もう走り始めています 21世紀へ 先進技術の過疎
めっちゃホッとした。
迷子の迷子のレシートちゃん♪
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過疎超好き!
PBC(原発性胆汁性胆管炎)(去年から呼び名が変わった)
診断されて6年経過。
7年目突入。
薬ウルソ100㎎×2錠×毎食後もまったく変化なし。
病状も変化なし(たぶん)
血液検査結果は あいかわらずZTTのみが少し高く
総ビリルビンが基準値オーバーしたりもどったり。
他の肝臓系の数値はすべてクリア。
今から思うと6年前ショックを受けたのが拍子ぬけするほど安定している。
なんだか このまま天寿をまっとうできる気がする。
診断されたときの先生の言葉って大事だ。
重大な感じで告げられたから
重大なことだと思ってショックを受けた。
(でも私の性格からすると痛い目にあわないと反省しないので重大に言ってもらって良かった)
だから、
このブログを読んだPBCと診断されたばかりの人が
私のオロオロしていたときの文章を読んでショックを受けたら申し訳ないな…と思う。
シェーグレンの症状も多分そんなに進行していない。
口の渇きはあるけど困るほどではない。
でもPBCの症状で口の渇きもみられるそうだから
これって…シェーグレンじゃなくPBC由来のものなのだろうか???
なんでPBCで口が渇くのだろう???
やっぱりシェーグレンが隠れているからじゃないの???
そのうち わかるかな???
脾臓もあいかわらず2倍に腫れているらしいけど
(だからウエストが減らないのだろか…)
もう腫れたきりなのかな???
3倍4倍の人もいるらしい。
じゃあ、まだ大丈夫か。
これも全く困っていないので放置。
知りたがりの私が疑問を主治医にぶつけないのは
自衛でもある。
質問をぶつければぶつけるほど
先生に対する不信が募りそうな気がして避けてきた。
大学病院の先生と気があわない予感は6年間ぬぐえないまま、
あまり考えないようにして今日までやってきた。
でもここらで病院を変えようかと検討中。
悪い先生じゃないと思うけど
相談してやっていけるタイプではなく
先生の鶴の一声で物事が進められる。
病状が安定しているうちはいいけど
何かあったときに絶対にケンカ別れする予感。
どうせ別れるなら早いほうがいいと思いつつ
グズグズしていた。
先週 地元のこじんまりした病院に偵察にいってきた。
大学病院は遠いし混むし不必要な検査も多いし転院を考えていると申し出た。
シマリスさんの症状で大学病院に行ったのは何故?
言われて驚く。
私が聞きたいよ…?
いやぁ?膠原病の疑いとかもあったからですかね?
近所のクリニックから紹介されていったんですけど…
ああ、でも、6年前はPBCだけでなくダブルで自己免疫性肝炎の疑いもあったのだった…忘れていた…
だからやっぱり大学病院に転送されてしまったのか???
この地域にもPBCの人50人位いますよ。
えぇえっ!!!
じゃあ、難病じゃないじゃん!
50人が多いのか少ないのかわらないけど
この過疎の町で50人はぜったい多い気がする。
余計に6年前のあの診断された日を思い出した。
お酒なんか一生飲んじゃダメっていう雰囲気だった。
隣で話を聞く看護師さんが可哀相に…という顔を私に向けていたのが印象に残っている。
ヘラヘラしたら怒られそうだった。
(ヘラヘラしていたから怒られていたのかも)
けっこう厳しく言われた。
ストレスを溜めるなとか陽に当たるなとか…日常の細々したことなど。
でも6年たった今感じるのは
薬を飲んで人よりちょっとだけ健康に気をつければ
そんなに深刻にならなくてもいいのではないか?ということ。
そしたら 地元のクリニックの先生もまったく同じことを言った。
まぁ、あまり深刻にならなくても大丈夫ですよ。
地元で十分診ることができます。
6年前、この先生のクリニックに来ていたら
ショックは受けれど 泣いたりはしなかったと思う。
あんなに色んなことをあきらめなきゃとか考えなくてもよかった。
6年前ショックを受けた自分が恥ずかしい気がした。
病院の姿勢や医者の発言が患者の症状を重くみせたり軽くみせたりする。
患者はわからない。
本当は重大なことをさも軽く言われても困る。
軽く捉えてよいことを権威主義的な感じで患者を圧迫するのも考えもの。
病気によっても症状によってもアドバイスは変わってくるだろう…。
難しい。
お医者さんも本当のところはわからないのだろう。でも寄り添ってくれたら嬉しい。
当時 診断されていちばん変わったのは
仕事に対する姿勢。
仕事が面白くて家でも勉強したりしていたけど
今はまったく。
私生活を大事にしようと大胆に舵をきった。
日々の暮らしとか楽しみとか観たい映画とかささやかな目の前の幸せを大事にしようと思った。
フィギュアスケートにここまで のめり込むこともなかったかもしれない。
どちらが良かったのかわからないけど
今は現状にとても満足!
ショックを受けて自分の生活を見直すことができたのだから。
(まぁ、私のことだから どちらでも満足していそうだ…)
地元のクリニックは3か月に一度の通院でいいと言う。
今までは8週間に1度行っていたから…!
病院を変えたことは仕事先に告げずに有給はとる。
そしたら平日にフィギュアスケートの練習とかできるかも!
平日に会いたかった友だちに会える!!
都内でランチとかしたい!
転院に大きく心が傾く6年経過…
私は過疎で人生が変わりました
過疎ひとすじ
Be the change you want to see in the world.
見たいと思う世界の変化に、あなた自身がなりなさい。
株式会社BRIDGE 取締役;現在、福井県美浜町の生産者・自治体・福祉事業施設の皆さんと共に、地方と都市(ひいては世界!)をつなぐ架け橋を創造すべく、日々奮闘中です♡
改めまして。アラミホと申します
お盆は父方の親戚でBBQ!父の姉、いそえおばちゃん♪
2018年1月より、
BRIDGEという会社の役員になり、
新規事業の立上げを担うことになりました。
株式会社BRIDGEとは
炉端居酒屋『なかめのてっぺん』を中心に、
14店舗の飲食店を展開している、
株式会社MUGENのグループ会社です。
※2018年9月、渋谷に『なかめのてっぺん渋谷ストリーム店』を新たに出店いたします!
代表の内山が、飲食店の経営を通じて、
地方の農家さんや漁師さん、
築地の仲卸さんに出逢い、
彼らの生の声や想いに触れたことで、
飲食店という場を活かして、
〝生産者の悩みを消費者の喜びに変えたい〟
…という想いで、2015年に設立しました。
丸の内にある『築地もったいないプロジェクト魚治』。「大き過ぎ」「小さ過ぎ」「キズがある」…など、新鮮なのに規格外という理由だけで捨てられてしまう魚たちを美味しく調理し、お客様に提供しています。
今年から、
BRIDGEのビジネスの執行責任は、
役員に就任した私へと移りました
食材の仕入れをはじめ、
産地との直接的な繋がりを持ち、
お客様の反応に直に触れることができる、
飲食店という場をフルに活用しながら、
生産者と消費者、
地方と都市の人々をつなぐ架け橋を、
築いていきたいと思います
BRIDGEが実現したいこと
今年2月。代表の内山の故郷でもあり、
MUGENの取引先でもある
福井県美浜町を初めて訪問し、
自治体の皆さん、農家さん、
日本酒の蔵元さんなど、
生産者の方々に直接お話を伺ってきました。
農業研修も含めて、美浜には今年4回訪問しています。
農業・漁業の構造的な課題や、
後継者の不足、過疎化問題など、
自治体や生産者の皆さんが抱える悩みは、
美浜町に限らず地方に共通した問題です。
私たちBRIDGEは、
ご縁をいただいた福井県美浜町の皆さんと、
生産者と消費者、地方と都市をつなぐ
本質的な事業と成功事例を、
まずは創っていこうと決めましたッ
具体的な取り組みについては、
長くなりそうなので次回に譲ります
私たちの想いがより多くの人々に伝わり、
明るいムーブメントが拡がっていくように、
SNSでも発信をスタートいたします
『Bridgeオンライン農場』と称して、美浜町の魅力や、
新たなメディアである『note』でも
発信を始めたいと思います
ぜひフォローいただけるとうれしいです
次回へ続きます
過疎 関連ツイート
わざわざコメをしてくれたのに…
まさかのゲームに夢中で
返事ができなかった(キ゚皿゚)
でもすっごい嬉しかったぁ(○-艸・)*:゚・☆
過疎キャスでもゲームを通して
たくさんの方と繋がれるのは本当に嬉… https://t.co/Y44lLcjpPl
仲良くなりたい人多いけどみんな絵が上手いから話しかけづらいんだよねわかる?わかるかそうか(())