デザイナーが陥りがちな秀吉関連問題

デザイナーが陥りがちな秀吉関連問題

ビジネスマンなら知っておくべき秀吉の5つの法則

🌸2018年2月6日ブログより追記

🍊柿がデザインされた 十二代柿右衛門焼の灰皿 

  染錦 枝柿彫(商品名は時期により違う)

           ↓

           

   

                持ち手の枝が白いお品

我が家の灰皿が

入っていた茶系のダンボール箱 には

有田焼の  

横長いシールが貼ってあるが

そのシールの上にも

かくふく・柿右衛門焼と書かれた

  🍊柿のシールが 無造作に貼ってある( 逆さま・笑 )

初期の頃は 木箱ではなかった?? 

🍊柿 の シ ー ル 

   灰 皿 以 上 に  希 少 か も ? (笑)

↑我が家にある 大変珍しい 柿右衛門焼のシール

🍊 二つの柿右衛門 

(灰皿の裏面は 渦福の角福銘のみ)

明治18年(1885年)に 

渦福の角福銘 を

                                 

十一代酒井田柿右衛門が 商標登録

以後 

渦福銘のあるものは 

柿右衛門窯の作品を意味するようになった

検索していたら以下のような画像を見つけました(4枚)

  登記謄本では 1919年(大正8年)4月28日に設立したと記載されている

  

しおりの表面

しおりの裏面

染錦  枝柿彫 灰皿 (木箱の蓋)

  十二代が襲名(大正6年)した頃は厳しい時代で、 

  柿右衛門窯も 転業寸前まで追い込まれた

  苅田出身の実業家 小畑秀吉氏が十二代を救った

  小畑氏と十二代は 1919年(大正8年)4月28日、

  『柿右衛門焼 合資会社』を設立登記謄本より。   

  『角福 銘』と技術を供与した。 

  その約10年後の、

  昭和3年(1928年)12月、柿右衛門は、

  予備陸軍中将堀田正一の後援を得ることになり、

    合資会社からの退社を申し込み、小畑秀吉とは分離する

  ことになった。

  

     「柿右衛門 焼」 は、    

  契約期間の50年間(1969年・昭和44年まで)、 

  制作を続けた。

  窯銘は「角福の横に柿右衛門(謹製)と付加」した  

            ↓

  

    昭和44年に和解し、 

   角福銘は合資会社から柿右衛門窯へ返還されたが、 

   使用されていない

  

   🍵大正年代の有田
       帝国窯業と柿右衛門焼合資会社(お読みくだされば幸いです)

      

秀吉の品格

さん(@sakoch35)がシェアした投稿 –

それは秀吉ではありません

こんにちは、「杉並区で骨董品古布販売/骨董品古布買取 呂芸」ブログ中の人です(‘ω’)ノ

杉並区は荻窪で古布の販売をさせていただき30余年、様々な古布を取り扱いしてきましたがこのような絶品のご案内ができ嬉しく思います。

今回は桃山時代の刺繍になります。

刺繍において室町・桃山時代ほど最も華やかで技巧的にも魅力的な時代はないでしょう。

豊臣秀吉の世となった桃山時代、刺繍の意匠は秀吉好みの派手で華やかな手法へと移り変わりました。

繍箔と呼ばれる、摺箔に刺繍を合わせたその手法はこの桃山時代の小袖や能装束に多く見ることができます。片身替り、段替り、肩裾といったそれまでにはないダイナミックな構図の文様が生み出されたのもこの時代です。

殊に能装束においては「唐織」「摺箔」「繍箔(縫箔)」など染織技法がそのまま名称になるほど関係は深いものでした。

桃山時代の刺繍の特徴には金銀、色彩豊かなことに加え「渡し繍(わたりぬい)」というものがあります。

渡し繍というのは平縫のひとつで、文様の端から端まで糸を往復させると同時に裏には糸を通さない裏抜きの技法になります。

こちらが表

こちらが裏になります。

従来の刺繍でしたら裏側にも糸が廻っていると思うのですが桃山時代の刺繍は最小限に抑えているのがわかります。

方法としては菊の花をまず渡し繍で縫い、浮きを抑えるために菊の弁と中心部分で留め繍をしております。

もしお手元に菊の刺繍がございましたら見比べてみてくださいませ。

刺繍の表情の柔らかさに気がつかれるのではないでようか。

有職文様である亀甲花菱文様の地に加え色味も銀を用いたことにより落ち着き実に趣きがあります。

当布帛の用途は解釈によるところが大きいのですが耳の部分に糸を通した跡があり袷で仕立てられたであろうこと、形がほぼ正方形であることから掛け袱紗かと推測しました。

室町時代に盛んに作られました刺繍小袖ですが応仁の乱などで行方が分からなくなってしまい現存するものがほとんどございません。

ですので桃山時代の刺繍というのは室町の刺繍文化を紐解くためにも大変貴重な美術工芸品です。

古布を扱う者としてこのような貴重な古布を直に目にすることは大変光栄でまた仕事冥利に尽きます。大切に保管させていただきぜひ次の方にお渡しできればと思っております。

現在店頭にて販売させていただいております。

お電話、メールでも承ります。もしご興味がございましたらお気軽にお問い合わせくださいませ。

「杉並区で骨董品古布販売/骨董品古布買取 呂芸」では古布、古裂、江戸縮緬(江戸ちりめん)や和更紗、インド更紗、唐木綿、藍染、型染、筒描、襤褸(ぼろ、らんる)、錦織など数多く取り揃えております。

古布、古裂、布揃いは都内随一、店内ストリートビューでご覧いただけますのでご参考くださいませ。

古布とのよいご縁を結ぶお手伝いをさせていただいております。

古布、古裂をお求めの際は是非「杉並区で骨董品古布販売/骨董品古布買取 呂芸」にお越しくださいませ。

ホームページはこちら

また「杉並区で骨董品古布販売/骨董品古布買取 呂芸」では古布、古裂、江戸縮緬(江戸ちりめん)、更紗(インド更紗・ヨーロッパ更紗・和更紗)、唐木綿、藍染木綿、型染、筒描、襤褸(ぼろ、らんる)、錦織・帯地やお着物、櫛(くし)簪(かんざし)帯留めなどの女性用装飾品、茶道具・能装束・能面・市松人形・雛人形など古布関連の美術骨董品買取も随時させていただいております。

売却をお考えの方がいらっしゃいましたら、まずは「杉並区で骨董品古布販売/骨董品古布買取 呂芸」にご相談ください。

・なんだかわからないけど古い布がある

・ボロボロで捨てようかと思ってる

・着物や布があるけど価値がわからない

・祖母や肉親が集めていた布がたくさんある

などございましたら是非一度お見積りを。

最近ではインターネットの発達により「古布買取」や「着物買取」と検索すると多くの業者様をお見受けするようになりました。

しかし残念ながら、中にはお客様の大切な古布やお着物について詳しくない業者様も少なくありません。

杉並で創業35年、古布買取の実績ある「杉並区で骨董品古布販売/骨董品古布買取 呂芸」に是非ともお任せくださいませ。

代々大切に譲り受けてきたけど着なくなったお着物や箪笥に眠ったままの古布、持ち主様のお気持ちを第一に考え、後の方への橋渡しのお手伝いをさせていただいております。

メールやLINE、お写真での査定やご自宅への出張査定、お客様のニーズに合わせた各種お見積りをさせていただいております。

お客様に寄り添ったお見積もり、満足いただける査定をさせていただいております。

まずはお気軽にお問い合わせくださいませ。

ホームページはこちら

杉並区は下記地域を中心に買取を強化しております! 杉並区内は阿佐ヶ谷、天沼、井草、和泉、今川、梅里、永福、上井草、荻窪、久我山、上高井戸、高円寺北、高円寺南、清水、下井草、下高井戸、松庵、善福寺、高井戸、成田、西荻北、西荻南、成田西、成田東、浜田山、方南、堀ノ内、本天沼、松ノ木、南荻窪、宮前、桃井、和田、などにお住いの方には出張買取いたします、全国出張も承りますのでお気軽にお問合せくださいませ。

加えて古布を使い自分だけのオリジナル人形作り、押し絵、ちりめん細工を楽しんではいかがでしょうか。市松人形の衣裳作りも楽しめます。

プロの先生方の懇切丁寧な指導のもと初心
者でもしっかり学ぶことができます。気兼ねなくお話しできる雰囲気で、すんなり溶け込むことができるアットホームなお教室です。

「杉並区で骨董品古布販売/骨董品古布買取 呂芸」のホームページ及びブログに作品と教室のご案内をさせていただいております。

ご興味ある方は是非、お気軽にお問い合わせくださいます様お願い致します(‘ω’)ノ

ホームページ、教室案内はこちら

10月2日(火)〜10月7日(日)まで銀座教会ギャラリー ・エルビスにて「」と題しまして展示即売会を催します。こちらにもお立ち寄りいただけたら幸いです。

店舗 骨董品古布販売/骨董品古布買取/各種教室/呂芸

電話 0120-410-314  03-3398-2144

住所 東京都杉並区荻窪5-16-15 井上ビル2F

営業時間 11時~17時00分

電話受付時間 9時~20時(営業時間と電話受付時間は異なりますのでお気を付けください)

み~んなみるる 秀吉

戸外から流れ込む風にも熱がまじる、暑い夏の夜のこと——
(絵になるなあ・・・・・・)
暑気払いに開かれた宴の席で、私は少し離れたところに座る信長様を眺めていた。そっと盃(さかずき)に口をつけて、静かにお酒をあおる信長様は視線を惹きつける。
秀吉「信長様、お注ぎします」
信長「ああ」
秀吉さんが信長様の隣に腰を下ろして、お酌をした。信長様のもとには、家臣の人たちが入れ代わり立ち代わり訪れ、盃をお酒で満たしていく。
(結構飲んでいらっしゃるけど、全然表情が変わらないな。そういえば、信長様が酔ったところ、見たことないかも・・・・・・)
むくむくと好奇心が湧いてきて、隣に座っていた政宗に声をかけた。
「政宗、ちょっと聞いてもいい?」
政宗「ん? なんだよ」
「信長様が酔ったところって、見たことある?」
内緒話をするみたいに小さい声で問いかけると、政宗は頭を横に振った。
政宗「ないな。気分が少しよくなる程度で、顔色は変わらない」
「そうなんだ」
(やっぱり信長様って、すごくお酒に強い方なのかな)
政宗「家康」
政宗は顔を逸らせて、近くに座っていた家康を呼ぶ。
家康「・・・・・・何ですか」
政宗「お前、信長様が酔ったところ、見たことあるか?」
家康「・・・・・・ないですけど。政宗さんみたいに、分かり易い酔い方をする人じゃないし」
政宗「一言余計だろ」
(家康も、見たことないんだ・・・・・・)
「酔った信長様って、どうなるんだろう」
ぽつりと呟くと、政宗と家康が目を伏せて考え込む。
政宗・家康「それは・・・・・・」
政宗「秀吉みたいに饒舌(じょうぜつ)になって、普段は言えないことを話し出すとか、とかか?」
(秀吉さん、みたいに・・・・・・?)
思わず信長様の隣に座る秀吉さんを見ると、目を輝かせながら、『恩義』や「忠義』という言葉を並べて、熱く何かを語っていた。
(・・・・・・酔ってるのかな、秀吉さん)
家康「それはないんじゃないですか。普段からいいたいことしか言わない人でしょ。言えないことなんて、あるように思えないけど」
(確かに・・・・・・信長様は発言を我慢するタイプの人じゃないもんね)
「笑い出す、とかは? 子どもみたいに」
政宗「想像しただけで俺が笑える」
家康「酔っても顔にでないんじゃないの。いきなり倒れて寝る、とか」
政宗「それはそれで、笑えるけどな」
(んー・・・、どれも想像できないな)
三人でわいわいと盛り上がっていると、上座にいる信長様とふいに目が合う。
(ん?)
信長様が片手で手招きをするのが見えて、私は席を立った。
「お呼びですか・・・・・・?」
隣に腰をおろして声をかけると、信長様が盃を差し出した。
(なんだろう?)
信長「随分と楽しげに話していたようだが、貴様が相手をすべきなのは、俺だろう」
(気にしてくださったのかな・・・・・・)
「はい。お注ぎしますね」
近くにあった徳利(とっくり)を持って、信長様の盃にお酌する。そばにいられるだけで気分が高揚して、思わず笑みを浮かべると・・・・・・
信長「何を笑っている?」
「えっと・・・・・・、やっと近くでお話出来たので、嬉しくて」
信長「話したければいつでも来れば良いだろう。何を遠慮することがある」
「すみません。次からは、我慢しないようにします」
「ああ、そうするが良い」
ふっと笑みを浮かべた信長様は、盃をぐいっと傾けて、お酒を飲み干す。空になった盃にお酒を注ぎながら、信長様の顔をじっと見つめた。
(顔は・・・・・・赤くないよね。全然いつもと変わらない。やっぱり信長様が酔ったところ、想像できないな)
ふいに伸びて来た信長様の手が、私の顎をぐいっと持ち上げる。
(えっ)
信長「貴様、先ほどから何を見つめている」
信長様が、私の唇を親指でつーっとなぞった。
信長「口づけでもして欲しいのか?」
熱のこもった眼差しを向けられて、身体がかっと熱くなった。
「ち、ちがいます。お酒を、一緒に飲みたくて」
信長「酒? 今飲んでいるだろう」
怪訝(けげん)な表情を浮かべる信長様を見て、あたふたと言葉を並べる。
「えっと、もっと飲みたいというか」
(飲んで欲しいというか・・・・・・)
酔っている信長様を見たいとも言えずに、目線を泳がせていると・・・
信長「ならば、ふたりで飲み直すか」
「え?」
信長「部屋に南蛮の使者が寄越した酒がある」
(それって・・・・・・この後、ふたりきりで過ごせるってこと、だよね)
「ありがとうございます。ご一緒したいです」
嬉しさに笑みをもらすと、信長様も優しげに目を細めて、微笑みを浮かべた。
——
「美味しい・・・・・・!」
宴のあと、信長様に誘われて部屋を訪れた私は、南蛮酒と呼ばれるワインを信長様と一緒に飲み交わしていた。
信長「上物のようだな。香りが濃い」
ビードロ製のグラスを傾けて満足気にワインを口にする信長様を見ているだけで、心が満たされる。
(やっぱり、ふたりっきりで過ごせるのは嬉しいな・・・・・・)
グラスに注がれた赤いワインを見て、ふと気が付いた。
(そういえば・・・・・・)
「この時代だと、ワインは中々手に入らないお酒ですよね」
信長「『わいん』・・・・・・?」
「あ、えっと・・・・・・この南蛮酒のことです。私の
いた時代だと『わいん』っていうんですよ」
信長「『わいん』か。おぼえておく。この酒は南蛮から取り寄せたものだからな。早々に手に入るものではない」
「そんな貴重なもの、いただいてよかったんですか・・・・・・?」
(きっと、信長様だっていつでものめるものじゃないよね)
信長「問題ない。貴様になら、何だってくれてやる。それに・・・・・・貴様と飲む方が、不思議と一人で飲むときよりも美味いと感じるからな」
「信長様・・・・・・」
優しく耳に響いた言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「そういえば、私がいた時代には『サングリア』っていうお酒があったんです」
信長「『さんぐりあ』?なんだその珍妙な名の酒は」
「ワインに果物を漬け込んで作るお酒なんです。すごく美味しいんですよ」
信長「ほう?果物を漬け込むことで甘みや酸味を加えるわけだな」
「はい」
信長「面白い趣向だ」
楽しそうに私の話を聞いている信長様の姿が、少し霞(かす)んで見えた。
(あれ・・・・・・)
身体がふわふわとして、いつの間にか酔いが回っていたことに気付く。信長様は顔色一つ変えずに、ワインを飲み続けていた。
(やっぱり、信長様は酔わないんだな・・・・・・)
信長様が強い以前に、自分が弱いんじゃ。。先に酔ったら、一生酔った姿は見れません!
少し眠くなって目をこすると、信長様はふっと笑みを浮かべた。あやすみたいに、私の頭を撫でた信長様が、顔を寄せて慈しむような声で囁く。
信長「もう眠いのか? 貴様は酒に弱いな、ゆう」
「いえ、大丈夫です」
(まぁ、寝たくない・・・・・・。信長様とお話したいのに)
思いに逆らって重くなっていく瞼に力を入れると、信長様が私の目元にそっと口づけを落とした。
信長「寝るがよい。少し、飲ませすぎたな」
苦笑い交じりに話す信長様の声が優しくて、ひどく安心する。
優しい〜〜❤️きっと、超甘〜〜い声で言ったんだろうな・・・・・・
そのまま夢見心地に目を閉じて、幸せな眠りに包まれていった。
——
翌日——
(信長様が酔う前に、私が酔っちゃったな)
私は部屋で着物を仕立てながら、昨日のことを思い返していた。
(でも・・・・・・すごく、幸せだった)
寝る前に聞いた、子守唄みたいに心地のいい声色を思い出す。何度でも聞きたくなるようなその声を反芻(はんすう)していると、天井裏からコンコン、と板を叩く音が響いてきた。
(この音はもしかして・・・・・・)
天井を見上げると、見知った顔が現れる。
佐助くん「ゆうさん、こんにちは」
「佐助くん! どうしたの?」
身軽に飛び降りた佐助くんが、目の前に着地した。
佐助「ちょっと近くまで来る用事があったから、暑中見舞いに」
「そうなんだ。わざわざありがとう。お茶、飲む?」
佐助「ありがとう。お言葉に甘えさせてもらおうかな」
「うん。ちょっと待ってね」
仕立てていた着物を部屋の隅に寄せて、私はお茶の用意を始めた。
佐助「ワイン、か。この時代では珍しい飲み物だな」
「うん。久しぶりに飲んだら、すごく美味しかったよ」
ふたりでお茶を飲みながら、昨日あったことを話していると、佐助くんは興味深そうに眼鏡の奥の瞳を輝かせる。
佐助「そういえば、日本で始めてワインをのんだのは織田信長だって聞いたことがある」
「そうなの!?」
佐助「ああ。だけど、ルイス・フロイスの証言から、織田信長は下戸だったとする説もあるんだ」
「下戸ってことは・・・・・・お酒が飲めないってことだよね?信長様は普通にお酒を飲まれるけど、どうしてそんな説があるんだろう」
佐助「確かに・・・・・・気になるところだ」
(佐助くん、歴史のことになると、興味深々なんだな)
「信長様はお酒に強くて、誰も酔ったところを見たことがないんだって」
佐助「アルコールに強いタイプなんだな。もしゆうさんが酔ったところを見たら、教えてほしい。歴史的大発見が隠されているかもしれない」
見れないよ。佐助くん。だって、先に酔って眠くなっちゃうもん!
「わかった。もし信長様が酔うことがあれば、ちゃんと見ておくね」
佐助「ありがとう。・・・・・・あ」
穏やかに話していた佐助くんが、襖(ふすま)の向こうを見てぴくりと肩を震わせる。
「佐助くん?」
佐助「・・・・・・今日はこの辺でお別れみたいだ。お茶、ありがとう。美味しかった」
「ううん、どういたしまして」
佐助くんはそのまま、音も立てずにさっと天井裏へと消えていった。
(どうしたんだろう?)
???「ゆう、いるのか」
(信長様の声だ・・・・・・!佐助くん、気配に気付いてたのかな)
「どうぞ」
襖を開けて部屋に入って来た信長様がにやりと笑みを浮かべた。
「ゆう、来い」
(え?)
私の手を引いて、信長様はそのまま部屋を後にした。
——
(これって・・・・・・!)
信長様に連れられて、城の台所に来た私は、驚きで目を見開く。調理台の上には昨日飲んだワインの他に、桃や葡萄など、戦国時代では貴重な果物が並んでいた。
信長「すべて貴様のために用意させたものだ。『さんぐりあ』を作るぞ、ゆう」
「え・・・・・・」
自信満々に告げられた言葉にびっくりして、固まってしまう。
信長「どうした?『さんぐりあ』が美酒だと言ったのは貴様だろ
う。飲みたくはないのか?」
「っ・・・・・・飲みたい、です」
(これだけの材料を集めるの、大変だったんだろうな・・・・・・)
何気なく話したことなのに、忘れずにいてくれる信長様の優しさが嬉しくて、私は頬を緩ませた。
「作りましょう、サングリア」
——
「信長様、果物は切れましたか?」
信長「ああ、問題ない」
調理台の前に信長様と肩を並べて立ち、サングリアを作る。信長様が切った果物は均一で、みずみずしい色をしていた。
(相変わらず、信長様は何をしても完璧にこなすな・・・・・・)
テキパキと手を動かす信長様の横顔を見ながら、佐助くんとの会話を思い出す。
「あの、信長様は、お酒に酔ったことはありますか?」
信長「あまりない」
(あまり、ってことは、酔ったことはあるんだ・・・! 見てみたい)
そわそわと騒ぐ気持ちを落ち着けながら信長様を見上げると・・・
信長「なんだ」

秀吉をナメているすべての人たちへ

小牧長久手の直後あたりならまだしも、小田原征伐の時点では、到底勝ち目はないですね。
 秀吉が西日本を完全制圧する前なら、つまり具体的に言えば島津が九州全域を制圧してブイブイいわせている状況なら、徳川・北条は島津と連合して、日本列島規模で秀吉を大きく挟み撃ちにする、という戦略が有り得ます。東西に敵がいる状況なら、秀吉もどちらかに全力をかけるのは躊躇われますから、上手くいけば膠着状態を作り出せるかも知れません。
 しかし、秀吉が島津を討伐して背後に憂いがなくなった段階では、北条はもうノーチャンスだといっていいでしょう。ま、そんなグローバルな視点が持てるくらいなら、小田原北条氏は滅亡しなかったでしょうけど。
 いつまでも徳川がこっちに付くと期待してたとしたら、愚かです。
 だって、徳川に、北条につくメリットは何もないもん。秀吉率いる天下軍の攻撃を、まずは徳川が引き受けなきゃならないんですよ。イザというとき北条が全力で援軍を送るか。ムリに決まってるじゃないですか、北条だって地元がガラ空きになったら、誰が反乱してくるか分からない。己が大事ですからね。
 伊達? ハッキリ言ってこの時点では何の頼りにもならんです。だって、まだ張り切って東北制覇ために戦争しまくっているんですよ。秀吉と決戦する気なんてないですよ。
 だいたい同盟ってのは、隣同士ではなく、間にひとつ敵をはさんでいるときのほうが有効なんです。織田信長と武田信玄は、間に今川という強いヤツがいる間は同盟してたんですよ。それが、今川が滅びた途端に不倶戴天の敵みたいになっちゃった。そういうもんです。隣同士で同盟しても、どっちかが損をかぶるだけですから、んなもの役に立ちません。
 家康は絶対、北条には付きません。誰が好き好んで、北条のタテになってやらなきゃいけないんですか。もしそんなもの期待してたんなら、北条氏政はやっぱりその程度の男だった、ってことになりますね。


秀吉 関連ツイート

@adjmg36 尊み秀吉って感じだ
唐津に秀吉まんじゅうとかいうのがあるんだけど
主人は無理をいうなるものと知れ。
~豊臣秀吉
《戦国大名列伝》長宗我部元親(1538~1599・土佐)
長宗我部家21代目。1560年長浜戸ノ本の戦いで初陣を飾る。本山氏、安芸氏を滅ぼし、一条氏を破って四国を統一すると信長とは友好関係を保つ。その後は秀吉軍を讃岐で破るなど奮闘するも、戸次川の戦いで島津氏に敗れる。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする