ヤクザ みんな悩んで大きくなった。
当時の俺の遊びを正直全部は書けないがごく一部を書かせてもらうか
渋谷で当時、「宇田川警備隊」?とか俗にいうチーマーとかが俺のやていた金融の社員が関東連合という暴走族のガキ共だったので、覚せい剤の関係が出来ていた。
詳しくは思い出せないが、ガキの連中の悪ガキが当時は渋谷を仕切っていて、俺はそいつらを使って、裏で覚せい剤を流していた、
まあ、結構な量だったが別に俺は原価で流していたのでそんな儲けにはならなかった。売人が俺の仕事じゃなかったしね。
今思えばだが、当時、エアガンを改良して鉛の玉が打てるようにし、ボンベでエアガンを繁華街の看板にぶち当てたり、電球を全部割ったりとまあ、無茶苦茶な事をして楽しんでいた。
ガキと同じ感覚で何でもした。
ある時、ラジコンに凝って、渋谷の109の交差点でラジコンを走らせ町ゆく人を驚かして遊んだ。
今思えばバカな事をしていたが、当時はそれが楽しくて毎日のようにやっていた。
そのうちラジコンヘリコプターを買い、これに大金をはたいた。一台100万くらいのをチェーンナップしていたら300万を超えて、なんとホバリングをして上昇したら落下して大破、それを20回くらいやったもんだから流石にみんなに止めた方がいいとか言われたが当時ドローンが有ればと今は後悔している。
当時の写真がないのが残念であるがみんな壊れちゃったしね
仕事中、生命保険の勧誘が来て丁度覚醒剤を打った直後だったのもあるが、マジエロい勧誘で椅子でイチャイチャしていたら、社員が帰ってきてマジ赤面の一幕、その勧誘の女から保険を沢山交わされたの巻というのもある
遊びは毎日、そう毎日キャバクラとDISICOのはしご
これも相当金を使ったが、当時のVIPはヤクザの紹介と金が無ければ舐められるというのでその辺は相当金をかけた。
King & Queen
マハラジャ同様、全盛期には全国展開していたので地名は特定できませんが
青山通りの旗艦店が本店で常連だった。
当時、ディスコの歴史にて最も入店が難しい牙城として君臨していたよな感じだった。
VIPの支配人とは10年くらい友達だったが、結局覚醒剤のせいで付き合いを止めざる得なかった。
厳しいドレスコードと多分年齢で客を選別していた気がします。
が、俺は短パンでの出入りも自由だった。
今考えれば、たかがディスコに行くのにステイタスを感じていた自分が
日本全体が浮かれていたバブルの時代感覚に麻痺させられていたと
気が付く由もありませんでした。まあ、覚せい剤のおかげもあって死ぬほど働いた後に毎晩死ぬほど遊んだ。黒服にチップをあげて一般席から女の子を連れてきてもらったのでナンパする必要はなし。六本木の店でも全てVIP待遇で、今思えばというよりは遊び過ぎたか?
ただ
あの頃の思い出?が忘れられず
一夜の夢よ再びと思っている方がまだ居るのかも知れません。
俺の記憶に残っているのはバイバイベイビーの曲くらいかな
まあ、それも全てが覚醒剤による自己崩壊の結果に過ぎないと今では分かっているが、まあ、バカな事をしたもんだ
ヤクザの特設サイト♪きっと良いのが見つかるよ♪
同業のヤクザからは
ヤクザについての開運情報サイト
以前にも書いたのですが、いい話だと思うので、再掲載させていただきます。
数年前に、友人と喫茶店で、お茶していた時に、面白い会話になりました。
「頭がいいとは、そもそも、どういうことだろう?」
という会話の流れから、興味深い話に展開しました。
本当の意味で、「頭のよさ」とは何でしょうか?
「勉強ができること」
「暗記ができること」
「仕事ができること」
「外国語がしゃべれること」
「お金を稼げること」
「サイキック能力があること」
などなど、人によって、いろいろな答えがあると思います。
いろいろな本を読んだり、人と話したりして、自分なりに、だんだん、わかってきたことがあります。
結論から、先に言うと、
「幸せであるということ」
だと思います。
「頭がいい人=幸せな人」
だという等式が、ほぼ成立するということです。
例外もあるでしょうけど、これは、かなり当てはまると思います。
私も、今までの人生で、たくさんの人に、会ってきましたが、
「この人って、なんて頭がいいんだろ…」
と、憧れた人物は、例外なく幸せな人でした。
幸せな人は、なぜ幸せかというと、頭がいいからだと言えると思います。
もっと、細かい話をすると、頭のよさとは、
「自分にとって、何が不快で、不適切なものであるのかを、見極める能力が高く、また、それの避け方や取り除き方を知っていること、そして、それができる能力」
同時に、
「自分にとって、何が快感で、適切なものであるかを、見極める能力が高く、また、それの引き寄せ方や取り入れ方を知っていること、そして、それができる能力」
を持っているということです。
だから、もしも、人生において、あまり幸せを感じなくなってきたら、
「自分は、もっと勉強して、頭をよくする必要があるのでは?」
と考えると、かなり正しい方向に進めるということです。
私は、これに気がついてからは、苦しみを感じたり、自分が不幸になっているような「悲劇の主人公」を、演じ始めてきたと思ったら、
「まずい! 自分は、まだ頭が悪いんだ。もっと勉強しよう!」
と考え、書店に行って大量の書籍を買ったり、セミナーや講演会に参加して、自分よりも、はるかに頭がよさそうな人の話を吸収するように努めました。
「精神世界」の書籍や講演などでは、たまに、「知識」を否定する教えもありますが、私は、とても大切なものだと思っています。
知識がありすぎて困ることなど、あまりないと思います。
学校の先生なども、生徒から、
「先生、どうして、勉強しなければ、いけないんですか?」
と質問されたら、胸をはって、
「勉強というのはね、やればやるほど幸せになれるんだよ。だから、幸せになるために勉強して、頭をよくする必要があるんだよ」
と言ってあげると、いいと思います。
「勉強のやりすぎで、不幸になった…」
もしも、そう感じる人がいたら、それは、実際には、まだまだ勉強不足なのだと思います。
具体的な例をあげますね。
たとえば、やりたくない仕事をしに、毎日、嫌な職場に通っている日々が続いているとします。
こういう人は、いっぱいいると思います。
経済的な理由など、いろいろな事情はあるでしょうが、これは、車の運転に例えると、アクセルとブレーキを、同時に踏みながら運転しているようなものです。
とてもエネルギーの効率が悪い状態です。
そのことは、周囲もそうですが、本人が、一番よくわかっています。
でも、惰性で、ズルズルと、そういう毎日を送っています。
「しょうがない…、人生とは、こういうものだ…」
こうやって、自分に言い訳しながら、自分を騙して生きています。
この苦しみは、自分の頭の中で、人生の優先順位が、ちゃんと決められていないのが、一番の原因です。
「自分は、何のために生きているのか?」
こういう究極の問いかけが、自分にできるかとうかです。
そうすると、本当に頭のいい人だったら、
「自分は、苦しむために生まれてきたのだろうか? いや、それは違う。人間というのは、幸せになるために、生きているのではないだろうか?」
とことん考えて、この結論に辿り着くと思います。
こういう頭のよさが、これからは、とても大切になってくるのです。
人生の分岐点に立った時に、
「さあ、ここで自分はどうするのか?」
こう思って、思い切って、自分なりに決断して、生き方を変えられるかということです。
様々なメリットとデメリットを分析して、これからの人生に最適な一つの道を選ぶのです。
これも、以前にも書いたのですが、もう一度書きます。
大学を卒業して、最初に勤めた会社は、比較的大きな会社だったので、たまに会社が主催する研修がありました。
当時の私は、仕事よりも研修が好きでした。
その会社から、「営業マン、実力アップ講座」とかいう研修を勧められ、それに参加したことがありました。
これは、それまでにあった営業マン向けのセミナーの上級編で、最後の仕上げみたいな内容でした。
最初の初級編の研修は、
「自分の長所と短所は、何なのか?」
というような内容だったと思います。
それから、中級編は、
「どうすれば、自分の性格や人格を改造して、いい営業マンになるか?」
というような、内面の改造法について、学ぶようなものでした。
その上級編のセミナーでは、大変興味深い話を聞きました。
その時の講師が、私達に、こう質問しました。
「営業マンに一番大切な資格や能力や性格などは、何だと思いますか?」
生徒の皆が、口々に答えました。
皆からでてきた答えは、
「明るさ」、「粘り強さ」、「おもいやり」、「まめさ」、「オープンマインド」、「礼儀」、「時間厳守」、「記憶力」
などでした。
反対の意味である、
「暗さ」、「飽きっぽさ」、「無神経」、「ずぼら」、「人見知り」、「無礼」、「ルーズ」、「忘れっぽい」
などを答える人は、一人もいませんでした。
ところが、この講師の人は、この反対の「暗さ」や「ルーズ」、「人見知り」、「無神経
なども、十分「優秀な営業マン」の資格になると言ったのです。
その講師によると、その講師が、昔、ある会社で営業をやっていた時、とっても「暗い性格の奴」がいたそうです。
あまりにも「暗い性格」だったので、会社内で友人もいなく、最初に会った時、
「こいつは、社内で最低の成績の営業マンだろうな?」
と確信したそうです。
ところがドッコイ、トップとはいわないまでも、かなり上位の営業成績を毎月上げていたそうです。
彼の周りにいるだけで、陰気になってしまうぐらい「暗い奴」なのに、どうして成績がいいのか、不思議だったそうです。
ある日、その講師は、あまりにも、そのことを不思議に思ったので、行動にでたそうです。
その「暗い奴」の後をつけて、その取引先の会社に行って、彼の仕事ぶりを、遠くから観察したのです。
すると、謎が解けたそうです。
取引先の会社の担当者も、なんと、「暗い性格の奴」だったそうです。(笑)
二人が、楽しそうに会話をしているのを見て、その講師は、
「そうか! 営業マンにとって、いい性格なんてものはないんだ! 大切なのは相性なのだ。暗い人には、暗い人が話しやすいし、明るい人には、明るい人、ヤクザには、気合の入った奴、元気のない人には、元気のない人、学者タイプには、頭のいい人、おとなしい人には、やさしい人、それぞれ、人によって好みが違うんだ。明るければいいという問題ではないんだ!」
こう悟ったそうです。
それまで、いろいろな「営業」に関する研修を受けましたが、私には、その時の講師の話が、一番納得できました。
その講師は、
「暗い性格を明るい性格に変えるだとか、オッチョコチョイを几帳面に変えるだとか、そんなことはする必要はありません。人間の性格に、良い性格や悪い性格などはないのです」
こう言ったのです。
他にも、
「自分で悪いと思う性格を、変えようとするよりは、良いと思う長所の部分の性格を、伸ばしたほうがいいです。また相性の悪い相手とはつきあわず、楽しく話がはずむという相手と、つきあうようにしてください」
こうも言っていました。
当たり前のことですが、大切なことだと思います。
研修の最後には、
「営業マンになるために、性格や人格の改造などやる必要はありません。そんなことに時間をかけるような会社はダメです。大切なのは、会社の人事部が、それぞれの営業マンの性格を見抜き、適切な環境、つまり、その営業マンと相性のいい、相手先の担当者と、取引させるようにすることです。そのために会社には、総務部や人事課というセクションがあるのです」
こうも言いました。
これは、私にとって、ビックリするくらい新鮮な考え方でした。
「無理して合わない環境で、頑張る必要はない。どんな人にも、ピッタリ合う環境や能力を活かせる仕事場は、必ずあるのです」
その講師は、そう言ったのです。
要するに、
「そのままでいい!」
というのが、その上級編の結論だったのです。
「人生が、うまくいってないな…」
と思った時は、
「自分の性格が、悪いからだ…」
と、罪悪感をもって、反省するのではなく、
「自分の性格に合った環境は、きっと他にあるはずだ!」
と思ったほうがいいということです。
私が、大学生の頃、沖縄のトレーニングジムに通っていた時、K君という名前の後輩がいました。
そして、そのジムは、とてもレベルが高く、ボクサーや空手家、柔道家、陸上競技の選手、プロレスラーなどが、たくさんいました。
いわゆる、「体育会系」の場所でした。
そういう場所では、「強い男」は尊敬されるのですが、「弱い男」はナメられ、馬鹿にされるのです。
K君は、人はいいのですが、いつもオドオドして、気が弱いので、いつも、
「オイ! 俺のジュース買ってこい! 急げ!」
こう命令されて、先輩方から、いじめられ、「パシリ」として使われていました。
お辞儀など1回でいいところを、10回ぐらいやる癖があったのです。
これでは、ナメられます。(苦笑)
ジムの中では、皆から、
「あんな性格で気が弱かったら、どんな仕事も無理だよ… どこも就職できないよ…」
と陰口をたたかれていました。
ところが、彼は、大学を卒業すると、「ハローワーク」で働くことになりました。
その職場で彼は、もの凄い大出世をして、沖縄から東京の霞ヶ関ビルで、働くまでになってしまいました。
彼の友人によると、ハローワークに来る人たちは、人生で失敗したり、職場で心に傷を受けた人が多く、K君の10回お辞儀するという癖や気が弱い性格が、
「とてもやさしく、相談していて心地よい」
と感じたそうで、お客さんから、とても評判がよかったのだそうです。
それで、どんどん、職場で出世していたそうです。
人間には、「悪い性格」というものは、ないのかもしれません。
どんなに「悪い性格」と思われている人でも、その性格を活かせる環境に入れば、一瞬で、「素晴らしい性格」という評価に、変わるものかもしれません。
余談ですが、私が東京で失業していたころ、このK君から電話で、
「トーマさん、再就職のことなら、僕に任せてください。先輩にはお世話になりましたから、失業手当なども、いくらでも優遇しますよ!」
と、明るい声で励まされました。(笑)
学校や職場などで、「いじめられている」と感じたら、そこで我慢せず、「環境」を変えるというのは、とても大切で確実な方法だと思います。
もし学校でいじめられたら、転校する、または、学校なんかいかない、それでもいいと思います。
職場なども、どんどん転職したらいいのです。
自分にピッタリの環境は、必ずあるのです。
その行為は、決して、「逃げている」わけではなく、まさしく、「新天地へ行く」のだと思います。
自分の人生経験からも、人生のある時期になると、自分にとっての「新天地」というのは、どこかで、必ず待っているのです。
最近、旅先で、よく彩雲や日輪、それから、変わった形の雲をよく見ます。
そろそろ、地球自身も、新しいステージ、つまり、新天地への変わろうとしているのかもしれませんね。
☆重要なお知らせです。< /span>
私のブログも、新天地へ向かいます。
約9年間、アメブロにお世話になっていましたが、そろそろ、新しいステージに上がるためにも、気分転換のために、引っ越しをしようと思います。
アメブロも、しばらく続けますが、今月から来月あたりからは、こちらのブログに、少しづつ書く頻度頻度が増えてくると思います。
頻度今後とも、よろしくお願いします。
〇「精神世界の鉄人(はてな)」
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
-
☆精神世界の面白いサイトが、たくさんあります。
☆キネシオロジーの個人セッションも、やっています。
こちらも、ぜひ体験してくださいね。トーマ
☆私のメインサントです。
-
こちらは、今後も変わらず、引き続きやっています。
結局最後に笑うのはヤクザ
ここまでの人生は、パワハラで私をコントロールしようとする者共との戦いの連続だった。
私は昔から、他人の本質を見抜く目に自信があるので、
相手が「本当に私の為を思って言っているのか」
「自分の面子のために言っているのか」は、何故かすぐにわかってしまうのだ。
(基本アスペなのに、それだけはわかる。)
だから、徹底的に抵抗した。(反抗ではなく抵抗。)
委員会の先生、担任や教科担任、部活の先輩、勿論同級生とも、
社会人になってからは先輩後輩同僚上司、とにかく気に入らない相手とはいちいち揉めた。
中学時代は脳ミソが筋肉の男性教師共に何度か頭を黒板用の大きな定規やグーで殴られた。
(コブができたこともある。)出席簿で叩かれる位なら何度もあるw
暴力で私をねじ伏せようなんて思うな
同級生が見せしめのように少年院に送られた後も、怒りだけが残った。
私の反抗なんて、おかしいことにおかしいと言うだけの可愛いものだったと思うのだが、
「いくら成績が良くても内申が危ない」と何度か脅された。
(高校は上位10%で普通に地区1位の進学校に受かった。)
学年主任は卒園式の日に車をボコボコにされ、ショックで退職した。
私の学年で教えていた教師のうち何人かも、その年に退職した。
暴力で他人を押さえ込めると信じた報いだ
私が気に入らない相手というのは、簡単に言うと“善良でない人”。
自分の為に他人を利用することしか考えていない人間だ。
仲の良い友人達は、そんな私を「反体制」と評して理解してくれていたが、
私の中には常に純粋な正義感があって、それに合致しないモノが許せなかった。
(合理主義者なので、無意味な規則や無駄な仕事をさせられることに耐えられない。)
今となっては随分狭量だったなと思うけれど。
今は、自分や家族に害がなければまぁどうでもいいです
でも、パワハラに苦しんでいる人達、受け入れてしまっている人達には
「それは、本当にあなたの為になっているのか
する側は100%、「相手のためにやっている」と自己暗示をかけている。
成果を上げているアスリートほど、自己暗示力が高い。
それを誤った方向に使われると、周囲も巻き込まれて信じ込んでしまう。
新興宗教の教祖とそのその信者によく似た構図だ。
マインドコントロールから抜け出すのは家族の協力なしには難しい。
親自体がマインドコントロールされているケースも多いようなので厄介だ。
—
私がそういった相手に幼い頃から気付けるようになったのは、
「自分の面子のために」しか行動しない母親に育てられたお陰かもしれない。
私にとって母の言葉は、不快感が98%だった。
「毒母あるある」で最近ネットでよく目にするのが、
「ブラジャーを買ってくれない」「生理用品を買ってくれない」という話。
読んで思い出したが、うちもブラジャーを買ってくれない親だった![]()
私は阿呆だから、中二までブラジャーをしていなくても気にしてなかった![]()
(ちなみに胸は普通にあった)
何度か友達から「まだ着けてないの…
」「着けたら…
」と言われたけど、
バカ男子からからかわれていたのはむしろ胸があってブラジャーを
着けている子ばかりだったので、全然気にしていなかった。
そのうち小6の妹が、何度言っても買ってもらえなかったことに耐えかねて、
自分のお小遣いでブラジャーを買った。
(と、言っていたが、多分万引きしたんだと思う。
その後しばらくして、妹の友人達が常習的な集団万引きで捕まったから。)
母は妹に「何これ、自分で買ったの?嫌らしい」と嘲笑った。
気が強くて、小さいときから母の事が大嫌いだった妹は、
「知らない
私は買ってない
」と言い張った。
母は「ふーん、あんたが買ったんじゃないんだ。じゃあ、お姉ちゃんがこれ使いなさい
」
と言って、私にそのブラジャーを与えた。
妹が可哀想だと思いながらもまあいいかと貰ったそのブラが、私の最初のブラになった…。
今思えば酷い話だ![]()
私物の全てを点検され毎日行動を監視されていた私も辛かったが
(当時は辛いというより怒りの方が大きかったのだけれど)、
母と折り合いが悪くて放置されていた妹も、同じくらい辛い想いをしていたのかもしれない。
妹と昔の話をすると必ず恨み節になるので、触れないようにしている…![]()
(私も夫に昔の話をするとしょっちゅう恨み節になるので気をつけよう
)
—
ちなみにうちの場合、生理用品は買ってくれていましたが、
私が初潮を迎えた時の第一声は「あら、嫌だこと…」ですヨ![]()
(心底嫌そうな顔で言われました
)
ま、そんな母親を持って、それに迎合しなかったことで、
今娘と良い関
係を築けているのですけれどね。
「クソババア、死ね
」と1000回は言った自分の反骨精神を褒めてあげたい![]()
妹も、就職した後一時期親の借りた部屋に住んでいたのですが、
リビングに置いていたバッグを漁られてブチ切れ、
側にあった分厚い楽譜3冊を束ねて母親をぶん殴って家を出ました![]()
うちの父親、数年に一度DVをする人だったのですが、
母を殴りたくなる気持ちはなんとなくわかる気がしました…![]()
この女を黙らせるには腕力しかない
という気持ちになるのですよね…。
(一応私達も被害者なのですが…加害者の性質も持ち合わせているのでしょうね
)
こんな家で育った私と妹ですが、グレていたのは中学の時だけでした。
私の場合は祖母の存在があったお陰です。
高校時代は「大学に入ればこの家を出られる
」というのが心の支えでしたね。
学生時代は父の羽振りが良くて散々甘い汁も吸えたので、
私はその時点でなんとなく気持ちをリセットすることができました。
意地を張ってあまり実家からの援助を受けなかった妹は、
未だに色々と気持ちが燻っているようですが。
その後事情により母と連絡を断って、そろそろ15年になります。
どうしても行かなければならない親族の法事は夫に出席をお願いして、
徹底的に会わないようにしています。
毒母とは縁を切る。
それしか解決方法はありません。
人は変わりません。
—
今日はちょっと重い思い出話でした。
そんな経験をしているので、身近にパワハラ洗脳を受けている人がいたら、
手助けをしたいと思っています。
まだ、戦うためのパワーは十分にあります。
勿論、戦う事が苦手な人は逃げてもいいと思いますが、
マイナスの気持ちが残らないような方法で逃げましょう。
パワハラ・体罰野球監督の場合は、チームを変わることで、
伸び伸びと楽しくプレーしている子もいるそうです![]()
暴力沙汰以外ならどんな形でも良いので、相手に「NO![]()
」を突きつけましょう。
私も仕事を辞めるときにしっかりと「NO![]()
」を突きつけてきました![]()
娘にも「それはあなたの為に言っているのか
」を判断する力をつけるよう言っています。
娘に聞くと、みんな先生がいないところでは文句を言うけど、
面と向かっては全然言わないのだそうで。
私の周囲が特殊だったのかもしれませんが、小中高から大学まで、
おかしいと思ったらみんなで先生にバンバン言うのが普通だったのですよね。
「おかしいと思ったら、意見を言って良いんだよ」
「先生ももっと良いやり方に気付いていないこともあるから、
言ってあげると喜ぶかもしれないよ」と教えています。
結局、日頃から意見を言うのが当たり前の環境を育てることが大事なのですね。
意見を言うために、考える習慣をつけることも。
それと、「世の中を、誰もが生きやすく住みやすい環境に改善する」という
大局感を持つことが重要なのではないかと感じます。
それではまた![]()
![]()
ここから先は本当に余談なので…お暇な方のみどうぞ。
![]()
![]()
![]()
(そんなに暇なの
)
(不毛な議論はしたくないので反論があったらコメントせずに自分のブログに書いてね
)
(この手の話に反論してくるのって頭が固い人なので会話したくないのよ)
(どうしても反論したいなら関係ありそうな本を10冊位読んでからにしてね)
(でも、今話題の水谷議員とかの本はダメよ。あれは更に頭を固くする役にしか立たないわ)
(別に本を読まなくてもいいんだけど、他人を思いやる気持ちを身に付けるまでコメントはしないでちょうだい)
(反論したい人はどこかの社会主義国にでも引っ越せばいいと思うの。)
(多分、戦前の日本そのものだから
)
(それってパラダイス
なんでしょう
)
(逃げ出す人が後をたたないから、喜んで受け入れてくれると思うわ
)
あ、以上は主に特定の層の方へのメッセージ
です。
関係のない方はお気になさらずに~![]()
![]()
![]()
![]()
私、ごく最近までずっと、
に書いた当時の同級生が送られたのは
ただの(というのも変ですが)“更正施設”だと思っていました。
(この同級生と先輩の話には以前も触れたことがありますが、
その時は「更正施設」と書いていたと思います。)
最近になって夫に「仲の良かった同級生が◯◯っていう施設に送られて…」と話していたら
その場で検索した夫に「それ、少年院だよ」と言われ、
「えっ
じゃあ、仲の良かった先輩が送られた◯◯学園っていうのは…
」と聞いたら
「…それは女子少年院だね
」と言われて二度びっくり。
いや、正直「あの程度で少年院なの
」と思いましたよ。
教師を殴って怪我をさせたんですが、その前に彼、散々殴られてたんですけどー![]()
![]()
しかも送致されたのは実行した子だけで、黒幕と「黒幕の黒幕」
(黒幕の他に表に出ていない黒幕がいたことを、私も後で知りました…
)は、
その後ものうのうと他人を使って黒幕をしてたんですよ![]()
彼、Yは、小学校の時から優しくて、いい子だったので…
私は「なんでYが
もっと酷い事してる奴は沢山いるのに…」とちょっと悔し泣きしました。
なんだろう、黒幕の指示もあったけど、それだけではなくて、
みんなの不満の空気を代表して教師と戦ってくれていたというか…。
教室で時々集まって下らない話をしていても、発言に気を使う思いやりのある人でした。
当時は男女混合の6~7人で、時々お互いの好きな人の話なんかもして。
Yは私の好きな人と同じ部活だったので、色々彼のことを教えてくれたり、
アドバイスしてくれたりしたこともありました。
その後3年になってクラスが変わってあまり話さなくなっていたのですが、
周囲に煽られて、虚勢を張って暴れていたような印象で。
少年院を出た後地元の暴力団に入ったと聞きましたが、高校生になって街で偶然すれ違い、
私が「あれ
Y…
」と声をかけたら、彼は会釈だけして通り過ぎて行きました。
一緒にいた友達に「あの怖そうな人、知り合いなの…![]()
」と聞かれて
「小中の同級生。優しくていい奴だったんだよ…」と言うのが精一杯でした。
本当に優しい人だったので…関わらない方がいいと思ったんでしょうね![]()
どうしても、と希望したようで、卒業式にだけ出ていたのですが、
皆何となく声をかけられなくて…哀しい思い出です。
もう一人の女子少年院に入っていたA先輩とは、
やっぱり高校時代に街で何度か偶然会って話をしたのですが、
見た目が完全にカタギではない感じ(“極道の妻”若しくは“ヤクザの情婦”風…
)だったので、
その度に友達に「あの人、知り合いなの…
」と恐る恐る聞かれ、
「市内で一番有名だった、中学の先輩。」とだけ答えていました。
彼女とは彼女が小学校を卒業する時に、1~5年生から手紙を送る行事があって、
それをきっかけに手紙をやり取りするようになってお付き合いをしていたのですね。
彼女は中3の途中で女子少年院に送られたのですが、
卒業してからも、学校での揉め事に首を突っ込んでいる様子でした。
あるとき私がいつものように正義感から揉め事に首を突っ込んだら、
相手側がA先輩を引っ張り出してきて、私と揉めてしまい![]()
(私は幼なじみの6年生が中1生から万引きを強要されているのを知って、
止めさせようとしていました。)
向こう側との方が近しかったらしく、今回は丸く納めるけど今後は私の味方はしない、
と宣言されました。
内心(別に今までだって世話なんてしてもらってないけどねー
)と毒づいてましたが。
更にその直後、その話を聞き付けた上級生20人が私のクラス半分位と揉め始めたのですが
(Aさんの庇護が無くなったと解釈したらしい。元々そんなもんなかったんだけど
)、
私をシメる為に教室に集まっていた所を、職員室に電話して
「シメるから残ってろって言われたんですけど、帰ってきちゃったんで。
今全員私の教室にいると思うので、なんとかしておいてください。
あ、前にも◯◯ちゃんとか◯◯ちゃんとかが呼び出されて、
叩かれたり蹴られたりしたそうですので
多分私で5人目位です。
きちんとした処分をお願いします
」と丸投げしました。
翌日からの報復(言葉だけですけど。)は凄かったのですが…
いやー、「自分のこと可愛いと思ってんじゃねーよ
」とか
「ちょっと可愛いからっていい気になってんじゃねーよ」とか「可愛い顔して…」等々、
「私ってそんなに可愛かったの
」という発言のオンパレードで、
逆に喜んでしまいましたよ
友達にも「なんか私、すっごい褒められてない
嬉しいー
」と言ってましたから。
(その頃一番つるんでいた友達がものすごい美人だったので、自己評価が低かったのです。)
他の子達は「勘違いしてんじゃねーよ、このブス
」とか言われてましたから…。
まあ、学年100人中、少なくとも10番目位には可愛いという自覚はありましたけど![]()
2学期の出来事で、スポーツ推薦を受ける先輩が何人かいたらしく、
その後は暴力に訴えてくる事はありませんでした。
思えばあいつらいつの間にか卒業したなぁ。
卒業式の事とか全然覚えてないやー![]()
私自身はただの“正義感の強いお節介オバサン”なのですが、
中学時代はそんな感じで何か色々事件に巻き込まれた感がありました。
たまに元ヤン扱いされていましたが、自己主張が強い以外は至って普通の子でした。
自分自身も中1の1学期にタバコで捕まったりしましたけどね![]()
いーじゃん、誰にも迷惑かけてないんだから…と思っていたら
学年全員がニコチン検査をされることになってしまい、
喫煙がバレた同級生に大変ご迷惑をおかけしました…![]()
後でブーブー文句を言われました…あのときはごめんなさい
(私自身は常習者じゃないので反応出ませんでした
)
3年の三者面談では、担任が私の目の前で
「いやー、調査書を見て大変な子に当たったと思いましたけど…」
と言いやがりました![]()
(この担任は私に媚び媚びだったので御しやすかったのですけれど。)
私のどこが大変なのかさっぱりわかりません![]()
(授業中漫画読んで取り上げられたりはしたけど)
(宿題全然しなかったけど)
(何度言われても可愛いキーホルダーを止めなくて合計10個以上取り上げられたけど)
(リップクリームも沢山取り上げられたなあ…必要なんだけど
)
(可愛いデザインのソックスを履いていって何度も取り上げられたけど)
(だっさい制服を改造して可愛くして何度も怒られたけど)
(ネイルしていて何度も職員室に呼び出されたけど)
(体育の授業はサボりまくったけど)
(毎日遅刻してHRが終わってからこっそり登校してたけど)
全然普通のJCですよ。
基本、誰にも迷惑かけてませんから![]()
体育は別に1でもいいって思ってたし![]()
下らない規則を作って自分で自分の首を絞めている先公共。
余計な仕事を作って自分が仕事をしていると思い込んでいる寄生虫公務員共め。
お前らが「何のために」「誰のために」やってるかなんて、全部お見通しなんだよ![]()
…って、今なら流暢に言えるんですけどねぇ
当時は論理的に伝える術を知りませんでしたね。
小学校と高校は良い先生が90%でしたけど、中学時代は悪い先生が90%でした。
そんな中で数少ない気に入っていた理科の先生がいて、3年次は理科室に入り浸りでした![]()
「先生、青酸カリって致死量はどれくらい
飲んでから何分くらいで死ぬの
」と、
もう一人のADHDクラスメートと一緒に質問攻めにしていました![]()
他にも可愛がってくれた先生が、卒業式の時に「内緒ね」と私だけ時計を頂いたり、
好きな先生とは大変仲良くやっていたんですよ![]()
(小学生の時も、クラス替えの時に私にだけこっそりプレゼントをくれた先生がいました。)
そんな感じで押さえつけられれば押さえつけられるほど抵抗したくなる
私。
今はとっても楽~![]()
それでも憤ることは多いです。
いつまで待てば夫婦別姓になれるのか、とかね。
ダイバーシティなんて全然意味がわかってない奴等が多いのは、
こういう学校教育を当然と思って受けている人が多いからですよ![]()
公共の福祉に反しない、つまり他人に迷惑をかけない範囲で
自由は最大限に尊重する、というのが日本国憲法の趣旨です。
他人に自分の趣味を押し付けるな![]()
学校は、子供の為になること「だけ」やれ![]()
社会をおかしくしているのは、他人をコントロールすることしか考えていない大人と
そんな大人を再生産し続ける学校だ![]()
少し前にも書きましたが、他人を尊重することは自分を尊重することなんですよ。
自分が今マジョリティだからと言って安心して他人の気持ちを踏みにじり続ければ、
いずれ自分がマイノリティになったときに踏みつけられるということなのです![]()
少しは想像力を働かせましょうね。
特定の何人かの顔を思い浮かべながら書いていたらどんどん長くなってしまいました![]()
怒り新党でも怒ってほしいわ~
(でも番組終わっちゃったんですよね)
私を含め自由を求める全ての人のために、今後も時々書くと思います。
主に思い出し怒りですが![]()
みんな挫けずに頑張ろう![]()
ヤクザ お客さまに幸せを!
お休みの午後。
大好きな沼田まほかる原作の映画化二本目を観ました。
「ユリゴコロ」 熊澤尚人監督
イヤミスの女王の一人 沼田作品は少し前に(彼女がその名を知らない鳥)も映画化されましたが、これが実に素晴らしかった!
今年の映画ベスト3に入る出来栄えでした。
何故か沼田ブームなのか?続いて(ユルゴコロ)も映画化!
観ないわけにはいかないので観てみました。
主人公は田舎でレストランを営む青年。
母を幼い頃亡くし、父とふたり暮らしですが、その父も癌で余命僅かの状況。
それでも婚約者も出来、明るい未来が見えています。
しかしある日婚約者が急に姿を消してしまいます。
何が何だか分からない主人公は、同じタイミングで実家の押入れの中にあった古びた日記を見つけます。
そこには死んだ母の過去の呟きが書かれていて、実は母親は殺人鬼で、しかも自分が父の子どもではない事が描かれていました。
驚く主人公、そして行く不明だった妻がヤクザ達に監禁されていることを分かります!
果たして主人公の取る行動は?
と言う物語です。
あちゃーやっちゃいました。
原作の良さが全然出てなかった。
原作はもう少しミステリー要素が多く、謎にワクワクしながら先を読んだんだけど、映画化はそこが省かれ、人間模様に中心が置かれてます。
監督は映画化にあたり、沼田さんに原作の改変を伝え了承を貰ったそうですが、これが裏目に出た感じです。
原作としては(彼女がその名を知らない鳥たち)より(ユリゴコロ)の方が何倍も良かったんだけど、映画化は逆になりました。
キツイ言い方だけど、監督の力量の差が出たかな?
熊澤監督の持ち味はこういう暗い話ではなく、青春物なんでしょう。
クリックしたらアマゾンに飛びます↓


ヤクザ 関連ツイート
(ヒロが絡むと)怖い
ヤクザ https://t.co/qg3ig174QE
男女間には色々あると思うが「お前の子供の手足をヤクザに頼んで切り落として動画をおくりつけてやる」って常軌を逸してる。
安倍、日本…

