ヤクザ激安セール

ヤクザ初心者はこれだけは読んどけ!
題名の通りです。
先週、目の前で事故を目撃。
絵で描くとこんなんです。
青四角が乗用車。
赤丸が女の子(自転車)。
緑丸が僕(自転車)。
星印で、車が女の子を自転車ごとひきました。
場所はT字路。
T字ではなくかなり斜めってます。
信号は青。
車が右折し、横断歩道を通過した直後に女の子が
車の右のミラー付近に突っ込む感じ。
僕はちょっと先の方で斜め横断をしようとしてたんですが一旦止まったので
速度が余り出ておらず
女の子が僕を抜かす勢いでした。
直角のT字路だったら90度右を向いて確認するんだろうけど
浅い角度のT字路だったのでおそらく真横を確認しなかったのか
もしくは女の子がかなり速かったのか
僕が見た限り女の子の速度は、少なくとも遅くは無かったけど
運悪く、両者同時に同じ地点を通った結果が
今回の事故なのでしょう。
つーかね、女の子が車にはねられたとき
ドライバーは0.5秒位あとにブレーキを踏んでたんですよ。
当たる前から踏めそうな気はするんですが
その辺どうなのかね。
ドライバーはオッサンで
ひたすら謝りまくってまして
女の子は道路のど真ん中に座った状態で
どうしていいか分からない感じでした。
ちなみに僕は対向車線のど真ん中辺りだったので
ホント1~2メートルくらい近くでの事故。
僕も車とバイクで、ここを右折したことがありますが
角度が浅いせいか勢いよく曲がります。
当然僕が一番近くにいたので
速攻で救護に。
大丈夫か聞いたら
女の子はこっちを見たので意識はあります。
すぐ動かすのも悪いかなと思ったので
ぶっ飛ばされたサンダルを女の子の近くに置き
自転車を歩道へ移動させました。
女子中学生くらいの子が3人きたので
ハイ、ここでバトンタッチ
すいません、急いでいたんです。
被害者の女の子は会話は出来てたし
出血も無かったので
とりあえず、ドライバーと女の子たちに任せようと思ったんです。
あとあと考えると
女の子がいなかったら
僕は一体・・。
ということなんですよ。
だって僕も女の子の1~2m近くで
斜め横断中だったのに
車は当たる直前まで加速してたんですからね。
数メートル近くまで来てた。
僕は最近よく、幽霊動画を見るんですが
僕が事故らなかったのは
「守護霊のおかげ」
こうしときます。
守護霊さん、ありがとうございます。
僕の代わりに女の子が犠牲になりましたが・・。
あの後、救急車とパトカー来たのかな。
あとで見に行ったら
道路に事故現場で書かれる白い線がなかったので
おそらく警察は来てないだろうと思われ。
女の子のお父さんが
ヤクザでないことを祈る。
格差社会を生き延びるためのヤクザ
【一部削除】
文章の一部に事実誤認がありましたので、当該箇所を削除、後日改めて掲載致します。
演目
玉川太福 地べたのふたり~配線ほどき
写真タイム・トーク
玉川太福 天保水滸伝~鹿島の棒祭り
中入り
玉川太福 天保水滸伝~笹川の花会
地べたのふたりのまくら
6月から出演している連雀亭では、若手ベテラン関係なく出演自らがのぼりやめくりの用意をするのだが、暑さで汗だくで支度をしていたら、東家孝太郎さんのめくりに汗を垂らしてしまい、それを慌ててタオルで拭いたら余計に墨が滲んで字がぐちゃぐちゃになってしまった。勿論責任を持って新しく作ってあげると言うのもひとつの方法だが、そのままにしたら新たな物語が生まれるのではないかと思って放ってある、との事。
松之丞さんも後輩の手違いで張り扇を水に漬けられてしまった事をネタにしているので、それはそれで良いのかも(笑)。
地べたの二人~配線ほどき(本編)
高所の配線ほどきが難航、金井はその場所を写メに撮って齋藤に見せるが、そのスマホを操作した齋藤は誤って次の写真をクリック。そこに写った猫の写真に酷く惹かれ、何時も様に金井との他愛ない会話が繰り広げられる。
主催者さんとのトーク
次回(11月11日)で「天保水滸伝」の連続読みは終わり、来年1月からは「祐天吉松」(全9話)(※)、その後は「清水次郎長外伝~大瀬半五郎」となる事が今日決まった。
主催者さんが「大瀬半五郎よりもっと面白いものを
と思うのですが・・・」と言いかけると太福さんが思わず「コラァ~」と突っ込んだ!ので主催者さんも「別の考え方もあるかなぁ」と言い直し、「太福さんは余り演りそうにない話で、寧ろ松之丞が演りそうな話で、そういう話もいいかなって・・・、でも客入がどうか不安」と主催者さんはあくまで後ろ向き(笑)。
(※)「祐天吉松」は元々講談の話。
なお、次回(11月11日)の演目は、第5話「蛇園村斬り込み」、第6話「平手造酒の最期」。「蛇園村斬り込み」は滅多に掛からない演目。但し、笹川繁蔵の子分雨傘の勘次(元は野州名垂〈なだれ〉の岩松と言う凶状持ち(※))を飯岡の助五郎が役人に捕縛させる件は含まれない、とか。
「平手造酒の最期」は「平手の駆けつけ」とも言う。因みに玉川福太郎師匠は「駆けつけ」で演じたが、玉川一門でも必ずしも統一されていない由。
(※)名垂の岩松は、助五郎の一の子分洲崎の政吉の養父政右衛門を身延山参詣の帰り道に小仏峠で襲ったと言う因縁がある。
鹿島の棒祭りのまくら
侠客伝は玉川一門のお家芸とも言えるものだが、広沢虎造(※)の「清水次郎長伝」が余りに有名になった為、玉川一門は主に「国定忠治」を演る様に棲み分けされた。
(※)(2代目)広沢虎造は、侠客物を得意としてきた神田派の名人(3代目)神田伯山に「清水次郎伝」の伝授を申込んだが聞き入れられなかった。そこで、交友関係のあった(伯山の弟子)廬山(*)に何とか頼み込み一門に内緒で教えてもらった。
(*)初代神田山陽、3代目神田伯治、5代目神田伯龍と共に3代目神田伯山門下の四天王と言われた人。
浪曲の侠客伝には、リズミカルで陽気な関西節(→究極は河内音頭)とマイナーな三下がりの調べで哀愁漂う関東節があり、最近は関西に靡く浪花節語りも多いが、啖呵を切るのに相応しい関東節を頑なに守ると言うのが師匠福太郎の教え、との事。
天保水滸伝の笹川繁蔵、飯岡助五郎は清水次郎長や国定忠治程メジャーではないが、子母澤寛の「遊侠奇談」の最初に出てくる。
「天保水滸伝」は元々講談で、宝井琴凌、5代目伊東陵潮の共作と言われる。近年では正岡容(いるる)が脚色し、2代目玉川勝太郎が語った浪花節で有名。
鹿島の棒祭り(本編)
【これまで聴いた話との相違点など】
- 鹿島の犬婆の犬でさえ飼い主を芸で養って恩を忘れないのに、自分は師匠(千葉周作)に不義理をしていると平手造酒がほろりとする件。
- 「平手と聞いて3人は思わずぶるぶると身震いした」の次から始まる「〽剣を取っては類いなき、しかも北辰一刀流・・・兼ねて笹川繁蔵を憎む飯岡親分のご機嫌取りにもなるだろう」までの弾む様な名調子が心地よい。
- 飯岡助五郎の用心棒3人に切り掛る時、平手造酒は既に一升五合飲んでいたにも拘らず相手を睨みながら升酒を更に一升飲み干した件。
笹川の花会のまくら
「平手造酒の最期」の後に
助五郎、岩井不動で闇討ちにあう
繁蔵・富五郎の召し捕り状
繁蔵、助五郎宅を襲う
飯岡勢、笹川へ
飯岡方の惨敗、深喜の死
繁蔵の放浪、助五郎の入牢
笹川に戻った繁蔵、闇討ちにあい命を落とす勢力富五郎の復讐(嘉永水滸伝)
と言うストーリーがあり、更に勢力富五郎は幕吏に追われ50日間以上の逃走の末に自害する(勢力の鉄砲腹)のだが、この間民衆が犠牲を払ってでも富五郎を匿ったとされる。この様に侠客はヤクザと違い民衆に愛された。
笹川の花会(本編)
ご存知「〽利根の川
風袂に入れてぇ~」で始まる話が最も盛り上がる所。
この花会の目的のひとつは、天保8年の大飢饉に苦しむ民衆を救う事にあった。
【これまで聴いた話との相違点など】
佐吉が二階の広間に上がると、そこに居たのは綺羅星の如き親分衆で、日頃から尊敬し伯父貴と慕う松石の半次(?不明)、〇〇徳右衛門(?不明)らですら末席に居る。これに怖気を為して何処に座ろうか迷っていた佐吉に声をかけたのが伯父貴の松石の半次(?不明)だった。
これまで見聞きした物では大前田英五郎が声をかける事が多かった。
そして、佐吉の挨拶に初めに応えたのは丸屋の忠吉(?不明)。そして伊達の信夫の常吉(「ボロ忠売り出」にも登場)、信州相之川の政五郎(?不明)、上州館林〇〇虎五郎(不明?)が次々に政吉に懇ろに声を掛けた。
しかし上座から6番目の男は、夏なのに半纏を着て眼肉落ち、頬骨高く、顔の色が悪い無精髭を生やした男が鐚銭で髭を抜き、それで富士山の絵を描いており、政吉の挨拶に少しも反応しない。これこそ誰あろう上州は赤城山の国定忠治だった。
見兼ねた大前田英五郎が「親に罪は有っても、子に罪はねえ」と取り持つ。ここでやっと大前田英五郎が登場する。
忠治は伊勢の丹波屋、伊豆の大場(?不明)ら参列する親分衆の名を引合いに出して飯岡助五郎が来ないのを詰る。
さて、その後包んできた義理の金(祝儀)の金額を書いた紙を張り出した。大前田を始めとする各親分衆の持って来た額は「金百両、子分一同金五十両」。忠治から「銭の使い方を知らねえ野郎、死ぬ時はそっくり持って行け」とまで言われた親分飯岡助五郎から預かった金が五両、それに自分で工面した二十両を渡した政吉は冷や汗をかく。ここで腹を決めた政吉は親分を詰った忠治を切って自分も腹を切ろうと決心する。
が、しかし、次の瞬間張り出された紙には「飯岡助五郎 金五十両、洲崎政吉・子分一同 金五十両」と書かれてあった。
これを見た忠治は政吉に自分の吐いた悪口雑言を詫びるも、政吉は笹川繁蔵の心遣いと漢気に心中で手を合わせながら、満座の中で親分を馬鹿にした忠治に飛び掛かる。
忠治はその心中を知り、「卑怯未練な飯岡に過ぎた男」とニッコリと笑ってこれをいなす。
忠治が非礼を政吉謝る段で、その謝り方が松之丞の講談よりもかなり丁寧かつ手厚い(※)。
(※)1959年の東映映画「血斗水滸伝 怒涛の対決」では、政吉の心中は理解するものの、花会を退席した忠治(片岡千恵蔵)がわざわざ飯岡助五郎(進藤英太郎)宅まで乗り込んで毒づいている。
また、その後に政吉が侠客としての矜恃とは言え忠治に殴り掛かると言う私にとっては新しい展開。
ヤクザ送料無料など
9月8日(土)丙巳・九紫
9月9日(日)甲辰・重陽の節句・八白・赤口・あやぶ・虚・月が水星の北00°56′を通る
占いの現場の前で、
この人は、ある私の見立てから、誕生日を当てられる率が高そうだと思い、
「誕生日を当ててみましょうか?」
「そうなんですか、言ってみてください」
「2月1日に近いでしょう、おそらくは」
「近い!1月後半生まれです」
「当たりましたか」「誕生日を当てる占い師というのは、すごいですね」
「いつも当てられるわけではないんですけど、あなたの場合は、当てられました。もちろん、たまたまかもしれません」
*色々なフォーメーションからの判断です=フォーメーション=私とある距離に近付いた人の言動などからの判断です。
その後で、あぁ、考えると、この方に石ノ森章太郎漫画について、少し話せばよかったと思いました。理由は、誕生日がほぼ同じゆえ。
調度、石ノ森章太郎生誕80周年で、特別番組が今年は多いですね、
24時間TVの自伝ドラマは見逃してしまいましたが、朝ドラでも、(ギャグ漫画を模索しつつその分野からのあきらめ感のある、私は迷作?という印象だった)「ドンキっ子」を取り上げて、今の2号店のきっかけになっていますし。
昨日の『100分de石ノ森章太郎』は、倍速視聴はしましたが、
7月末に、石ノ森作品が、世の中に与えた悪影響論を書いただけに、観ておこうと思いましたが、
ゲストがわからないと言われた点で持論があるので、
今日はそれについて触れてみましょう。
あぁ、ゲスト陣、よかったですが、呼ぶべき人が足りてないでしょう、
東映から一人(出来れば八手三郎氏の直系の方)
漫画について尋ねれば回答の早い岡田斗司夫さんや、(来ないでしょうが)庵野秀明監督など、気付かれていることを多々、口にされたような気がします。
時間と空間をうまく捉えている夏目視点との掛け合いで。
現代は、漫画論も多く、あえて書く必要のない、意味の無い石ノ森章太郎論だと思っていましたが、
『100分de石ノ森章太郎』が意外と面白かったことと、
自分が少し指摘できる枠が、語られていなかったので、
評論家の口にする領域と、そのことについて、作者の視点から考えていたことの部分で、どうしても、言葉に出来ない部分があるということでしょう。
例えば、ゲスト枠でも、石ノ森空間、その閉じた世界の中で、どうしても、論じてしまい、
時間軸、時代とのかかわり方について語られたのは、
特に夏目さんと、宇野さんだけでしたので、
この二人は必要で、でも、夏目さんでさえ、「幻魔大戦」が、完結しなかった理由がかわからないと言われて、
その理由は、謎のまま。名越さんのご友人の「月が相手だから」で一応、決着したようですが。その理由は、こうだと思うのです。
石ノ森章太郎という方は、新しい型を模索することを第一義としていて、その他の理由は、第二とする考えだったのではという作者の思考です。
実は、この視点から漫画の歴史をきちんと、解釈したものがなく、
皆、時々触れて、
また別の話題を論じる繰り返しが「漫画評論」の歴史なのですが、手塚治虫発案のデザインに対して
、当時、それを元に、新しい絵(特に顔と髪型)の型を考える歴史が続き、
その接戦の最初の勝利者が、石ノ森章太郎さんだったと分析できます。
ただ、手塚系統で、少しアメリカ風なタッチに洗練させたのが、009で、
髪型は模倣しつつアトムの黒髪に対し、茶髪にして、何としても独自性を出したかった葛藤。
で、やりすぎた髪型が002
子供の頃に気付いたことなのですが、そこで私が思い至ったのが、
あぁ、もう漫画は全て型になっているから、
あえて、自分が描く必要もないかもしれない?
そんな時に聞いたあるバンドの音と歌詞にカルチャーショックを受けたことで、その時に「漫画で色々な表現が出来ると思っていたけど、漫画では表現できないことがある」と察した、あるバンドの表現力でした。
その視点は、先ほどの、「幻魔大戦」(私には、あまりピンと来ない作品。まず009の二番煎じ的な作品ですし
キャラクターの絵も似すぎ)の未完の理由とも絡んできます。
何故なら、作者は、新しい表現を模索していた人だと思うからです。
音楽のセンスがなさすぎて、音楽技術の低いバンドの表現に影響を受けたことで、私は人生が狂ってしまいましたが、
漫画とかサブカル面は、そういう視点だけ、もしかすると、センスが高く、絵を描いてコツコツ、やろうとか、そういう風に向かわなかったのかもしれませんが(子供の頃は描いてましたが)、
ある(故人の)詩人の方と話した際、寺山修司との思い出を聞かせていただき、「寺山さんはコラージュの人、あれほど、いろいろなものを外から取り入れた人はいない」と言われましたが、
少し言い過ぎではと思ったので、「コラージュ詩人であるのかもしれませんが、言葉が高く高く積み重なって、それを吟味して、搾り出していると思うのですが。その積み上げていく一つ一つがコラージュで」と、今書いた半分のことまでは、意見として口にしました。
石ノ森章太郎さんも、そうだと思うのです。あらゆるデザインを取り入れて、
特に手塚スタイルを基点に、海外にまで広げて、色々な顔や、洋服、自動車デザインまで、
取り入れて、すべて作品にしていったために、
あれもこれも、中途半端に外観だけ取り入れて、
思いつきの連続で、コラージュをものすごいスピードで、漫画にしていった50-70年代初旬だったような気がします。
「佐武と市」にしても、白土漫画+座頭市でしょう、
デザインの型は。白土三平さんと藤子不二雄さんと石ノ森章太郎さんが、
手塚デザインからの三大継承者でありつつ、
変形後継にまで至ったと私には観えますが、
三名の特徴は、白土三平=絵柄は継承しつつ、
横山光輝風の時代劇も継承し、手塚風の髪型と顔でありつつ、特に目に鋭さと陰り、
雰囲気など、シリアス路線を開拓。
藤子不二雄=オバQ以前までは、
(手塚作風と)ほぼ同じ絵柄で、ドラえもんで独自の顔の型を獲得。
正統的な手塚治虫の後継者。特にF氏が。
石ノ森章太郎=髪型、顔は、最後まで手塚路線から脱却できず、
学生運動全盛期で、時代は、リアリティを求めて、
手塚漫画は衰退し、反体制的なヤクザ映画や白土三平漫画が流行する中、その葛藤で、暗いものと向き合いつつ、
アトムの路線からは抜け出せず、
仮面ライダーの顔の型で、手塚デザインから脱却。
新しい顔、仮面の型に到り、
しかし、漫画は、敵が来て、戦い、時々悩む(これが、石ノ森章漫画の特徴)
しかも、敵が来て、闘うというパターンは、009では、かなり工夫していたのに対し、ワンパターンにしてしまった。
イナズマン、ロボット刑事、アクマイザー3でも何でもすべて、同じパターンです。
デザイン(仮面)だけ違い、方法論は同じ。
なので、
ここで、以前書いたように、ドラマ(物語)と、漫画が、分裂したわけです。
さて、東映の要請で、デザインだけたくさん描いて、漫画にもう集中できないほど忙しい中で、
年齢もありますが、
私は、石ノ森章太郎さんは、こう考え始めたのだと思います。
009でブラックゴーストとの戦い(確か6巻?)で、敵との戦いの型、その表現の型が、限界となった。
ゆえに、その後、天使編を描いても、未完で終わり、
次々未完で終わった。
ゴレンジャーも確か、原作は未完だった記憶が?
そして、未完になる理由が、
先ほど触れた「幻魔大戦」の続きが描けない理由でもあると思うのです。
石ノ森章太郎さんの頭には、第一義が、新しい型を作ることと、私の想像に触れましたが、その新しい型しかも、幻魔という巨大な魔の敵との戦い方、その結末、ボスとの戦い、そして戦いの終わらせ方の型が、また009のようだと、また同じかと、読者の声を、想像したのではないでしょうか?
とにかく、新しい型にこだわり、戦隊のデザイン一つでも、どうしても新しい型にしたかった性分ではないですか?
常に新しい型を優先する強い性分。
まったく同じ日に生まれた松本零士さんは、それに対し、列車にしているので、やや新しい切り口で敵と、戦う型なので、
あぁ、松本さんが描いてなければ、平井さんと話して、列車で宇宙を進んでいく話しにすればよかった、
少しの工夫でも、新しい見せ方は出来るかもしれないと考えたと推察。
しかし、地球にいて、大地の上にいる設定だと、いつもと同じで味気ないもう同じ繰り返しの戦い方法その行き詰まり感で、
その後、次第に、ナチュラル路線に向かわれたのでしょう。
本来「ジュン」のような詩的な作品が、評価されるべきだったと思いますが、
あまりに格好よいデザインを仮面ライダーとキカイダーでやってしまったので、もう、その路線から後戻しできなくなりつつ。
ですから、新たな企画「グリングラス」でしたか、
あの作品で、緑の大切さ、自然と向き合うことを描きつつ、絵が、キカイダーや、仮面ライダー風なので、
結局、もう新しい型を築く仮面デザイナーとしても新しい型の模索にも限界を感じ、
宇野常寛さんが言われた「仮面ライダー1号のデザインほど、素晴らしく、格好のよいデザインはないと思う」との声は、
大衆の声の代表でしょう。
しかし、出来た背景は、仮面ライダー1号こそ、
手塚デザインを超える目標に対し、顔では限界なので、
仮面にして、マグマ大使とかよりも確実に洗練された、新しい顔の型を手にした瞬間でしょうから、
今のライダーは、その模倣だけなので、
一つ目の発案は難しくライダーも戦隊ものも、パターンだけ後継しているということでしょう。
ですから、それが時間軸時代論そういう背景があり、
石ノ森章太郎さんは、漫画を、デザインに近い漫画を描いてきたので、同じ方向を向いたライバルも多く、モチベーションが、上
向けたはずなので、
今だと、そうなりにくいでしょう、漫画が飽和状態で、
特に趣味で描けばいい感覚でもいいし、
商業系でも、多種多様で、独自性を一つでも獲得できれば、成功と呼べるはずです。
石ノ森章太郎さんを論じる際、その時代性と、モチベーションの理由時間軸それらを考えて論じると、
こうして、幾つか作者の考えていたことがわかるのではという趣旨で、書いてみました。
特に、今日書いたことで価値があることは、
スタジオで、「幻魔大戦」が、未完で終わったことが、わからないと、皆が口にしたことに対して、
一つの回答(新しい型、戦い方、ボスとの最終決戦など、そういう戦い方の新しい型を想像できず、009などと同じような終わらせ方しか思いつかず、挫折したという私の論)を
用意したことです。あの場面で、人物がこう思ったとか、枝葉ではなく、
石森スタイル、石森方法論の本質。
それは、新たな型を作ることが第一で、
(作者の心理→)また、髪型は、手塚に似てしまった、
では、次は、今流行しているフォークソング・スタイルを取り入れてみよう!ジーンズを履かせて、ギターを背負わせよう、ただのギターではなく白いギターだと、
サングラスは、この角度で。
そう考えて、おそらくキカイダーは、ギターを背負うジーパン・スタイルだったのでしょう。常に流行をいち早く取り入れ、スピードで、流行を取り入れ、すぐ新しいものを取り入れる。
闘うシーンでも、ウルトラマンが、十字で光線だから、手はやめて、足だ、キックにしょう、
ライダーのキックだから、ライダーキックだ。
おそらく、その後も携わっていたら、足は使いすぎたから、車椅子などにして、思念波とか、
パターンから外れたい人なのに、パターン継承のライダーと戦隊ものだけ残り、009や、ジュンなど、
漫画として当時では、
斬新だったはずのものが、忘れ去られているのは、やはり絵でしょう。
もう、あの絵柄が古いため。実は、一番、評価されるべき作品は「ギルガメッシュ」かなと思います。
おそらく、手塚サイドが「三つ目が通る」で、古代文明を描いたので、もっと考古学を深めたものを描こうと、シュメール伝説に挑戦。
しかし、あまりにも、専門的でマニアックな作品なので、受けなかったのではないですか?
自宅に大人一人が入れるミニ・ピラミッドを置いて、そこで瞑想されていたのも、新しい型の模索と歴史の謎解き
その人生は、発案と、宇宙文明の生存などを、本気で、探求したいという強い意志もあったのでしょう、
思い込みがないと、
あそこまで宇宙人や怪人を造詣できなさそうですし。
そして、そういう石ノ森章太郎論から、
前回書いた、さらに新しい視点である「ライダー、戦隊ものは、漫画と物語を分離し、子供に悪影響を与えた論」に繋がっていきます。
ですから、今のライダーや戦隊ものは、石ノ森章視点から視ると、新しいものはなく、型を破る作者の意図とは反対に至り、
そして、番組の作り手も、
たまたま維持できているので、終わらせる理由も見つけられないのでしょう。
東映が最初に、考えた今はスポーツ漫画が人気でもやがて衰退する。
そこで新しいものを企画しよう。
出来れば、大人気のタイガーマスクのようなものがいい。
そこで、石ノ森章太郎先生に、相談に行こう。
と、始まった仮面ライダーの企画。
ただ、そこで、何故、タイガーマスクのような魅力的なストーリーに、仮面ライダーは、ならなかったか、
それに触れる人がいないようなので、
あえて言いますが、
それは、タイガーマスクは、仮面が先ではなく、梶原一騎という、苦境から脱却していく、努力型人間を描く天才、しかも言葉のセンスが高い、美学の高い脚本家が、真剣に原作を書いていったからでしょう。
それに対し、脚本家のせいというより、敵が現れ、変身して、ライダーキックで、確実に終わらせる。
タイガーマスクのように、葛藤の時間も技のバリエーションも、技を習得するための命がけの模索もなく、孤児院に出入りする人間臭さのような面も、ライダーにはない、
まるで、敵と戦い、当たり前のように、ライダーキックで決めるという単純な図式にしたことで、
雰囲気や、デザイン・センス。当時、これほどオートバイを魅力的に描いた作品はないですし、格好良さが先行した作品で、
内容はうすっぺらいですよ、
(格好、雰囲気などは、仮面ライダーの方
が上ですが)
それならライダーの末裔のような位置だと思う作者の「グリーングラス」を読んでみてください、内容がありますから。まだ。
そして、梶原一騎さんも、きちんと、脚本の本質や、見せ方、人間の描き方が優れているので、梶原一騎が描けば、視聴者は、何故か、惹かれる、何か、いい方法論を持っているはずです。
少し、大藪春彦さんの系統のような気もしますが、
大藪春彦さんこそ、言葉の人で、言葉のクオリティが高く、
物語とは、まず、言葉ありき。
しかし、石ノ森章太郎さんが、それを完全に変えてしまったと私は分析します。そして、
その基点が、初代仮面ライダーの放送だったのだと。 言葉から考える物語を、仮面から考える物語へと。ドラえもんでさえ、毎回、敵が来て、ドラえもんキックで、敵を倒して、バイクでなくてもよいですが、
風を切って、これで一つ世界の平和が守れたという単純には、終わらせないので、実は、仮面ライダーとは、物語としては相当、単純な作品で、格好がよすぎて、真似をして、
人を叩けば、叩かれた方は、悪の化身だから、ライダーの真似事をしている自分が正義だと、思いこめるすり替え心理を学んでしまう、問題作なのですが、
格好いいデザインのオートバイに、(009と同じ)赤くて長いマフラーをなびかせ、
風を切る20世紀最高クラスの仮面デザインのヒーローが、突っ走るこの格好良さが、魔法をかけてくれ、東映と玩具メーカーと、バイク推進の恩恵を受けたバイクメーカーには救世主。 そういう風に考えられそうです。
文字オーバーで以下、いつもの情報欄はUPできず。
ヤクザマニアック一大特集♪
※BL妄想小説です
閲覧にご注意くださいね
さて、どこに逃げればいいだろう。
行き先を思案する。
自分には思い出の場所というのが
ほとんどない。
十七歳から月の雫でずっと働いて
いたこともあり、あまり旅行に
出かけたことがないので、すぐには
逃げ場所を思いつかない。
「思い出」と考えて一番に頭に
思い描かれる場所は、それはやはり
大野と半年間暮らしたあの家なの
だから―――。
「ただいま~…って、
わ、ビックリした。
そっかニノ、今日から
逃亡生活送るんだっけ。
道中気をつけてよ?」
「ふふっ。
何よそれ、逃亡犯みたい。
わかってる、気をつける。
誰に何を聞かれても
知らないフリ頼んだよ?」
「うん、任せとけって。
それよりニノ、大野さんなら
俺も必ず来るって信じてる。
いってらっしゃいっ!」
「いってきます」
夜の八時過ぎ。
帰宅した相葉くんに玄関で見送られ
ながら逃走とは、何とも可笑しな
逃亡犯だと自分で揶揄しながら
家を出た。
大野に捜させることが目的だから、
目立たない場所がいい。
人の多く集まる場所ということは、
それだけでヤクザである大野に
とって危険が伴う。
仕事の都合もあるだろうが、
それでも一週間あれば充分だろう。
小さなボストンバック一つを手に、
松本さんが友人から借りてきて
くれた車に乗り込み駐車場を出た。
カーナビはあえて使わず、
整い過ぎた街並みをどんどん
離れる。
あてもなく北に向かって車を走らせ
途中で立ち寄ったファミレスに
入った。
食べ終わったらこのまま北に向かって
走り、どこかホテルにでも泊まろう。
それからひなびた温泉旅館にでも
行って、大野が来るのを待てばいい。
煙草に火をつけ、紫煙の向こう側に
大野を映し出す。
相葉くんから順調に回復していると
話を聞いているとはいえ、無茶は
していないだろうか。
危険な目には遭っていないだろうか。
三月上旬。
夜はまだ寒くて、
吐く息は白くて、
空気も冷たくて、
痛いほどに肌を刺す。
―――どうか。
焦がれるほどに思い続けている。
大野に見つけ出してほしいと
願っている。
一人では生めない熱がほしい……。
ファミレスの駐車場から眺めた
夜空には、きらきらと無数の星が
花のように咲いて瞬いていた。
続く
作品保護と自身の保護のためアメンバー
管理を随時行っています。
お手数ですが、お話を読んだあとはその都度
「いいね!」を残していただけるようお願い
します。 span>
ご協力いただけないアメンバーさん、あまり
こちらに見えていないと私が感じたアメンバー
さんは、整理対象者となることをご了承ください。

ヤクザ 関連ツイート
福岡ヤクザ
こわい https://t.co/xK2GOheZRu
まってww気づいてへんかったんw
多分ちゃんゆりさんは気づいてたよ( ̄▽ ̄)
ディズニー行きてえわ🖕🏻
あの二人を思えば、ヒプマイのヤクザは安心して見ていられるかわいい枠な気がします(*´▽`*)