ヤクザ最強伝説

ヤクザ最強伝説

ヤクザ 一番うまい発泡酒をきめようじゃないか

極道していたら親分を警護せなあかん!ボディガードやな!

未だ、ヤクザがゴルフしても警察に逮捕されない時分はゴルフ場の警護は大変やった。

18ホール歩かないといけない。ましては真冬やクソ暑い頃に警護に当たったら最悪や!

原則汗拭きのタオル首に掛けるくらいで両手ではせいぜい持ってもペットボトル1本位やろ!

リュックサック背負って甘いお菓子、水筒や入れて警護しても何か間違いあった時すぐに動けない!

タダのハイキングヤクザになる。

身軽におらないといけない。

一番気を使うんはグリーン周りの警護やな!

わしらが不審者やねんけど他の不審者探す事に気を使うんや無しに親分らがパターでカップインした時の拍手で気を使うんやな!

カップインした時、グリーン周りにいるボディガード役は何も嬉しく無いけどパチパチせなあかん!

イーグル位やったらカラオケ歌い終わった奴に拍手する位にパチパチしていいけどな!

Wボギーでカラオケ終わった位早く拍手していたら「人小馬鹿にしてるのか」と、思われるからスコア―に合わせて適度に拍手せなあかん!

親分らはゴルフ握ってる(訳:賭けゴルフ)から必死やからな!

警備の人数はその親分の肩書きによって違うわな!

麻雀も運転手兼で付き添う事があるやろ。でも麻雀の場合は親分ら誰が役萬やツモのみで上がろうがパチパチしたらあかん。

昔、三代目山口組当時に抗争時、警察がいる前で相手に発砲して長期服役してきた大物組長が出所なされて

四代目竹中親分の墓参りに五代目渡辺親分と行く事になったんや。

竹中親分の墓がある姫路界隈の山口組々員が警護として人数解らない位墓地を囲っていたんや。

親分登場してもパチパチはこういう時はしたらあかん!

俺は当時大阪の組に所属していたから大阪から姫路に来て重要警護する役目で遠巻きに警護していたんやけど

あまりにも日差しがキツイ!

一緒に重要警備していた奴が

「気分悪い」

言い出した。聞くと次の日こんな行事があるのに明け方まで飲んでいたらしい。

しまい目にはオェーオェー言うて嘔吐き出してる。俺は

「もうちょっとで終わるから辛抱しーや!」

と、言う様な事しか言えん。倒れん限り早退も出来ない。

俺は段々、警護やなしに一緒にいた奴の付き人になっていた。

親分らの墓参りは30分程で終わった。

終わって二日酔いの奴家まで送って帰ったわ!

重要警護の場合は自然に

トイレに行く回数を減らすため自然にあまり水分を摂らなかったり前日から体調を整えていたな!

でも一緒にいた奴は話にならんな!

しょうもない記事ですいません!

ヤクザ最強化計画

※BL妄想小説

閲覧にご注意くださいね

あまりに突然だったので、眸に

映った光景を脳が理解するまでに

時間がかかる。

かかると言ってもほんの数秒のこと

だろうけれど、それでも一瞬ここが

どこなのか判らなくなったほどだ。

双眸を瞠らせ立ち尽くしていると、

男がこちらへと振り向く。

ゆっくりと部屋に入ってきた。

「もう少し長引かせても

よかったんだが」

大野が自身の左手首にはめた

腕時計を確認する。

「家を出てから十二時間か。

ずいぶん暇にしてるようだから

ここらでちょうどいいだろう」

「……はやっ」

思わず洩れた一言に、

大野はさらりと口にした。

「青竜会の若頭を

甘くみないことだ」

甘くみていたわけではない。

以前大野が言った『三万人と

鬼ごっこ』は、冗談ではないこと

くらい既に体験しているのだから。

「で? 答えは出たのか」

「あ……」

「そのために俺をこんな場所

まで来させたんだろう?

わざわざ自分の車じゃないのは、

あらかた松本の入れ知恵だな」

「あ、いや……。

ま、松本さんは別に…。

それより、どうしてここが?」

いきなり核心をつかれ、

惚けたふりをする。

「往診に来た相葉が一昨日から

そわそわと落ち着きがないから

すぐに勘づいてた」

「へ?」

「行き先は聞いていない。

俺に捜させることが目的ならば、

人の多い目立つ場所は必ず避ける

だろうと思った。

今回探し当てたのは俺一人だけだ。

わざわざ組を動かすほどじゃない」

「…………」

俺の考えなど、

全てお見通しのようだ。

そればかりではなく、

相葉くんの考えも、

松本さんの考えまでも。

「三人寄れば文殊の知恵」という

のに、大野一人にこうもあっさり

見つけられてしまっては、三万人と

鬼ごっこにもならない。

呆気にとられながらも じっと

見つめることしか出来ない俺に

大野は眉間に刻んだ皺を解き、

双眸を細めた。

―――ああ、この顔だ……。

きつい印象がある大野の、

そのきつさが僅かに緩む瞬間の

この表情が好きだった。

昔も。

いまはもっと。

眦が熱い……。

「……俺」

口火を切ったものの、続く言葉を

捜して一旦口を閉じる。

どう伝えようか。

こんなに早く来るとは思わなかった

から、まだ心の準備が出来ていない。

一度唇を 舐め、

意を決して再び口を開いた。

「……俺は、

あんたが一番怖い」

「怖い、か。 まぁ確かに

穏やかな商売とは言えない」

「……単にヤクザだから

どうこうじゃなくて」

上手く言葉に言い表せない。

十年間、縺れに縺れた一本の糸。

その縺れをようやく解いたばかりの

心情を相手に伝えるのは結構難しい。

「俺も最初は、あんたがヤクザ

だから怖いんだと思ってた。

だけどあんたがもし普通の

サラリーマンだったとしても、

俺はきっと同じことを思う」

きっと近い将来、若頭から組長に

昇格するであろう大野。

大野といると安らぎは得られない。

この先もずっと、何かにつけ不安に

なり、迷い、揺れるだろう。

自分の弱さを知るはめにもなる。

それが判っているから倦んでしまう

のだ。

「俺と……、

共に生きていけないか?」

けれど、まるでプロポーズのような

言葉に念を押されて、観念する。

鼓動が速まり、眦はさらに熱くなる。

うっかり気を抜くと涙が込み上げて

きそうな感情はそのままに、頭を

左右に振った。

心にはち切れそうに押し込まれた

ものが、口から零れる。

「俺は……、あんたを失う

ことが一番怖い。

もしあんたの身にまた何か

あったら……って、それを

考えるだけで震えるほど怖い。

だから、もっと、ちゃんと……

俺のこと全部、奪ってほしい。

―――もう二度とあんたから

逃げ出せないくらいに……

俺を一生、捕えててほしい」

行く先が、今度こそ間違いのない

幸せへと繋がっているとは限らない。

正解のルートなど、

俺には判らないけれど。

―――大野と共に生きていく。

これが、いまの俺の嘘偽りのない

気持ちだった。

これ以外、見つからなかった。

―――大野が好きだ、好きだ。

シンプルな感情に気づいて
まえば

音もなく降る雪みたいに、思いは

心に積もっていく。

どんな暗がりがその中に潜んで

いたとしても、大野が愛しい。

―――愛しくてたまらない。

「我儘だな」

大きくて、

指の長い手が伸びてくる。

俯いた顔を許さず、

顎をくっと持ち上げられた。

「……大野さん」

大野の深蒼の双眸とぶつかる。

その眸が少しずつ間近になり、

唇と唇が触れあう間際に大野は

言った。

「仕方がない。

一生かけて全て奪い尽くす」

続く

「お話ランキング」お待たせして

すみません。

何とかメッセージでいただいた

件数まではアメンバ募集前に

集計しましたあせる

作品保護と自身の保護のためアメンバー

管理を随時行っています。

お手数ですが、お話を読んだあとはその都度

「いいね!」を残していただけるようお願い

します。

ご協力いただけないアメンバーさん、あまり

こちらに見えていないと私が感じたアメンバー 

さんは、整理対象者となることをご了承ください。

ヤクザのことならなんでも情報局。お探しの人集まれー♪

こんにちは^^

現在、日本のドラマを珍しく2本視聴続行中。

さて、ホームドラマチャンネルさんで視聴していた

「アテンションラブ」原題:稍息立正我愛你 全30話

の視聴が終了しました。

この記事はネタバレしています。

未視聴の方はご了承の上お読みください。

また、写真はお借りしています。

台湾放送時は15話なんですよね、それを30話にしてるので、

変な場面で切ってあって、

ええっ?!ここで切る??  ∑(゚Д゚)

という驚きが多数回・・・。

でもやっとこさ、30話終了しました、長かった~。(^▽^;)

さっさと最後まで観てしまいたい欲求もあったのですが、

色々忙しかった為に時間がなく、最後まで放送で観ました。

最後まで観終わった感想は、一言で言うなら、

人を愛するのも、人から愛されるのも、勇気が必要なんだということを

ちょっぴり心が痛くなるエピソードを通じて語りかけてくるドラマでした。

と言ってもですね、オープニングはドン引きだったんですよ。

何と言っても主人公:鍾少曦と喧嘩相手の3人組が、

30年前の「不良少女と呼ばれて」から抜け出てきたような、

いやさすがにちょっと古すぎますか・・・、(;^_^A

今では漫画にも登場しないような、コントのような喧嘩シーン。

元々少曦役の曾之喬 ジョアンヌ・ツォン嬢が苦手な女優さんだったのもあって、

視聴意欲が続けば観よう、ていう感じの日和見視聴から始まりました。

調べたところ、主人公達4人の名前は、

少曦 Shǎo xī=稍息 Shāo xí=休め!

力正 Lì zhèng=立正 Lì zhèng=気をつけ!

 

晉禮 Jìn lǐ=敬禮 jìng lǐ=敬礼!

曉喬 Xiǎo qiáo=解散 Jiěsàn=解散!

という意味で、言葉遊びの洒落た感じが楽しいです。

ただ、曉喬は発音が違うので、なぜ解散になるのかは

ワタクシにはわかりませんでした。

休め!が少曦で、気をつけ!が力正、二人の性格にも合ってますね。

原題を直訳すると、

「休め!気をつけ!愛してる。」

なんだかとても楽しくてリズム感があります。

さて、ドラマの内容なんですが、

生まれる前に名付け親の曽曽曽祖父が108歳のお誕生日の願いとして

「稍息!力正!在一起!」

と言い残して亡くなったのが原因で婚約者と決められた少曦と力正。

少曦のパパ鍾潤發(周潤發チョウ・ユンファと一字違い!爆  笑)は、

そのルックスからヤクザに間違われる強面で、婚約者のいる少曦に

他の男の子と遊ぶのを禁じ、あらゆる武道を習わせ、

日々少曦の行動に目を光らせる頭痛のタネ。

少曦のママ周楚紅(香港のチェリー・チェンと同姓同名!笑い泣き)は、

若くして少曦を産んだ為、まだ少女のような人、派手なルックスと

旦那様ラブのオーラで、ヤクザの愛人と思われていて、

これまた少曦の悩みのタネ。

人知れず苦悩の日々を送る少曦のところに婚約者である顔力正が

同居することになります。

力正は子供の頃に事故で両親を亡くし、日本で働く叔父に

引き取られていましたが、高校生となり台湾に戻ってきたのでした。

鐘哥と呼ばれるほど面倒見のいい少曦だけれど、力正は人を寄せ付けず、

ハンサムな外見とクールな態度で、少曦の新たな悩みのタネとなっていく・・・

というオープニングです。

序盤の少曦は友達も少なく、学校中から遠巻きにされていて、

ある種の開き直りが感じられる少女です。

特殊な状況にいますが、両親から溢れるように愛を注がれ、

自分の存在意義にも価値観にも何の疑問も持っていない真っ直ぐさで、

やや押し付けがましい情を友人や力正に注いでいます。

力正は序盤はあまり感情を出しません。

少曦や少曦の両親の親切にも、むしろ拒絶に近い反応を示したりしていて、

彼の心には何かあるな、と思わせられました。

直箸を嫌がるのも、日本にいたからという理由だけでは無いという感じでした。

北風と太陽のように、鐘夫妻の溢れる愛情や少曦の押し付けがましいけれど

純粋な好意に、警戒の壁を低くしていく力正。

ようやく力正が壁に穴を開けて少曦を見るようになった頃には、

少曦はすでに力正を好きになっていました。

初めて抱いた恋心のおかげで、力正に近づくことに畏れを抱き、

一緒に過ごす楽しさを知り、自分の弱さを知った少曦。

そして力正も、少曦に直接表現こそしませんでしたが、

自分の知らなかった感情に振り回され、

初めての経験に、色々誤解を生む言動をしてしまい、

けれど少曦から離れることが出来ずに苦しみます。

どうして力正がトラウマを抱えているのか、

自分の内面は空っぽだと考えているのか、

さらに自分は少曦にふさわしくないと思い込んでいるのかは、

色々なエピソードで語られているのですが、

ようやく勇気を振り絞ろうと決心した時には、鐘パパに気持ちを気づかれ、

大学に合格するまで待って欲しいとストップをかけられてしまいました。

この辺の力正役プリンス・チウの演技は、ワタクシ的には頑張ったなぁ~

って思ってます。(^∇^)陰湿さがgoodjob!Σ\( ̄ー ̄;)なんで上から目線

最初は単に無表情な男前だったのが、特に大毛を退学に追い込んだ

歩道橋の上でのキレた表情は、とても良かった。

何も知らない少曦、何も語らない力正。

大学生になって、ようやく力正も少曦に気持ちを伝えられるようになりますが、

今度は恋のライバル達の登場で、なかなか上手く事が運びません。

高校の頃と大して変わらない陰湿なイジメまで行われますが、

高校の頃と違って、力正が影になり日向になり少曦の力になってくれます。

そして、ようやく二人が気持ちを通じ合えるようになりますが、

そこにはライバルだった晋禮の尽力があったのでした。

この晋禮のキャラも良かったですね。(-^□^-)

チャラ男として登場した後、少曦に投げ飛ばされて恋に落ち、

少しづつ愛に誠実になっていき、目つきも真剣味に溢れるようになり、

最後は少曦の為に身を引く形で少曦の幸せと願う。

お世辞にも演技が上手いとは言えないですが、明るくて清潔感があって、

とても好感が持てました、王以綸君。

1996年生まれなのでまだ22歳なんですね~。

実年齢では少曦より8歳も年下になります。ヽ(*’0’*)ツ

女優さんって大変ですね。あせる

何も語らない力正でしたが、少曦と恋人同士になれたことや、

お酒の力で気が緩み、胸の内を洗いざらい少曦に明かしてしまうラスト、

何だかちょっと説明的な気もしないではないですが、

力正の言動を思い返すと、そうだったのね・・・えーん

と胸にジーンと来るものがありました。

正義感の強い開き直った少女は包容力のある女性に成長し、

孤独に苛まれた頑なな少年は愛に誠実な男性に成長して、

物語は幕を閉じました。

台湾らしい、ドーンと愛に前向きなドラマ。

多少の幼稚さや冷や汗流れそうなエピソードはご愛嬌として、

心に傷があったりトラウマを知っている人なら涙が流れるエピソードもあり、

ワタクシのような年代でも楽しめます。

救いようがない馬鹿女も登場しませんから、素直に主人公達に共感して、

楽しんで視聴できました。(-^□^-)

ヤクザは今月もトップ10ランキング入り、他店にはない商品を扱うレアもの専門店です

広島抗争(ひろしまこうそう)は、1950年頃から1972年にかけて広島で起こった暴力団の抗争の総称。警察庁による名称は広島けん銃抗争事件。狭義には映画『仁義なき戦い』のモデルとなった第一次広島抗争(1950年頃)、第二次広島抗争(1963年4月17日 – 1967年8月25日。広島代理戦争とも呼ばれる)を示すことがある。
広島抗争と呼ばれるものには第一次、第二次の他にも第三次広島抗争(1970年11月 – 1972年5月)が広く知られるが、新井組粛清、血の粛清と呼ばれる青木組粛清の内部抗争を含めて5次と数える向きもある。
第一次広島抗争は広島市の抗争と呉市の抗争に分かれる。
本来は別々の抗争であるが、発生時期が共に戦後間もなく争いが萌芽し、呉で勝利した山村組が広島で勝利した岡組を吸収する形でその後の第二広島次抗争へと突入していくこととなるので第一次広島抗争としてひとまとめに語られる事が多い。
呉の抗争は、博徒・土岡組と山村組の抗争である。呉の覇権を狙って新興の山村組が土岡組に挑んでいった。呉の顔役・海生逸一の思惑や小原組の動きも無視できず、山村組の内紛もあり、複雑さを増している。
広島の抗争は戦後の広島市の博徒・岡敏夫(岡組組長)の勢力拡大に伴い的屋・村上組との地域覇権争い。
終戦直後に広島で岡組が勢力を伸ばす過程で、1950年に岡組舎弟・打越信夫(打越組組長)が、対立する葛原一二三を東広島で射殺し岡組内で勢力を伸ばす結果となった。
戦後の混乱期を経て、広島の勢力図は広島市では岡の勢力が拡大し、その中でも舎弟・打越、若衆・網野光三郎、服部武などの勢力が台頭した。また呉市では、山村辰雄(山村組組長)の勢力が拡大し、若頭・佐々木哲彦、若衆・美能幸三らが台頭していた。
岡組の実力者である打越は1950年から1952年頃にかけて、岡組(広島市)内の網野、服部だけでなく、山村組の若頭・佐々木、美能ら有力者と個々に兄弟盃を交わし縁戚関係を拡大していった。 この打越の縁組は、後に、いわゆる「仁義なき戦い」へと導く一つの要因となった。
1960年頃から岡敏夫の健康問題から跡目問題が噂される。 最有力候補は打越信夫だが、三羽烏と言われた網野光三郎、服部武、原田昭三や、義弟・永田重義も実力は伯仲していた。
そのような折の1961年5月、美空ひばりの広島公演のため三代目山口組の組長・田岡一雄と若衆・山本健一(山健組組長)が広島を訪れていた。 実力者の後ろ盾を得て岡組の後継争いを有利に進めようとした打越は、山本と美能幸三の仲介により山口組舎弟・安原政雄(安原会会長)と兄弟盃を交わすことに成功した。
広島外部の勢力の進出を快く思わなかった岡はこの盃を嫌い、1962年5月に跡目を呉の山村辰雄に指名した(岡にとって山村は兄貴分にあたり、跡目を格上に譲るのは異例と言えた)。かくして山村率いる山村組は呉から広島に進出し岡組組員百六十人を加えて、総勢二百二十人の大組織となり山陽最大の勢力を持つようになった。
当然この事態は打越側に衝撃を与えた、同年6月には打越の舎弟で山口県宇部市の岩本組組長・岩本政治と山村組幹部樋上実の兄弟分で山口県徳山市の浜部組組長・浜部一郎との間で抗争が起き、その手打ち仲裁の不手際のため打越は窮地に追い込まれる。さらに、義理事で九州を訪れていた美能らは打越が刺客(岩本組)を差し向けたとの噂を耳にする。打越はこれを否定するが、ついには指を詰めさせられ、美能幸三、網野光三郎、原田昭三らとの兄弟盃も解消させられた。 打越はそうした窮状を再三に渡り山口組本家に訴え支援を要請した。
当時は山口組側にも思惑があった。1960年に入り山口組は積極的に中国地方に進出を図り、山陰においては1961年に本多会の松山芳太郎を殺害し、鳥取に進出。翌年には その鳥取に進出していた直参の小西音松率いる小西一家が地元勢力と抗争を起こし山陰進出を着々と進めていた。山陽においては山口組若頭・地道行雄(地道組組長)が岡山・三宅芳一率いる現金屋の内紛に介入して熊本親(後の熊本組組長、四代目山口組舎弟)を支援し岡山を支配下に組み入れるべく展開中だった。
このように中国地方全域を攻略することを目的として活動していた山口組にとって山陽の重要拠点広島は避けて通れない場所だった。
そこで支援を必要としていた打越と思惑が一致した。再三神戸に足を運び、ついに打越は、1962年9月に田岡の61番目の舎弟となり、打越組が山口組の配下に入り、「三代目山口組広島支部打越会」と改称することになった。打越が山口組の舎弟となったことに対抗するため山村は、神戸の本多会会長・本多仁介と兄弟盃を1963年2月に交わした。
この時点で打越会と山村組の広島を巡る地域対立は、山口組と本多会という大組織の代理戦争の様相を呈するようになった。山口組は以後、打越会を通じて抗争に本格的に介入するようになった。
まず、山村辰雄と懇意にしているということで、打越会若頭の山口英弘(山口(英)組組長)を絶縁とする一方、安原政雄・松本一美が美能ら暗殺の噂の真相究明に乗り出した。打越側にそんな動きが無かった(岩本は打越から縁を切られていた)事などから、現山村組幹部で元岡組の網野光三郎、服部武、原田昭三らと打越信夫との兄弟縁を復縁させた(山村組勢力の取崩しを図った)。山村組内では、呉の顔役である海生逸一が画策した小原光男・美能幸三・山本健一の兄弟盃を不服とし、美能幸三を破門とした。美能は以前から何度も煮え湯を飲まされていた山村との対決姿勢を鮮明にした。
このように広島の勢力図が打越会・美能組・西友会の山口組派と反山口組の山村組派とに分かれる中、1963年4月17日に美能組幹部の亀井貢が山村組系組員に射殺され戦いの火蓋が切られた。
亀井貢の密葬後、美能幸三は山本健一と兄弟盃を交わし報復の体制を整えた。その報復を待たずしてさらに追い討ちを掛けるように1963年5月26日には打越会を絶縁された山口英弘の若衆が打越会の組員を殴打する事件が起きた(当時、山口(英)組の縄張りと打越会の縄張りがかぶっていて小競り合いが続いていた)。直後に打越会の報復に先駆けて山口(英)組側が打越会の賭場を急襲、路上で銃撃戦となり抗争が一気に激化した。
打越側の報復は、打越信夫が抗争を嫌い雲隠れした事などから上手く組織が機能せず、当初打越側は一方的にやられっぱなしの状況となった。業を煮やして打越を見限った山口組若頭・地道行雄は美能に亀井の組葬を指示し、葬儀名目で1340人の山口組系組員を広島へ大動員し、山口組の力を見せつけた。しかし広島県警が機動隊など大量動員を掛けて抗争の一方の首謀者である美能を
7月5日に逮捕した。美能を逮捕された山口組は報復を出来ずに帰らざるを得なかった。1963年9月可部温泉「松福荘」で射殺された打越会系西友会会長・岡友秋の葬儀の席上で「これはあくまで美能組と山村組との親子喧嘩じゃけん」と、報復に消極的な打越に対して山本は激怒し、「よう喧嘩も出来んで、なにが山口組の舎弟じゃ!笑わせるな!自分の喧嘩を買いもせんで人様がなに応援してくれる!そないに喧嘩したないんやったらわれはもう引っ込んどれ! ボケナスのタクシー野郎!」(打越はタクシー会社を経営していた)と面罵し、山口組と広島のパイプを美能組にシフトした。
それでも一向に動こうとしない打越会に業を煮やした西友会は1963年9月19日山村組本拠・キャバレー「パレス」爆破、続いて山村組幹部・原田昭三宅をダイナマイトで爆破、さらに山村組との市街戦を展開するなど攻勢に出た。山村組の服部武は混迷する事態の中、周囲の声に押されて命懸けの特攻隊を組織し、山口組本部の便所をピース缶爆弾で爆破させた(玄関のガラスも割れたが、一階には人がおらずけが人は出なかった)。名乗りは上げなかったがピース缶が広島で使われていた事もあり直後から山村組の仕業と思われていた。山村組側は打越会・山口組勢力に対抗するため山村組を発展的に解消し、1964年5月に政治結社共政会(初代会長・山村辰雄)を結成して組織固めを行った。
1963年9月、堪り兼ねた広島県警察は山村辰雄、打越信夫を逮捕した。1965年6月9日、山村は引退を声明し、県警で長年のヤクザ生活から足を洗うと述べた。同年10月には二代目会長に服部武が就任。理事長には八月に出所した山田久が就いた。打越会との手打ちが成立するのは二年後の1967年8月25日である。海生逸一の斡旋によるもので、翌26日、打越信夫は弁護士と伴に広島西警察署を訪れ、打越会を解散し堅気になることを誓った。
こうして死者9人、負傷者13人、被逮捕者168人を出し、中国地方最大の抗争となった広島抗争は終結した。山口組は実害が無かった(被害は全て打越会に出た)ものの、結果的に広島進出に失敗し、進出の機会が当分閉ざされることとなった。
第三次抗争は山村組が中心となって旗揚げした連合組織である政治結社「共政会」の内紛が発端である。
初代会長・山村辰雄が昭和40年6月に引退、11月に出所して来た理事長・服部武が二代目を襲名する。服部二代目体制に反発したのが幹事長の山口英弘で、彼は引退を表明する。山口(英)組は同会を脱退し、十一会と名称を改めた。
服部は理事長に子飼いの山田久を任命、副会長に旧岡組の原田昭三を加え、「旧岡組・山村組」派閥の発言権を強めた。これに反発したのが、かつて岡組と敵対した同会顧問の村上正明だった。
三代目を視野に入れた山田が連合組織から会長を頂点に一本化へと組織改革を推し進めようとするが、村上は小原組幹部・宮岡輝雄と連携するのである。
そして、昭和44年10月 村上組組員が山田との談判中に突如発砲。山田の配下が報復として宮岡輝雄を射殺する。宮岡組は親分が殺されたのは村上のせいであるとして、村上組との共闘を解消、その後村上組幹部が山田を支援したため、村上正明は失墜する。
昭和45年9月 美能幸三が出所する。同年6月に樋上組組長・樋上実が美能組組員に路上で射殺されていたため、彼の出所は新たな火種になると思われたが、兄弟分・波谷守之の懸命な説得により美能は引退を決意した。二代目美能組組長、さらに三代目小原組が共政会入りし、脱退していた十一会会長・竹野博士が山田から盃をもらう。こうして三代目山田体制は既定路線となって行った。
これに反対する十一会副会長・梶山慧は、共政会三代目襲名式6日前の昭和44年11月18日、大阪へ挨拶回り出向いていた山田久一行の乗った乗用車を、梶山派が襲撃した。山田は胸部に重傷を負った、襲名式は無理と思われたが、医師立会いのもとで式を強行し三代目の座に就いた[7]。
山田久襲撃に使われた車が尾道・侠道会のものだった事から侠道会の関与が疑われた。侠道会はこれを否定したが、会長・森田幸吉は梶山の親分の山口英弘と兄弟分であり、その義理から梶山一派を支援した。一方、山田久三代目の後見人を務めていた笠岡の浅野眞一組長は三代目共政会を支援する。
こうして、共政会内紛に端を発した抗争は[共政会・浅野組]VS[十一会梶山一派・侠道会]となって山陽道を揺るがすことになる。泥沼化し、終わりなき抗争とも思われたが、ここでも波谷守之が動き、森田の叔父貴分にあたる清水春日と説得にあたって、昭和45年5月に和解を見た。
^ 山村組組長・山村辰雄が金の力で大西政寛を懐柔し、美能幸三を刺客として土岡組組長・土岡博殺害を計画。美能の銃弾は土岡を捉えたが致命傷に至らずに失敗する。海生祐逸一の思惑で山村組と小原組が連合し、土岡組への攻撃を続けたのち、昭和27年6月に山村組若頭・佐々木哲彦配下の者が土岡を殺害。土岡組は間もなく崩壊するが、昭和29年9月に旧土岡組組員が小原馨を散髪屋にて射殺する。さらに山村組内紛や小原組跡目問題により山村組若頭・佐々木哲彦が小原組門広一派に殺害される昭和34年10月まで続くこととなる。
^ 岡組は戦後の新興団体であり、客のアゲサゲの修行を積み業界の信用を得た上で「カッチリとテラ銭が上がってくる賭場」を経営する金筋のヤクザではなく、闇市に割拠した三国人と手を組んだ被差別部落出身者を中核とする団体である。地方都市の需要に応じて何でもやるのが商売であり、ここから闇市での利権を巡り的屋の村上組と闘争することとなる。昭和21年11月に村上組実子・村上正明が岡組事務所に乗り込んで岡敏夫組長に向かって発砲した事件によって火の手が上がった。その報復で岡組幹部・網野光三郎と原田昭三が村上組組員を殺害。闇市で正明から壮絶なリンチを受けた山上光治が村上組組員3人を射殺するなど、終始岡組優勢で進み、昭和28年に村上三次・正明親子が逮捕されて、翌29年村上組組員がパチンコ店で撃たれ重傷を負った事で抗争にピリオドが打たれた。撃ったのは山田久(のちの共政会三代目)ら二人だった。岡組は勢力を拡大させて広島一の組織となる
^ 陸軍除隊後、日本機械化義勇団に入団。装甲車やトラックの運転を身に付ける。戦後広島へ戻るとトラック2台を振り出しに運送業を始め、闇物資運搬を主なシノギとした。ほどなく博徒・岡敏夫の舎弟になる。昭和29年実兄のタクシー経営を継いで市中央部の紙屋町に進出する。当初は保有台数3台であったが、同業3社を次々に買収し、昭和34年頃には市内第3位・保有台数32台を誇る会社に成長した。この頃になると組員も八十名を数える規模となり、岡組
弟の中では一頭地を抜く存在となり、資金面でも岡組を支えていた。
^ このような意見が、「仁義なき戦い」以降形成されているが、基本的に中国ではなく関西圏、近畿圏を対象としていた山口組が、小領主が割拠している狭く小さい中国筋を力で押していく方針であったかどうかは疑問があり、現在でもなお「神戸から広島に進出したのではなく尾道筋まで勢力圏を伸ばしていた合田一家への対抗策であった」とする声もある。この背景には同一家の総長・合田幸一が山陽道の親分衆から畏敬された存在である点、中国・四国の組のほとんどはその内部に多くの派閥(背景には被差別部落の問題があるとされる)を抱えていたため統制をとるのが困難だった点、が指摘される。
^ 昭和38年3月1日付けで打越は突然、山口を絶縁した。山口英弘に裏切り行為があったという理由である。山口は三十人もの子分を引き連れて一派を形成した。山口の兄弟分に、後の尾道侠導会会長・森田幸吉がいる。森田は絶縁理由に不信を抱き打越の所へ質しに行った。「自分のところではどうにもならん」と打越は、神戸山口組の意向であることを伝えた。森田は山口の窮状を助けたかった。つてを頼って三代目山口組若頭・地道行雄に面会を求めた。地道に会った森田は具体的な事実をあげて山口英弘の裏切りというのは事実ではないと説明した。森田の説明に偽りがあれば無事では帰れない、命がけの掛け合いであった。地道は森田の義侠心に感心し、「三か月ほど時間をくれ」と絶縁問題解決を約束した。
^ 昭和42年7月 打越は詐欺罪で逮捕される。従業員用共同住宅を建てるという名目で年金福祉事業団から受けた融資4000万円を、自室や応接室、車庫の増築に流用したという容疑である。これをきっかけに国税庁が動き、さらに陸運局が特別監査を行い、十五項目に及ぶ規則違反を指摘、警察と連動して「ヤクザと取るか、事業を取るか」と迫ったのである。打越には事業を捨ててまでヤクザを続ける性根はもちろん無かった。翌8月19日に神戸・田岡邸を訪れ組の解散の了解を求め、承諾された。
^ 大阪市西成区に本拠を置く二代目松田組組長・樫忠義に挨拶に行った帰り道に事件は起こる。白昼、踏切で電車の通過待ちをしていた浅野眞一組長運転の白いベンツに梶山一派が襲いかかった。後部座席中央に山田久が座り左右に副会長の原田昭三・竹野博士が座っていた。合計8発発射された45口径の銃弾は原田昭三をその場で射殺、山田久の胸部を貫通した。山田は胸部を包帯で固めて襲名披露に臨んだ。
^ 昭和48年8月浅野組組員が侠道会理事長を射殺、翌9月には侠道会が尾道で公判傍聴へ向かう浅野組組員31人を待ち伏せて銃を乱射、4人に重軽傷を負わせている。
^ 竹野博士は前の親分・山口英弘と現在の親分である山田久の間に挟まれ心労が続いていた。「御大が乗り出して、何とか収めてつかあさい」と波谷に頼んだ。ある日清水春日が「森田と兄弟になってくれんか」と言い出した。波谷は「山田を敵に回す事は出来ません」と断った。「そんなら三人が兄弟になれんか」と清水が言う、その言葉がヒントになった。波谷はまず、下関の合田幸一に力添えを頼み、広島刑務所に山田を訪ねた、山田も容易には承知しなかったが波谷の熱意に押され「わしは撃たれた方じゃが、尾道の森田さんには恨みは無いけん。和議のことは波谷さんに任せます。しかし、笠岡(浅野組)の顔は立てて貰いたい」と山田は度量の太い所を見せた。波谷は広島県警本部を訪れ「広島、尾道の喧嘩を和解させますけん。話が煮詰まって来たら山田を期限付きで保釈させて貰えませんか」と頼みに行っている。それから波谷と清水は尾道を訪れた。森田幸吉は清水の顔を立てて合いには来てくれたが、和解話には取り付く島が無かった。波谷は森田の心が融けるのを辛抱強く待った。その間、浅野眞一のところへは、松田組の樫忠義に行ってもらったり、東奔西走している。森田と波谷が四度目の面会の時「波谷さん、何度も足を運ばせてすみませんのう」「いや、わしのほうはどうということはありません。山田の期限保釈の内に、纏まるものならそうしてもらいたいと真剣に思いよるんです」「わしの方は、死ぬ気でやりよりましたきに、手打ちなど思いもしませんでしたが、ここで清水の叔父貴や波谷さんの熱意に応えにゃ、尾道の街も目茶滅茶になるじゃろうと考えるようになりました。尾道を平和な町にしたいいうんは、先代高橋親分の気持ちですろう」森田はそう言った。「ただ、平和会(大日本平和会)の平田勝市さんが最初に和解の話をもって来られ、断った経緯があるきに手打ちのことは平田さんの顔が立つようにしてもらいたい」「わかりました。私は表に出なくて結構です。広島のやくざが平穏に過ごしてくれるようになるのが願いですけん」と波谷は森田の手を握った。会場の警備には大日本平和会の組員が当たり、有馬温泉の『月光荘』で手打ちの儀式は古式に従って滞りなく行われた。

$暴力団追放マニュアル-反社会的勢力

暴力団とは、組織された構成員達が暴力、脅迫、強要、強盗、テロ、詐欺などの不当、不法行為を用いて、他人の金品、財産を奪ったり、利益の供与を強いるなど、私的(組織的)な目的を達成しようと、日本を中心に活動する“反社会的で犯罪を助長する集団”として、各地方公安委員会に暴力団と指定された団体である。

※極道用語の基礎知識

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ヤクザをおうちまでお届け

※今回、どうしても画像がぼやけるので一部について調整しましたが、やや失敗。シャープネスのバランスが難しく、逆に見づらくなってしまいました(O_O)

前回、いざ始発で帰還するはずのチャンでしたが、おじさんの有難迷惑もありまさかの大寝坊。

既に日は落ち、このままでは6億円を預けたコインロッカーの解錠に間に合いません。

絶望し阿鼻叫喚するチャンでしたが、思い切り感情を出し切ったことですぐに回復。
落ち着きを取り戻すと、必然的にあることに気づきました。
そう・・・ロッカーの解錠が明日だとしても、それが早朝とは限りません。

朝一には間に合わずとも、まずまず陽の高い時間帯であれば解錠前の可能性はありますね。

そしておじさんの記憶では、最寄り駅の終電は21:40。
それなら約2時間で広島には到着しますから、翌日6:03の始発の新幹線に乗れば午前10時には東京。
正午にはコインロッカーのある駅に辿り着けます。
今は20:10を過ぎた所ですから、車を飛ばせば間に合いますね・・・!
そうだね、最早それしか手段は無さそう。
ここは何とか無理を通して、ナビゲートを兼ねて同乗していただくしかありません。
前回コメントのpppさんの予想が的中した形となりましたね。
おじさんには面倒を掛けるお礼として、とにかく金に糸目は付けずに駅付近で豪遊してもらうことになりました。
すると、気を良くしたおじさんは最寄り駅の2つ先に泊まりたかった施設があるらしく、食事のためにも2泊したいとのこと。
あぁ、そういう宿泊所ねw
まあ6億円のために数万を惜しむのは愚かですし、この際存分に望みを叶えて差し上げよう。
結果的に上手いことWIN-WINの関係を築けましたね。
チャンはおじさんを急かしながら、ダッシュで支度を済ませました。

そして・・・遂に出発。

すると道中、おじさんは必死なチャンに申し訳なく思ったのか、いつも旅人にたかっている訳ではないと呟きました。

・・・な!(´Д`;) 何故それを・・・。
しかし当然というべきか、今回旅費として持ってきた24,5万が入った封筒は、ナンバープレートや車検証、コインロッカーの鍵と共にカバンの中。
おじさんはその全てを昨夜に確認済みでした。
※ちなみに・・・前回コメントより、予想屋さんによると寝る前と起きた時ではカバンの向きが違ったようです。
前回の時点でおじさんが中身を確認していたというヒントがあったのですね。
鋭いご指摘をありがとうございました。
そしてチャンの魂胆も筒抜け。
おじさんはしばしば巨大迷路への不法投棄者を通報し、何枚も感謝状を貰っていることを明かします。
つまり証拠は充分。
今回も同様にチャンを突き出すことは容易でした。
しかし、見逃す・・・!
社会貢献も兼ねた感謝状集めは、おじさんの趣味でもあり生きがい。
しかし、その一種の自己満足的行為にも飽きが来ていました。
そもそも先に断っていたように、貧乏な若者をダシにすることは本意ではありません。
つまり・・・おじさんが昨日確認したところ、チャンの乗り捨てた軽トラには衝撃痕や血痕は無し。
恐らくは盗難車とはいえ、事件性や反社会的組織との関わりが薄いことは分かります。
さらに、チャンがヤクザの手足の人間であれば、携帯電話は持っているはずですし、そもそも復路用の車が付いてくるはず。
そして強引にキーを奪う事もせず、頭を下げて見返りまで用意する姿に、半グレや小悪党の線も消えました。
全てはチャンが不法投棄者とはいえ、その根が善人である証拠。
恐らくは悪い先輩に盗難車の処理を押し付けられ、脅された・・・
不幸な青年というただそれだけ。
一文にもならない感謝状と引き換えに、幸薄い青年をさらに不幸にして良いはずがない・・・。
ならば男の夢!
与えられた将軍コースに浸ることを選んだのですね。
・・・何という漢気でしょうか・・・。
軽トラの破棄に至る理由こそ外していますが、およそ身の丈に合わない大金の為とは予想できるはずもありません。
これほどほぼ完璧に見透かしていながら、それでも見逃すとは。
ほとんど奇跡のように融通の利くおじさんでし
たね。
とどのつまり、人間は自分本位・・・
自らの生き甲斐を曲げてまで、赤の他人の未来を案じることはそうそう出来ることではないと思います。
チャンの帰還についての正否は問わずとも、この時点で脱出編におけるおじさんの貢献度の高さは言うまでも無いものとなりました。
これは全力での土下座案件が来たな。
初登場時から前回まで、一貫して裏の顔を隠した人間だと疑ってしまい・・・本当に済みませんでしたm(_ _ )m
おじさんのお陰でチャンが・・・いや、3人が救われそうですね。
未だに氏名不詳であることも含めて、これはカイジ史上二人目となる『優しいおじさん』の称号を認定したいな。
今回のおじさんが見せた心意気には軽く感動してしまいました。
ただ、裏を返せばチャンの溢れる誠実さが無ければ、おじさんは躊躇うことなく警察へ突き出していたかもしれません。
今となってはミスを犯しても自棄にならず、大金が懸かっていても人道を外れなかった。そんなある意味当たり前の真人間であり続けたチャンも称えたいです。
流石は救出ゲームを潜り抜けた男と言ったところでしょうか。
さぁ、あとは真っすぐ栃木へ向けて帰還するのみ。
これ以上のトラブルが振りかからないことを祈り・・・
・・・たいところでしたが、
今回も、非常に気になる描写がありました。あってしまいました。
二人が出発する直前のこと、

チャンは慌てていた為に気づいていないようですが、

服が洗われたという事は・・・

(↓273話より)

この時ポケットに入れた住所のメモが・・・

まさか失われたのでは・・・!?(@_@)

んー・・・おじさんの有難迷惑再び・・・!?

勿論、それでも先の配慮への感謝は変わりませんが、場合によっては痛恨の一手となるかもしれませんね・・・。

チャンがメモを見返さずとも記憶しているならそれで問題無いのですが、これだけ激動の3日間でしたから怪しいかもしれない。

となると、明らかな伏線だったカエルポスターの存在が唯一の道しるべとなるのでしょうか。

つまり、

カエルを目指して・・・帰る()

・・・・

・・・・二度目のm(_ _ )m。
・週刊ヤングマガジン№20(2018/04/30号)より。

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