秀吉 父の苦労は見えにくい。
ネタバレ注意。
主人公の名前は「かな」です。
**********
(いい天気…。これから戦に向かうのが嘘みたいだ)
馬を駆りながら、私は空を見上げた。
雲はゆったり流れていて、鳥のさえずりが聞こえてくる。
秀吉「こら、かな。よそ見するな、手元が留守になってるぞ」
「あ、はい…!」
秀吉さんが馬を寄せて、私に並んだ。
秀吉「ちょっと会わない間に馬の扱いが上達したな」
「うん。必要に駆られたら何でもできるんだって学んだよ」
(冷静になってみると、戦場を馬で疾走するなんてとんでもないことしたな。でも……幸村をどうしても追いかけたくて、必死だった)
秀吉「まだ先は長い。力みすぎないようにしろよ」
「うん、ありがとう」
顕如討伐隊は今、一路京を目指して行軍の最中だ。
(出発して数日経つけど、京までようやく半分か。新幹線だと数時間で移動できる距離だけど…早くこの感覚に慣れなくちゃね。戦国時代で生きていくって決めたんだから)
———-
幸村「お前にとっては酷なことだってわかってるけど、それでも言わせろ。お前を手離したくねえ。この先ずっと、俺のそばにいろ。俺は、お前と生きたい。返事は戦が終わったあとでいい」
———-
(無事に戦を終えたら、幸村に伝えよう。私も幸村と生きたいって)
幸村率いる武田上杉側の隊は、私がいる秀吉さんの隊の前を走っている。
前方に目を凝らすふりをして、こっそり幸村の姿を探す。
(家臣の人達と話してる…あ……笑った。何の話してるんだろう。そういえば、春日山城を発ってからひと言も話してないや)
そばに行きたいけれど、今はだめだ。
(私と幸村の関係を今、周りの人に知られたらややこしいことになる…一応、敵同士として振る舞わないと)
少し切ない気持ちで、幸村から目を逸らす。
秀吉「かな、どうした?少し疲れたか?」
「っ…ううん、何でもない。全然平気だよ」
秀吉さんに笑ってみせて、私は手綱を握り直した。
この日も陽がとっぷり暮れるまで、私達は野を駆け抜けた。
夜が更け、かな達が馬を止めたのと同じ時刻…京の山奥にある廃寺で、顕如も着々と迎撃の準備を進めつつあった。
顕如「――…敵は、思いのほか兵力をかき集めたようだな」
部下から討伐隊についての報告を聞き終えた顕如の顔が、苦々しく歪む。
顕如「謙信はともかく、信玄が一時的であれ信長に手を貸すとは…一体、どんな手を使った?」
黒装束の男「はっきりとは…。ただこの同盟、真田幸村の策と聞いております」
顕如「成程。部下をいたぶった私を恨み、矛先をこちらへ向けたか――…こうなれば策を選んではおられんな。織田と武田上杉が残った兵力を合わせ結託した今、ここに留まり迎撃するには分が悪い」
長い影を揺らし、顕如がゆらりと立ち上がる。
顕如「たとえ地獄に落ちようと、信長は私の手で討つ。戦場で拾った、あの切り札……今が使い時だ」
幸村「今夜はここで野営する。明日も早々に出立するから、食事を終えたらすぐ休め」
兵達「はっ」
(ふう…。今日もたくさん走ったなぁ)
野営地で煮炊きの支度をしながら、息をつく。
政宗「かな、あとは俺がやる。お前は身体を休めてろ」
「え、いいよ。今日は私の当番だし」
政宗「なんだ、俺の味付けに不満でも?」
「ううん、むしろ大好きだけど…」
政宗「じゃあ言うこと聞け。明日も早い」
「ありがとう…」
おたまを政宗に手渡して、私は火のそばを離れた。
(せめてお椀の支度だけやっておこうかな)
手を動かしながら、くつろぐ兵達を見回す。
(政宗や秀吉さんだけじゃなくて、越後を出発してからずっと、皆が気を遣ってくれてる。柔らかい草地に寝る場所を作ってくれたり、馬の手入れを手伝ってくれたり…戦では容赦のない武士も、兜を脱げばそれぞれ優しい人達なんだ)
この旅で、改めてそう気が付いた。
(幸村に話したいな。こんなこと思ったよって。幸村は『当たり前だろ?』って言って変な顔しそうだけど…大したことじゃない、ささいなことほど、聞いて欲しくなる)
そんなことを考えてるうちに支度が整い、夕餉が始まった。
織田軍と武田上杉軍は、すこし離れた場所でそれぞれ車座になっている。
(一時的に同盟は結んだけど馴れ合ったりはしないってことだよね。残念だけど…こうして同じ場所で野営してるだけでもすごいことだ)
早々に食事を終えて、片付けのために立ちあがった時…
秀吉「かな、ちょっと来い」
「何…?」
皆の輪から少し離れた場所で、秀吉さんが手招きしている。
不思議に思いながら歩み寄ると、秀吉さんは私の耳元に唇を寄せた。
秀吉「……妙なこと言うようだが、お前、真田幸村には気を付けろよ」
「っ…気を付けろって、どういうこと?」
秀吉「俺の見立てじゃ、あいつ、お前に惚れてる」
(え…っ)
腕組みする秀吉さんの眉間には、深い皺が刻まれている。
(なんで気づかれちゃったの!?旅の間ずっとしゃべらないように気を付けてたし…お互い、そばに近づくのも避けてたのに!)
ぎょっとして二の句が継げないでいると、秀吉さんは難しい顔で頷いた。
秀吉「かなが驚くのも無理はないか。幸村はあからさまにお前を避けてるからな。だけど…一日一回、あいつはかなを眺めてる時間があるんだ」
「え…?」
秀吉「陽が暮れて、身体を休めてわいわいメシを食ってる時に、妙に静かに何秒かお前を眺めて、それから黙って目を逸らす」
(嘘…。気づいてなかった)
「でも…それだけじゃ好きかどうかなんてわからないじゃない」
秀吉「まあな。でも俺の勘はよく当たるんだ」
(勘なのか…。よかった、周りの人全員に気づかれたってわけじゃなさそう)
「秀吉さんの考えすぎだよ」
秀吉「気を付けるに越したことはない。いいか?男は全員オオカミなんだぞ」
「いやいや、女たらしの秀吉さんはそうかもしれないけど…」
秀吉「今は俺の話はしてない。いーから言うこと聞いとけ」
(なんか、過保護なお兄ちゃんができたみたいだな)
おかしくなってきて、思わず小さく吹き出すと…
政宗「面白そうな話してるじゃねえか、秀吉」
「政宗…?」
話が聞こえていたらしく、政宗がにやりと笑いながらそばへやってきた
政宗「カタブツそうな幸村が敵の女に惚れるなんて、俺にはピンと来ねえけどな」
秀吉「カタブツだろうが、男なら腹ん中はどいつも同じだ。いい女には目が行くもんだろ」
政宗「たしかにな。ま、そんなに気になるなら当人に確かめりゃいい」
秀吉「あのな…聞いたところで『はいそうです』って幸村が認めると思うか?あ、噂をすれば…。見てみろ、かな」
「え?」
秀吉さんが私の頭に手のひらを乗せ、ぐるっと回転させる。
(あ…)
幸村「…………」
ぱちりと幸村と目が合うけれど…
幸村「…………」
何事もなかったかのように、幸村は目を背けて、周囲の人達との会話に戻ってしまった。
(今、こっち見てた…?)
秀吉「ほら、言った通りだろう」
「っ……考えすぎだよ」
政宗「かな。お前、幸村と話して来い」
「えっ?」
政宗「俺と秀吉がここから様子を見守っとく。で、判定してやる。幸村がお前に気があるかをな」
秀吉「おー、名案じゃないか」
(何それ…っ)
「どこが名案なの!相手は…敵の将だよ?」
政宗「同盟結んでんだ。ちょろっと話すくらい問題ねえ」
「でも今は、変な遊びしてる場合じゃ…」
秀吉「遊びじゃない。俺は真剣に心配してる。お前の身柄を預かってる立場だしな」
(あ、この顔、本気だ…)
政宗「かな、どんな時も遊び心は必要だぞ。いざって時に気を張ってられるよう、こういう時に緊張は緩めねえよな」
(こっちは楽しんでる…。正論ではあるけど…)
政宗・秀吉「ほら、行ってこい」
(う……)
ふたりに背中をぐいっと押され、仕方なく幸村の方へと歩み寄る。
(どうしよう、何話そう…っ。私達の関係がバレるのは絶対避けたいし…)
考え込みながら武田上杉軍の輪に近づいて、私はぎこちなく声をかけた。
「あの…幸村、さん。少し、お話が…」
幸村「……あ?」
(……しょうがないとはいえ、そっけないな。この態度を見て勘づくなんて、秀吉さんって何者なの?)
幸村「何」
「ええっと…」
棒立ちになって口ごもる私に、幸村の家臣達の怪訝な視線が集まった。
背中には秀吉さんと政宗の視線を感じるし、下手なことは言えない。
-選択肢-
元気ですか? ◎
「あの……元気、ですか?」
幸村「は? っ……」
一瞬、幸村は吹き出しそうな顔になる。けれど…
幸村「……別に、普通だけど」
笑みを堪えて、すぐにそっぽを向いてしまった。
「そ、そうですか…」
(何言ってるんだろう…。呆れたよね、幸村…)
幸村「……お前は元気なさそうだな。これでも食えば」
「え…」
幸村は、持っていた笹の包みを私に無造作に手渡した。
(これ、梅干し…?)
幸村「礼はいいから、あいつらんとこ戻れ」
(っ…反応に困ったからって、なんで梅干し?でも、質問してる場合じゃないな。皆じっと見てるし…)
「っ…ありがとうございます、頂いていきます」
幸村「どーいたしまして」
そっけなく目を逸らし、幸村は背を向けてしまった。
(なんか必要以上に冷たいような…しかも、梅干しって何?私がものすごく食いしん坊みたいじゃない)
もやもやしながらも、笹包みを手に秀吉さんと政宗の元へ戻ると…
政宗・秀吉「で、どうだった?」
「……梅干しくれた」
秀吉「は?梅干し……?」
政宗「へえ、いい色に浸かってんな。敵もさるものだな」
秀吉「惚れた女に渡すにしては気が利かないな。かなの言う通り、俺の勘違いか…」
(『気が利かないのは元々だよ』って、言いたいけど言えない…)
少しむっとしながらも、梅干しをひとつ頬張る。
「っ…!すっぱい…」
政宗「そりゃそうだろ、ひと口で食うからだ」
秀吉「しょうがねえな…。ほら、白湯飲め」
「う、うん…っ」
政宗「あとこれ、ちょっとしかないが砂糖舐めとけ」
「ありがとう…」
ふたりに差し出されたお椀を受け取った時…
ぱちりと、こちらに首を回した幸村と目があった。
(また、こっち見てる……?)
けれどすぐに、幸村は明後日の方向へと視線を向けてしまった。
(……気のせいか)
しょんぼりしながら、私は白湯を呑み干した。
やがて食事が終わると、隊の皆は体力温存のため早々に眠りについた。
(誰もいない…。よかった!)
私はこっそり天幕を抜け出し、そばにある湖へとやってきた。
(見かけた時に目星をつけておいたんだよね。ここなら大丈夫そう…)
音を立てないように、木陰で着物の帯を解く。
(乗馬も野宿も慣れたけど、お風呂に入らないのだけは慣れたら終わりだよね、色々と)
誰もいないとは言え、一応手ぬぐいで身体を隠し、ぱしゃん、とつま先を水に泳がせる。
ほどよい冷たさだと確認してから、私は湖へ身を浸した。
(気持ちいい…。明日も頑張ろう)
大きく伸びをして、星空を見上げたその時…ガサッと草をかき分ける音が響いた。
(っ……!誰か来た!?)
逃げ出す間もなく、反射的に音がした方を振り向くと…
幸村「ん?」
「幸村…っ?」
幸村「っ……おま、何やってんだ!?」
**********
秀吉おにいちゃんと政宗おにいちゃん!!!!!!!
好きーーーー!!!!
一応敵同士として、とか言ってるけど政宗と光秀さんの前でガンガン喋ってたやないか←
あなたの探している秀吉のすべてがここにある
毎日積み重ねる『自分づくりの授業』
本日のテーマ
【なぜ忍耐が大切か】
よく歴史上の人物を取り上げ、人物をタイプ別にわけて、いろいろな教訓にしたりします。
本日は、「なぜ忍耐が大切か」というお話です……。
作家の岬龍一郎氏の著書『「仕事」論』PHPでは、戦国期から太平な江戸時代を築き上げた徳川家康の忍耐に着目し、信長と秀吉と比較して次のように述べられています。
徳川家康の偉さは自分が天才ではないことを知っていたことだ。信長や秀吉は天才だった。天才ではない者が天才をしのぐにはどうすればよいか。それは、天才にはない資質、すなわち努力と忍耐と協調性をわがものとして部下を大事にすることだった。
鳴かぬなら殺してしまえホトトギス (信長)
鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス (秀吉)
鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス (家康)
信長は短気で激しく、秀吉は策略に富み、家康は忍耐強い。
ある心理学者はこの三人を現代企業の社長にあてはめ、
信長を「革命的合理型」
秀吉を「創意工夫型」
家康を「忍耐調整型」
と分類しているが、言い得て妙だ。
家康はつねに信長、秀吉を反面教師として学んだ。たとえば、秀吉が諸大名らと刀や茶器、書画などの自慢話にふけっていたとき、家康だけは黙っていた。そこで秀吉が「徳川殿はいかが」と尋ねると、「自分は田舎者で質素倹約を旨としておりますので、珍品などあわせ持っていません」と答えた。奢侈(しゃし)なる生活を嫌っていたのだ。しかも健康第一と考え、身体にいいからと麦飯を常食し、ニンニクを好んで食べ、自ら薬草を煎じたという。
質素倹約、質実剛健、深慮遠謀、そして忍耐。この基本に忠実な生き方を守ったからこそ、家康は天下を取れたのであり、世界史的にも類のない270年間という盤石の長期平和政権を築いたともいえる。
先が見えずに混迷する政治や社会の時代、何を学び、何を実践していかなければならないかを考えさせられるお話でした。
本日は、「徳川家康の生き方から学ぶ」というお話です。
悩んでないで秀吉の激安をチェック
バチカンを総本山とするカトリック教会が昔から奴隷(人身)売買をしていたことは世界史で明らかになっています。アメリカのカトリック系の大学であることを認め、の末裔である黒人学生の特別枠を設けるようになったくらいです。
日本は、キリスト教(カトリック)が入ってきた時に、最初はホイホイ受け入れてしまいましたが、カトリックの神父たちが商人と結託して世界中に日本人子女をすでに奴隷として売りさばいていたことを知って、豊臣秀吉は激怒しました。(が日本に帰国した際の文献に、ヨーロッパで大勢の日本人女性が裸で売買され、奴隷として使われていたことが掲載されています。)その後、「バテレン追放令」というのが出たのは歴史で習いましたよね?
日本人は秀吉の時代から、キリスト教の背後にある鬼畜な部分を見抜いていました。
現在のカトリック教は「純粋にキリストの教えを信じる集団」というよりは、どこかで世界制覇を目指す連中に乗っ取られたのかもしれません。しかし、その根本的な姿勢は当時からあまり変わっていないようです。
現在のフランシス法王は自分の部下に当たるカトリックの神父たちによる幼児や児童の性虐待事件が2000件余りもあることを認めつつ、そういった神父が破門されるわけでもなく、犯罪者として逮捕されるでもなく、かばい続けているのです。「幼児性愛者に対する罰は軽減されるべきだ」とも発言しています。(以下は、)
前のローマ法王は、短期間で辞めましたが、この方は悪魔のような人相だった上に、幼児性愛を思わせる言動が多い人物でした。以下の写真はそのベネディクト法王です。いたいけな少年のくちびるにチューする必要は全くないですよね。いくら西洋人でも、おかしいことはこの写真を見るとわかるのです。バチカンのスキャンダルに関する内部文書が流出した際に、内部告発者を厳しく罰したことでも知られています。
そういえば、「神の化身」と呼ばれたも数百名単位の男児を長年にわたって性的に虐待したことが大勢の保護者によって内部告発されましたね。しかし、宗教が絡むと、親がご利益を得ようと思って自分の子どもを危険な指導者にあえて近づけてしまうのはよくあるようです。
この2000件のカトリック神父による幼児のレイプ事件ですが、それぞれのケースについて読んでみると、「こいつら、鬼畜だ!」としか思えない内容のことを平気で言っています。7才児をはじめとする複数の幼児をレイプしたニューヨークのカトリック神父の言葉が新聞に掲載されていたのですが、「7才というのは理性が芽生える年だから、自分が何をしている(性行為をしていること)かわかるはずだ」との発言が載っていました。
カトリック教会には告白部屋などがある場合が多く、神父と信者が密室で過ごす機会がふんだんにある造りになっています。
フランシス法王の右腕であるジョージ・ペル枢機卿は、出身地のオーストラリアで幼児虐待の罪で裁判があり、現在はオーストラリアに一時帰国しているのです。しかも、この方は休暇というか一時的に休職中ですが、首になっていません。現在のフランシス法王はこの人物を破門にするわけでもなく、降格させるわけでもないのです。
これは、庇ってるとしか言えません。
動物が言葉を喋れないのをいいことに虐待する人がいますが、幼児や児童の性虐待をする人間というのも、相手が言い返したり、法廷で理路整然と被害を説明できないことを分かった上でやっている極めて卑劣な人間です。
しかも、自分が入信している宗教の指導者となれば、信用しますから親は安心して子どもを預けてしまいます。
バチカンの幼児虐待は、世界中の幼児虐待犯罪や児童の人身売買の犯罪と繋がっている可能性が極めて高いです。
世界で誰が実はまともで、誰が鬼畜かを見分けるには、鬼畜な行為をしている人物やそれを庇う人が誰を批判し、誰と仲がいいか、どこに寄付をしているかを調べると分かってきます。
フランシス法王がのことを「トランプ大統領はポピュリストだ。ヒトラーも人気者だった」などと言って、あからさまにトランプ大統領をけなす発言をしています。これには、理由があります。トランプ大統領が就任してから、実はアメリカで児童人身売買の大幅な摘発が進んでいます。
トランプ大統領は、国際金融グローバリスト勢力と真っ向から対立していますが、国境を破壊したいや腐敗した国際金融勢力は、なぜか裏で児童の人身売買や児童買春をする勢力と繋がっており、それが資金源や脅しの源となっていると言われています。
ローマ法王は大統領選挙の時にヒラリー・クリントン候補を支持する異例の発言をしていましたが、これも実は納得なのです。
クリントン夫妻は、がぬぐえない不審死が以上に多いことと、児童買春ビジネスで有罪となったであったことなどが報道されています。また、以前に有色人種根絶主義者で「アメリカン・ナチ」の異名を持っていたについて書きましたが、するスピーチをサンガーが設立した団体の後身である団体でしました。また、大統領選の際にヒラリー・クリントン候補に800万ドル(約8億円以上)も寄付していた投資家でことを自ら告白しています。
黒い行動をする人物が似たような黒い行動を支持する人物を支持するというのは、極めて自然な流れと言えます。
これから、バチカンがらみの黒い黒い事実がさらに表に出てくると思います。法王の右
腕の幼児虐待事件は、ほんの氷山の一角である可能性が高いでしょう。
日本をカトリック勢力から守ってくださった私たちのご先祖さまに感謝いたします。特に、奴隷売買を見破って退けた豊臣秀吉公とその臣下の皆さまに心から感謝します。
危険な勢力や組織、関係者から子どもたちを守るご両親、教職に就かれている皆さま、公的機関の皆さま、いつもありがとうございます。
世界で起きている児童性虐待と人身売買の現実
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秀吉 丸くは、ならない。
シルバーウィーク3連休の中日、久しぶりに小田原へ行きました。
小田原漁港で海の幸を食べようと思ったのですが大渋滞。σ(^_^;)
予定変更、早川にある「おさかな食堂こじま」へ!
こちらも久しぶりの訪問です。(^~^)
こちらのお店は金目鯛の煮付けが名物!
小田原はアジが美味し!アジフライ、身厚で美味しいです。♪
アジのたたき、、o(^-^)o
美味しい海の幸をご馳走様でした。(^ε^)♪
食事の後はデザートと思い、一夜城の近くにある「ヨロイヅカ・ファーム」へ
その前一夜城を散歩しました。
一夜城とは豊臣秀吉が1590年小田原城を攻めるとき、一夜にして築いたという箱根石垣山の城のこと。
当時の石垣が残っています。(゜д゜;)
天守閣のあった場所です。ここまで登り坂で結構キツイ。(;^_^A
良く見ると小田原城が見えています。
小田原城から見てここにお城が急にあらわれたらびっくりしたと思いますよ。
「ヨロイヅカ・ファーム」こちらは有名パティシエの鎧塚俊彦氏のお店!
残念ながら、連休なので長蛇の列。入店もできませんでした。(^_^;)
また、来ます。(;´▽`A“
秀吉を知ることで売り上げが2倍になった人の話
新潮45休刊に「言論で対応すべきだった」 辻田真佐憲氏
近現代史研究者の辻田真佐憲さんの話// 極端から極端に振れたという印象だ。こういう問題が起きるとすぐに「休刊すべきだ」となりがちだが、それでは話を単純化してしまう。問題の記事を寄稿した人が「言論弾圧だ」と主張する言質を与えることにもなる。これが前例となると、今度はリベラル系の雑誌が問題を起こした際に、休刊の圧力が強まる結果にもなりかねない。次号で性的少数者(LGBT)についての多様な意見を紹介するなど、きちんと言論で対応すべきだったのではないか。
引用元:
…まぁ、新潮社にとっては、『売れない雑誌の整理』&『ネトウヨへの制裁』&『パヨク界隈への義理立て』で一石三鳥??狙いだったのかも知れないが。
…がだ、LBGT…ぶっちゃけ『同性愛者』だが、実が所は『治療すべき精神病』として取り上げられていた時代もあったのだ。
古い精神保健医療の本なんかにはちゃんと載っていたり。
ま、そりゃそうだわな…差別というかなんというか、そもそもが『生物として不自然』な現象を前にしたら、そら大概の人は右往左往するに決まっておろうが。
もっとも…日本の場合は同性愛に関しては比較的寛容な歴史があったりで(例えば織田信長や豊臣(羽柴)秀吉が両刀使いだったという話もあったりなんなり)、そうでもないが、イスラム圏なんかだとエライこっちゃになりかねない…
それを考えると『日本でLBGT差別を訴えること』自体が世界的には実に幸せじゃね?と言われたら、それは文句が言えないんじゃないかと思う。
ともあれ、新潮45のような言論誌が売れるような時代じゃないので、どのみち休刊は必至だったんだろうが、しかし、こういう形での休刊ってのは、ことにパヨク界隈にとっては後々禍根を残すことになるんじゃないかと。
ただ、今回の騒動で迷惑なのはひっそりと暮らすマジのLBGTの人たちなのは間違いなかろうかと。
いいのかねぇ?
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最近とみに話題になってはいるけれど、私個人としては昔からあった話題であるし、むしろ、それはそれで隠しておいた方が良かったんじゃなかったかと。
だって、『差別利権ビジネス』の格好のネタになるの、目に見えてたじゃないですか。元々が。
だからあえて知っていて触らなかった側面もあったんじゃないかと。
秀吉 関連ツイート
https://t.co/Qk9Qfe3w9j