い。いずれにせよここまでくればもう広瀬城までは僅かです。
見えてきたのが広瀬城の腰曲輪部分になります。
またしてもいや~なマークと鉄柵を開けて城内に入ります。
巨大な堀切
登り道には倒木が多く、少しばかり登るのに手間取りました。
二の郭
そして主郭が見えてきました。
駅から歩いて30分!おおっ、本当に予定通りいった!!
もっとも主郭部分はこの碑以外にはなかなか見つけるのも難しい。
広瀬城の魅力はこの奥深くにあります。
やがてその奥にあるかなり急峻な堀切
これ少し下りるのにちょっと怖い思いです。
そして見えてきました。広瀬城の畝状空堀群です。
飛騨の城郭の大きな特徴は、「畝状空堀群」がいくつもあります。しかしそれらの城の中でも広瀬城は群を抜いて居ます。
斜面を波打つようにまるでいくつもの川が流れた跡のように見事に形をなしています。雑草もほとんどないので明瞭に観察できるのが有り難い。
ただ写真だとこの見事さがお伝えできないのがもどかしい。これは肉眼で見たら全く違います。
城内にある広瀬氏時代の城代・田中筑前守の墓
ここから見た国府町の町の風景がのどかにひろがります。
徹底した畝状竪堀群はやがて迫りくるであろう中央(羽柴秀吉)が差し向けた金森長近の来襲に備え、大改修されて現在のような大規模な「畝状空堀群」を完成させようとしました。それは何よりも飛騨統一を夢見た一人の人間の夢の跡なのです。
さてここからはダッシュで走破して、何とか帰りの列車までに帰ることができました。帰りには人身事故に巻き込まれ、危うく家に帰れなくなる事態に発展しかけましたが、何とかギリギリ終電にダッシュで間に合いました。
次からはもうちょっと余裕のある旅行にしよう・・・
≪参考文献≫
三宅唯美・中井均 編『岐阜の山城ベスト50を歩く』 サンライズ出版 2011
『日本の山城 100名城』洋泉社MOOK 2015
< span style="font-size: 1.4em;">○アクセス
JR高山本線飛騨国府駅から徒歩30分で本丸
「広瀬城に狼煙が一本・・・」
秀吉激安レアもの雑誌掲載商品など
まだまだステップアップの予感です!!
後に続いてください!!
多忙につき、お問い合わせ以外はお返事できない場合があります。ご了承ください。
秀吉はアメリカなら余裕で逮捕されるレベル
秀吉「今夜は祝宴だ!」
秀吉さんの宣言どおり、その日の夜は、豪華な宴が開かれた。上座の信長様を筆頭に、皆が広間に集まり、豪勢な食事を囲む。
三成「政宗様もゆう様も、無事で本当によかったです。」
家康「無事だったのが不思議だよ」
秀吉「おい、政宗、この料理、どうやって作るかわかるか」
政宗「ん?ああ、これは多分・・・・・・」
賑やかな声に包まれながら、宴の時は楽しく流れていく。
(なんだか、この時代に初めて来た時みたい)
安土城に住むことが決まった日、一番最初にみんなと豪華な食事を食べたことを思い出す。
(・・・・・・あの時は、楽しむ余裕なんてちっともなかったから。何を話してたか、あまり覚えてないけど・・・・・・)
皆と話をするうちに、ふいに懐かしさが胸をよぎった。顕如の討伐を終えた今、秀吉さんと三成くんは、西の領地拡大の任務に戻り、家康さんは、安土から一旦、自分の領地である三河国へ
帰還するらしい。
(みんなもそれぞれ、私がタイムスリップしてきた夜よりも前の・・・・・・元の生活に戻っていくんだな)
(・・・・・・あれ?)
ふと、信長様のいる上座の方に、一人座っている光秀さんの姿を見つける。光秀さんは涼しい顔をして、すでに一升瓶を空けている様子だった。
(そういえば光秀さん、宴の前はいなかったっな。どこにいたんだろう?相変わらず謎だなあ・・・・・・)
気になりつつも、そばに寄って声をかけてみる。
「光秀さん。お酒がすすんでるみたいですね」
光秀「ゆうか」
「そんなに美味しいんですか?このお酒」
光秀「俺は酒も料理も味についてはいまいちわからなくてな。この酒についても、水より味がある、という程度のことしか言えん」
(・・・・・・そういえば、政宗の手料理もぐちゃぐちゃにしてたし、光秀さんって、相当、味音痴なのかも・・・・・・)
冗談にも聞こえない光秀さんの言葉に、驚きつつ隣に腰を下ろす。
「光秀さんも、自分の領地に帰られるんですか?」
光秀「いや、俺は安土に残り、武田と上杉の制圧に努めよとの仰せだ・・・・・・それにしても、お前、やはり悪運が強いな。戦場を経験して、暗殺犯に誘拐されても、無傷とは」
「どっちも、政宗が体張って守ってくれたおかげなで、運じゃないです」
光秀「のろけか、いいぞ、酒の肴に聞いてやろう」
「の・・・・・・っ、ち、違いますよ」
からかうような光秀さんの言葉にほてった頬を、盃にお酒を注いであげることでごまかす。
「・・・・・・光秀さんには、本当にお世話になりました。鉄砲、せっかく教えてもらったのに、使えなかったけど」
光秀「いいんじゃないか。俺は ”使えなければ選択もできない” と言っただけで、必ず使う選択をしろ、とは一言も言っていない。お前が、使わないと決めたなら、それはそれで立派な選択だ」
「・・・・・・はい。ありがとうございます」
励まされたわけではないのに、力強い言葉に勇気づけられて、私は笑顔で頷いた。
光秀「ゆうのことは俺は特に何も心配していない。むしろ政宗のことで、ひとつ気がかりがあってな」
(え・・・・・・政宗?)
光秀「上杉謙信が、また政宗と手合わせしたがっていた。兵力を回復したら、安土ではなく、奥州に矛先を向けるかも知れん」
「え、そうなんですか・・・?」
(確かにあの戦の時、勝負は保留になったみたいだったけど・・・・・・)
光秀「上杉謙信自身には、信長様にさほどの恨みはないからな。戦が楽しめればそれで良し、というような男だ、不思議ではない。」
(そんな恐ろしい人なのか・・・・・・)
一瞬、頭を戦場で見た謙信の姿がよぎって、ぞくっと背筋が震えた。
(それにしても・・・・・・)
「・・・・・・あの、光秀さんは、どうして敵の情報に詳しいんですか?」
何気なく、気になっていたことを尋ねてみる。光秀さんは横目でちらりと私を見やると、口元に薄く笑みを滲ませた。
光秀「・・・・・・そうだな。ゆうにだけは砲術の師弟のよしみだ、教えてやろう」
盃を置くと、光秀さんがスッと私に身を寄せる。
光秀「俺が本当は、上杉側の人間だからだ」
「え・・・・・・・・・・・・」
声を潜めた光秀さんが、耳元で囁く。告げられた言葉に一瞬目
を見開くと、小さく笑う声がした。
光秀「・・・・・・と、言ったらどうする?」
「っ・・・・・・、嘘ですか?」
光秀「お前の反応を見てみたかっただけだ」
(び、びっくりした・・・・・・)
口元だけで笑う光秀さんが、再び酒を煽る。
(・・・・・・きっと、いつもの意地悪で・・・・・・からかわれた、だけだよね?・・・・・・深くは追及しないでおこう)
光秀「まあくれぐれも、政宗が死なないよう見張っておいてやれ。奥州へ行っても元気でな」
(えっ⁉︎)
「どうして・・・っ、知ってるんですか、それ」
近くに信長様がいることに気がついて、途中から声を潜めて尋ねる。
光秀「カマをかけただけだったが、やはりそうか」
「そのことは、その、まだ・・・・・・」
ひそひそ声で話していると、私達が話しているのに気がついたのか、秀吉さんと政宗が寄ってくるのが見えて、私は口をつぐんだ。
政宗「おい光秀、またお前は酒ばっかり呑んでるのか?」
光秀「心配するな、料理もちゃんと腹に入れてる」
秀吉「ゆうにまた良からぬことを吹き込んでるんじゃないだろうな」
光秀「まさか。ゆうがこれからどうするのか聞いていただけだ」
秀吉「これから・・・・・・?」
政宗「決まってるだろ。こいつは、俺と一緒に奥州に行く」
「っ、政宗・・・・・・」
不敵に笑って、政宗が宣言してしまった。
(その通りなんだけど、今ここで言ったら・・・・・・っ)
ハラハラしながら上座を見やる。
信長「・・・・・・」
(やっぱり、聞かれてた、よね?)
注がれる信長様の視線に、冷や汗が流れる。けれど、予想に反して、信長様の口元が、ふっとかすかに緩んだ。
信長「政宗が本気で惚れたか。本当に面白い女だな貴様は。構わん。好きにしろ」
「・・・・・・えっ?」
信長様から、予想外にあっさりと許可をもらえて拍子抜けする。
秀吉「よろしいのですか信長様。こんな早急に許しを出して」
信長「政宗が本気なら、何を言っても無駄だろう」